秘密
目覚めは最悪で、頭の奥がズキズキと痛んだ。
頭を持ち上げて手元を見ると、机の上に英語の教科書などが置かれている。
どうやら今は、昼食休憩中らしい。
時計の針が差すのは休憩に入ってから十分後の時刻。
周りは騒がしいのに、自分だけ起きられなかったというのは、昨日の疲れが取れていないからかもしれない。
僕は鞄から弁当箱の包みを取り出し、少し小走りで屋上へ向かった。
昼休みなんだから、弁当くらいは食べておきたい。まだ少しは余裕があるけど。
とは言っても、すぐ近くの位置に階段があるので、すぐ着く。
屋上で昼食を食べていたのはいつものメンバーで、三人。ドアを開けた僕に全員の視線が集まる。
「ど、どうしたの?」
いつもはドアを開けても、気にせずに喋り続けるのになんで今日だけ? こんなことは珍しいので、少し慌ててしまう。
「なあ、空」
「な、何?」
今日はシートがないので、地面に座って弁当を手で持って食べる。
少し食べづらいが、あの騒がしい教室の机で食べるよりはよかった。
弁当を開き、手を合わせてからお箸を持つ。
「お前が昨日使ってた剣の話をしてたんだがな」
僕がお箸で掴んでいたミートボールがポロリとすり抜け、弁当の中へと帰っていった。地面に落ちなくてよかった。
「うん」
僕は再び好物のおかずを取り、口へと運ぼうとする。
「青空の剣はどうした?」
今度は地面へと落下し、歯が虚しく空を噛む。これで一個減った。
僕は少し怒って伊那人に目を向ける。昼食が減った怒りが半分で、青空の剣の戸惑いを打ち消そうとしている自分にも、少し腹が立った。
「いや、言わなくてもいい。お前が言いたくないならな」
伊那人は僕から視線を外し、昼食を再開する。
伊那人はともかく、女子二人に可哀想だとか思われたくないし、深い事情があって黙っているとか思われたくないし……誤魔化すのは得意じゃないんだけどな。
「ああ、あれは手の内を見せたくなかっただけだよ。成長した僕の剣なら、父さんと互角に戦えるだろうからね! デスマッチのピンチまで、とっておくつもりだよ」
僕は微笑を顔に浮かべながら、無理に元気を出して言った。これで心配掛けなくて済むかな。
「そうか」
だが、僕がそう言っても四人の空気は軽くならない。やっぱり駄目か。
誰も僕に視線を合わせずに弁当を食べたりしているが、僕に気付かれないように、チラチラ見られているような気がする。伊那人以外。
まるで僕が何か言うのを期待しているみたいだ。何を言えっていうんだよ。
「ちょっと、僕ジュース買いに行ってくるよ」
僕は立ち上がり、ドアに向かう。弁当も置きっぱなしだから、どうせ戻ってこないといけないんだけど。
「ジュースならこれ……」
後ろから聞こえた倉島さんの声を無視してドアを閉めた。
ドアを閉める音が予想よりも大きかったことに驚きながら、僕は階段を下りた。
青空の剣。何の捻りもないこの名前は、僕が五歳くらいに名付けた剣の名前だ。
剣を「けん」と読まずに「つるぎ」と読むようにしたのは随分最近のような気がする。
魂に宿る剣で、生命を共にしている武器だ。
僕に影響が出れば、剣にも影響が出る。その逆も同じく。
そのことを父さんに伝えられたのは、名付けた時と同じ五歳の時。
自分は特別な存在だと教えられた。伝えられたのはそれだけで、どう特別なのかは教えてくれなかった。
昨日、青空の剣を使わなかった理由は一つ。
あの剣は折れている。
だから、使わなかった。折れていても十分強いが、父さんに余計な心配をかけたくなかった。
一時期はあの剣を直そうと必死になったが、深刻なダメージを負っているようだ。
勿論、その影響は僕にも出ている。魔法力の低下だ。
教頭のペナルティをやられた時は痛かった。一時期の魔法力ダウンだったが、その時は倉島さんの遥か下を行った。
そもそも魔法力とは、魂の力そのものだ。魂の力を魔法力に変換し、使用する。
魔法を使えば魂は減るし、使わなければドンドン大きくなっていく。上限はあるが。
魂の力を使い切ってしまうと、その時点で身体の状態関係なく、絶命する。
だから魂の力。用意に使ってはいいものではない。
教師の『魔法力上限低下魔法』は、出せる魂の力を制限するというもの。減らすわけではなく、命は減らない。
魔法の戦いで決め手となるのは、どう魔法を節約するか。
訓練を積めば魔法力の消費が小さくなり、さらに大きな魔法が出せるようになる。
だが、訓練を怠れば、魔法をうまく制御できなくなり、弱い魔法すら満足に使えなくなる。
僕の場合は、魂の力のほとんどを青空の剣に持っていかれている。
その剣が折れたのだから、僕が今使用できる魔法は魔法力武器化魔法か、弱魔法のみ。
基本的に使うのは、肉体強化か武器化魔法だけだ。使い勝手がいい。
だから、強魔法一発でも放てば、死ぬ。
