離婚届
2011年1月、それは僕にとって骨の芯まで凍結してしまうような、寒くて長い冬の始まりだった。
元日、少ない予算で適当に都合をつけて、冗談半分で門松や鏡餅を飾っていた僕に、父の訃報が飛び込んできた。
それはとても急な話だった。それまで何の持病も、生活習慣病の心配もなかった父が、風邪をこじらせてあっさり死んでしまったのである。
大晦日に発病し、ただの流感となおざりにして蕎麦でも食べながら年を越そうとしていたところ、初日の出を拝む寸前に突然むせ返り、そのまま呼吸困難で絶命してしまったという。
その知らせは僕にとってあまりにも突然で、衝撃的なものだった。
母は電話で、呆けたような口調で事実を僕に伝えた。その呆然とした口調が伴っていなければ、僕はきっとその知らせを信じることができなかっただろうと思う。しかし、僕が信じようと信じまいと、父は死んでしまったのだ。
知らせを受けてすぐに実家へ戻った僕は、父の遺骸に対面し、その苦しさも安堵もみじんも感じられない、無感情な死相に憮然とすることになった。それは、この死が、父自身も全く予想せず、そして何かに取りすがる暇もない往生だったことを明らかにしていた。
通夜はしめやかに執り行われた。参列者は皆、友人の劇的な死を悲しみ、また、元日に起きた悲劇にうんざりした様子で会場を去っていった。彼らも、僕や母も、誰もこのようなことが起こるとは予期していなかったのだ。だからこそ、現実はそれぞれの肩に不格好にのしかかり、行き場のない虚脱感、何かぽっかりと穴が空いてしまったかのような虚無感を胸の中に投げかけた。
父の死は、僕の生活に様々な面で暗い影を落とした。それはある種は自分でさえ何時どうなるか分からないという感情的な暗がりであり、またある種は、実家からの仕送りが途絶えるという露骨な陰影であった。
こういう風に表現すると、全くもって不謹慎かもしれないけれど、父の死は、まだ就職先の内定もとれず、アルバイトと実家からの仕送りだけで大学生活を営んでいる僕にとって、足がもがれたぐらいに痛すぎる出来事だった。
今時、まともに空調設備の整えられていないこのボロアパートの中にあって、僕はこの冬を、この風通しの良い財政状況で越すことができるのか、確信の持てる回答をするのができなかった。
そして今日は、外は一面篩いをかけたような雪だ。すべてを凍てつかせる冷気は、すぐそこまで迫ってきている。
―――――布団から出たくない………
しかし、布団から離れた位置にセッティングされた目覚まし時計は、耳障りにベルの音をかき鳴らしていた。
僕は本当に布団から出たくはなかったけれど、かといって布団にくるまったまま、神経症的な目覚まし音を聞き続けるのもなかなかの苦痛であったし、隣室のへの迷惑も甚だしいところだったから、渋々布団を抜け出し、できる限り最小限の動きで目覚ましを停止させた。
僕にスイッチを叩かれた目覚まし時計は、何も悪びれる様子無く、再び深い眠りへと着いていった。しょうがない。それが目覚まし時計の使命なのだ。僕が文句をつけられることではない。
暫く、目覚まし時計の静かな、カチ、カチという鼓動だけが部屋の中を彷徨った。
掛け布団を肩に掛けたまま立ち上がると、僕は窓の所まで行って、カーテンを開け、雪の降り具合を確認した。
うむ。世界はいい具合に雪に沈みかかっていた。このまま何もかも雪に埋もれてしまって、その重みでぺしゃんこになってしまえばいいのに、という反社会的で思春期的な願望を僕は押さえることができなかった。いっそのこと何か叫んでしまおうかとも思ったけれど、エネルギーの無駄のような気がしてやめた。
そして次に、部屋を見渡した。まったく、本当に叫びたくなるほどモノが無い部屋だ。さぞかし声がよく響くことだろう。(註;これは広いという意味じゃない。ただ、音を吸収してしまいそうなものが見あたらないということだ)
テレビがない、パソコンがない、エアコンもない、ヒーターもない
冷蔵庫はある、ラジカセはある、ワープロもある、本もある、彼女はいない………
そうして、部屋にあるものと無いものを一つ一つ確認していくことが、僕のここのところの日課になっていた。
この確認にはリストがあるわけではない。ただ、目に入ってくるものを「ある」の部屋に複製し、目に入ってこないものを「ない」の部屋に創出するだけの作業だ。
そしてそこには「将来これがあったらいいのに」というような願望もない。ただ、一日のはじめに身の回りの状態を少しでも把握しておかなければ、氷の上に立っているような不安感にさいなまれるだけの話。
次に僕は、朝食を摂る作業に取りかかった。サバの缶詰を開けて食パンに身をのせ、自家製のラー油を少し垂らしてよく噛んで食べる。ただそれだけ。
ただ一つこの作業で難しいことは、食べている間は無心にならなければいけないということだ。そうしなければ、僕は寂しさに涙を落とすことになる。
本当の話だ。
朝食が終わると、僕は壁に掛かったカレンダーを見つめた。それは日めくりのカレンダーで、めくるのが億劫で5日前からめくっていないから、今見えている日にちに5を足さなければいけない。………今日は日曜だ。
僕は、毎週日曜日が来ると、それまでの一週間に名前をつけることにしている。というのも、呆けを防ぐためだ。 嘘だ
何にしても、本当に僕は一週間に名前を付けている。先週は「寂寥と喪失の一週間」だった。正確に言うと「“第八”寂寥と喪失の一週間」だ。名前はかぶることも多々ある。
さて、じゃあ今週の名前はどうしようか。それは、今日一日の宿題だ。焦る必要はない。これを一日悩み通すことで、暇な日曜を何とか乗り切ることができる。
そうして、この一連の作業の締めくくりとして、僕は玄関の郵便受けの中を確認した。誰かから便りが送られてくる希望があるわけれはなく、ただ、配達された新聞を見て、昨日も知らないうちに世界が一回転してしまったことを認識するためだ。
が、今回はいつもとは違っていた。
新聞を郵便受けから抜き取っても、まだ中に残っているものがあった。納税通知だろうか? そう思って取り出してみたけれど、どうもそうでもないようだった。無地の空色の封筒である。
宛名、送り主などは一切記入されていなかった。中に少し厚めの紙が折りたたまれて入っていることだけが分かる。
僕には全く、この郵便物に心当たりを見つけることはできなかった。そもそも僕宛てに新聞と納税通知以外のものが送られてくることなんて滅多にないのだ。一体どれだけの人が僕の住所を知っているのだろうと考えると、僕は果てしなく孤独を感じる。
しかたなく、僕はその封筒の中身を確かめることにした。
――――――――――――――――離婚届――――……
折りたたまれていた紙の左上には、間違いなくモスグリーンのインクで「離婚届」と印刷されていた。
離婚届?
離婚届というものを初めて目の当たりにした僕は(もちろん婚姻届も見たことはない)、折りたたまれていたそれを広げ、まじまじと全体を見つめた。
不気味なことに、その書面には僕の名前、住所、僕の両親の名前だけが、印刷したんじゃないかと思うぐらい綺麗な教科書体で書かれていて、それ以外のことは一切書かれていなかった。さらに気色の悪いことには、父の氏名の欄が、一度書かれた後に、一本赤い斜線を引かれているのだ。
僕の頭は暫く混乱した。どうして離婚届なんかが送られてきたんだろう。これが新手のイタズラだとすれば、相当タチが悪い。イタズラなんかでこんな公的書類を使うなんて卑怯だ。どうかしてる。
封筒には宛先が書かれていなかったし、切手も貼られていなかった。つまりこれは、犯人が直接家の郵便受けに投函したということだ。しかし、これだけ僕の個人情報が正確に書かれていると言うことは、僕のことをよく知った人物が送ってきたのだろうか。
僕は、その書面を見つめていると、次第にイライラとし始めた。まったく、僕を馬鹿にするにも程がある。未だ何につけても鳴かず飛ばずの僕に対する当てつけとでも言うのだろうか。そりゃあ自分で見ても、僕は将来有望な人間じゃないし、異性との関係が今後何か進展することも無いと言うことも分かる。でも、それを一々こんな形でえぐることはないじゃないか。
後ろで誰かが僕のことを嘲笑しているような気がして振り返ったけれど、もちろんそこには誰もいなかった。どうやら声の主が後ろだと思ったのは、自分の内側の間違いだったらしい。
とにもかくにも、僕はその離婚届を机の上に広げ、僕もいすに座って、じっくりとそれを点検することにした。
まず左上には、やはり克明に、「離婚届」という文字がある。無論僕は離婚するつもりなどないし、悲しいかな結婚する予定もない。
離婚届、と書いてある下には、「名古屋市長」と、宛先の欄に印刷されていた。どうやらこれは名古屋市内で発行されたものらしい。ということは、これを投函した犯人も名古屋市民なのだろうか。
僕は雪の降る真夜中に、こっそり僕の家の郵便受けに離婚届を投函し、音も立てずに去っていった名古屋市民を想像した。まるで黒いサンタクロースみたいだ。
黒いサンタクロースは北欧かどこかの伝承で、クリスマスに、一年中悪い行いをしていた子供の家に現れて、カエルの胃袋や牛の腸等々消化器官系のものを子供の寝具の側に置いていく。最悪の場合、黒いサンタクロースは子供を地獄まで連れ去ってしまう。
今考えてもぞっとするような話だ。クリスマスの朝にドキドキしながら目を開けてみたら、枕元に羊のぼうこうが置いてある光景。もし当時の僕がそれに遭遇したら、泣き叫ぶどころか二、三日寝付けなかっただろう。