人より不利な状況で、どう戦えばいいのか。
答えは簡単で、魔法を使わなければいい。
さっきの二つは、最初に使えば後は、時間制限はあるが、魔法力なしで続いてくれる。
そうやって、なんとか自分の順位を保っているわけだ。
「君、前進んでるよ」
「あ、すみません」
僕の後ろに並んでいた人の声
で、現実に意識が戻る。
今僕がいるのは、ジュースを買うために並んでいる人の列。
長いなぁ、ここの列。
「あ、あの……」
ぼんやりと立っていると、後ろから控えめそうな声が聞こえた。
騒がしいこの場所では消え去りそうな声だったが、なんとか聞き取ることができた。
声のしたほうへと振り向くと
「あれ、なんで倉島さんがここにいるの?」
列からはみ出して、僕の後ろに立っていた。
両手で握りしめられていたのは、さっき僕に渡そうとしていたジュースだろうか。
「これ、お茶なんですけど」
「あ、わざわざありがとう」
僕は列から抜け、ペットボトルを受け取る。
「抜けちゃってよかったんですか?」
僕が飲み物を飲み下した後に聞いてきたが、ジュースはあってもなくてもよかった。
「だって、あそこまで着くのに大分時間掛かりそうだし」
僕が指差したのは、ここからまだ十分くらいかかりそうなくらい、離れた場所。
そもそも、話を誤魔化すためにここまで来たんだから、別にジュースが買えなくてもいい。
「ああ、そういえばそうですね」
納得したように声を出す。
「ここじゃ邪魔になるし、向こう行こうか」
僕らは少し移動し、人の邪魔にならないところで足を止めた。
結構生徒数多いよな、この学校。
全校生徒の人数は覚えていないが、この学年の人数は覚えている。百二十人だ。
それと同等か、それ以上の生徒数が他の学年にもいるんだから、人数は多くて当然だった。
「喜多くんって、私と帰る方向一緒でしたよね……?」
少し俯きがちの視線で僕の顔を見る。その顔が少し赤く見えるのは気のせいか、暑いからか。
春先と言っても、暑い日は増えてきているもんな。いつまでも過ごしやすい気候のまま停止してくれればいいのに。
そんなことあるわけないか。
「喜多くん?」
「ああ、ごめん。えっと、一緒じゃなかったっけ?」
「え? いや、分からないですけど……」
そりゃそうだ。分からないから訊いているのに、訊き返したんだから。
「もし一緒だったら今日、一緒に帰れないですか?」
「え? 別にいいけど」
珍しい、倉島さんからそんなことを言ってくるなんて。
こんなタイミングということは、やっぱりあの剣のことを探りに来たんだろうか。いや、疑うのはよそう。
それが僕の悪いところだ。自分では人を信用した気になっていて、心の底では信用していない。
いや、信用することができない。
これを治すことができれば剣も元通りになるかもしれないけど……
不可能という三文字が僕の頭の中に浮かんだ。
「じゃあ、四時半に校門前で待ってます」
嬉しそうな笑顔を残すと、倉島さんは走り去っていった。元気だなぁ。
教室で放課後までに会うと思うんだけどな。
「これは期待に答えないといけないなぁ、空」
恐怖を伴うほどの低い声で僕に話し掛ける人物は一人しかいない。
急に声を掛けられ、声を上げそうになるところをなんとか堪える。
「本当にね、空。ここで約束破ったら男じゃないもんね」
違う意味での恐怖を感じさせる一恋の声。二人ともいたのかよ。
「僕が約束破ったりするわけないじゃないか」
後ろにいる二人に、振り向かずにそのまま伝える。
「どうかな? 異性と二人きりなんてことは、初めてじゃないのか?」
そういえば、そうかもな。
「だからって、僕が先に帰るとでも?」
「あたしと二人になった時なかったっけ」
そもそもこの二人はなんでここにいるんだ。僕の弁当はどうした。誰かに盗られてたら本気でキレるからな。
「ま、デートだと思って肩の力抜いてけや。俺らは先に帰るからよ。お二人で、ごゆっくり」
「完全に悪意があるよね、その言葉」
「ねえ空。聞いてる?」
なんなんだ。この二人の意図が全く分からない。
「じゃあな」
「次の授業でまた会うでしょ」
「じゃあね、空」
「うん、また明日」
「……何、この違い」
いやだってそもそもクラス違うし。
僕らがこんな妙な会話をしていると、チャイムが鳴った。昼食休憩終了の合図だ。
「もう昼休みも終わりだね。早く教室に戻らないと」
僕らの周りには人はもういなかった。二人の姿もなかった。結構早い。
よく分からないことが連続で起きたため、軽く頭が混乱している。
状況を確認しようとする頭をため息で落ち着かせ、教室へと歩き出した。
何か、嫌な予感がしたのはこの時。
「……弁当、屋上に置きっぱなしじゃないか」
走れば間に合うかな。
今のこの感覚、置きっぱなし弁当のことだったらいいんだけど。