突然送られてきた離婚届には、それぐらいのインパクトがある。
そして次に見たのは、いわゆる太枠の中だ。氏名の欄には、夫には僕の名前が、妻の欄は全くの空白になっていた。生年月日、住所の欄も同じくである。次の父母の氏名には、やはり僕の両親の名前だけ、その上、父の名前には赤い斜線がある。父が先日死んだことを表しているとみて間違いないだろう。
そこから先は、何も記入されていない。
さて、それで、僕はどうしたらいいんだろう。気味は悪いが、捨てるには気が退ける。何せこれは離婚届なのだ、
僕はとくにこれという考えもなく、一人目を閉じた。そうすればたちどころにすべてが解決するのではないかという楽天的な期待もあったけれど、そんなことはなかった。ただ目の前が真っ暗になっただけだった。
目を閉じたまま、僕は離婚について考えた。まだ結婚をしていない誰かと離婚するのを想像するのはなかなかの茶番ではあるが、もし既に僕が誰かと結婚していると仮定すると、僕は離婚にたいしてどう向き合うのだろう。
どうして人は離婚するんだろう。なぜ自分から独りになることを選ぶんだろう。こんなに人肌を恋しがっている人が世界中にいるっていうのに。
あんなに愛し合って結婚した人々が、遅かれ速かれいつかは同じ屋根の下で眠ることさえ嫌になってしまうのはなぜなんだろう。
それとも、離婚というのは僕が考えているほど重いものではないのかもしれない。婚姻も離婚も、あくまでもこれらは社会の中の形式的なものでしかないのかもしれない。いや、実際そうなんだろう。ただ、ちょっと前までは、そこにいろいろな付加価値があっただけだ。
じゃあ、なぜ人は結婚するんだろう。人は結婚するとき、かなりの確率でいずれ自分たちが離婚するであろうということを考えるはずだ。どうしてその上でリスクのある道を選ぶんだろう。
結婚をしたことのない僕には、どの問いにも納得のいく答えを出すことはできなかった。それに、きっと僕がいつか結婚したとしても、こんなこと分かりはしないと思う。それは、僕が、離婚届が不意に送られてでもこなかったらこんなことを微塵も考えようと思わない人間だからだ。
もしかしたら僕は、僕の知らない間に誰かと、あるいは何かと結婚していたのかもしれない。
繁華街で記憶がなくなるまで飲んだ経験はないし、変な薬を嗅がされたという覚えもないけど、それはいつのまにか僕の知らないところで成立し、今破局を迎えようとしているのかもしれない。
今の世の中、あり得ない話じゃない。どこかのオス牛は、草原でメスの牛とすれ違った瞬間、メス牛が気づかないぐらいの早業で交尾する。牛にできることが、人の間で行われないというのもおかしい。恐らく僕も、気づかないうちに誰かと書類に印鑑を押し合っていたんだろう。そう考えると怖い話だ。
僕は、殆ど何の考えもまとまらないまま、ゆっくり目を開けた。もちろん、離婚届は相変わらず目の前に存在していた。
結局、まともに考えれば今回のことは誰かの悪戯だ。そこには無邪気さと遊び心と少しの悪意しかない。そして、そんなものに一々心を動かしているのは、僕が暇なのが悪いのだ。
それに、普段は絶対考えないようなこともこうして考えることができた。それはそれでよしとしよう。
こう思いながら、僕は、自分の思考が少しずつポジティブな方向に向かっているのを感じていた。これは悪い兆候じゃない。
僕は、急に思い立って、ペンを探して机の引き出しをあさった。どの引き出しを開けてもじゃらじゃらという間のはずれたマラカスのような音がした。そうしてペンを見つけ出すと、離婚届の妻氏名の欄に、「孤独」とだけ書いた。
そこまでしてしまうとエンジンがかかった僕は、離婚届を折って紙飛行機にし、アパートの屋上へ駆け上がって、そこから精一杯発射した。
それはさらさらと雪の降る中を、風に乗ってぐんぐん遠くまで飛んでいって、終いには雪の白に紛れて、見えなくなってしまった。それまでにどれだけ時間がかかったのかは分からない。ただ、僕は寒ささえ忘れて、じっとその行方に目を凝らしていた。
雪は、世界中からすべての黒色と灰色を洗い清めていくかのように降り続いていた。
僕は、後になってあの離婚届に僕の個人情報が全部書かれていたことを思い出した。けど、別にいっか、と開き直った。もしかしたら、あの離婚届を見つけた人が、それを見て少しは僕に同情の念を抱いてくれるかも知れないし、あるいは面白がって僕に手紙でも送ってくるかも知れない。何にしても僕は、久しぶりにこの世界に働きかけたのだ。あとは反応をまとう。
うむ、今週は、いつもより明るめな名前を付けられるかもしれない。
例えば―――――――