プロローグ:ゼロ
―西暦2012年11月21日
壮年の男性がコツ、コツと足音をならし、廊下を歩いている。
痩せた体躯に少しこけた頬、最近は眠ることができず目の下のクマもひどい。
男はとても憂鬱そうに手元の資料を眺めながら歩く。
世の中は1か月後はマヤの予言の日だなんだと騒がしいが、こちらは研究が忙しい。ありもしない予言を信じて何が楽しいのだろうか。
マヤの予言ももしかしたら的中するのでは、とか、何かしら研究に影響が出たらなんてことでセキュリティの強化や精密機械周りの物理的な強化をしようなんて間抜けな上からのお達しに振り回され寝る間も惜しんで仕事をしている。
これはあれだ、社畜というやつかもしれない。上の奴らは現場を何もわかっていない。言ったら全部現場の奴がやってくれると思っているんだろう。だが私もやるしかないのだ。
世界のエネルギー事情なんて一般人は理解していないだろうが最近は原子力発電に対する風向きも怪しく、動き続ければ低コストでエネルギーを生み出せるものへの風当たりは強い。何かリスクが生じたら誰が責任を取るのだなどと。
今開発しているものは地球規模の風や海流エネルギーなどを陸から離れた海上で集約させ効率的に電力を生み出すというものである。偏西風やアリューシャン低気圧、親潮や北太平洋海流、そういった地球が持つエネルギーを使い発電し大規模なエネルギーを、などという夢のような開発をすることとなっている。いつできるのかわからないが、などと思っていたがあれよあれよと完成系へと近づいていた。どんな無茶ぶりでも、しがない研究員はやれと言われたらやるしかない。
大規模な風受けのための数キロに及ぶ壁や海流を受け止めるためのハイドロフィンは私が酔ったノリで提案したものであるがまさか採用されるとは思わず、今では頭脳は普通なのに尊敬される研究員という謎の存在になってしまった。皆はすごいというが何もすごくはないしこんなものをまさか建設可能であるとは思っていなかった。
最初は海流を受け止めて多少はエネルギーにできたらと建設が始まった海洋フロートであったが、今では直径数十キロ規模のメガフロートである。
天才たちはいるものでこの規模の海流や風をすべてエネルギーに変換するなんてことはできないと思っていたが百人寄れば文殊の知恵というか、万単位の各国の知能たちの集合知でエネルギーへの変換を成功させてしまった。
だがこのままでは大規模な発電はできても貯蔵することができず、電力がオーバーフローするのみである。あとはエネルギーを圧縮し使いたいときに使える状態にすることができればということで今私はエネルギー圧縮をメインとする濃縮分子加圧・貯蔵工学部門を任されている。
まだメガフロートの大規模電力消費を補うために使われているのみで実用可能段階ではないが、このまま世界中へのエネルギー供給が可能となればとてつもない偉業となることだけは理解している。まだ大きくすることでそれも可能になるだろう。
エネルギーの供給に関してだが、最近フロートから人工衛星を打ち上げたらしい。それをハブとして世界に電力供給ができないかという話になっている。海底ケーブルによる電力供給は可能だろうがコストが甚大なものとなる。宇宙からのレーザー送電やマイクロ波送電ができないかという話であったが果たして可能なものなのか。疑問はあれど、私は今の仕事に注力するしかない。
圧縮のために作られた加圧プラントは常に不気味な心臓音のような音を響かせている。私は作業員ではないため内部に入ることはないが作業員はみな防護服を着て作業を行っている。
そう、圧縮するということはそれが反転した際に大きなエネルギー派を生んでしまう。万一にでもそういったことが起きないために加圧プラントは数メーターの鋼鉄とチタンの隔壁でおおわれている。
何かリスクが生じたら誰が責任を取るのだ、という声は原子力の際に聞こえていたものの上は封殺しこの圧縮に踏み出した。放射線の影響はない、と。
そんなわけがない。
加圧プラントの心臓部は常に青白い光を放っている。普通に圧縮しただけでは放射線が出るはずもないが、これは超高圧で圧縮されたエネルギー体である。常にチェレンコフ光を発する化け物でしかない。
最初はクリーンエネルギーを謳って作られたこの施設は皆の『出来てしまった』によって後戻りができない化け物を生み出すこととなった。
だが意地でもこれを制御できるように、これを完全に、安全にすることが男の至上命題であった。
部下の靴をなめたっていい。皆の知能を、力を全力で借りてでも。
男は今日も寝ることができない。
―西暦2012年12月21日
男はマヤの予言の日に太陽嵐が起きたとの報告を受けたが、規模はG2。中規模であり、普通メディアでの報道はされない程度の中規模の太陽嵐である。
男は打ち上げられた人工衛星のことを思い出すも、中規模太陽嵐は年に数回起きることであるし対処など何度も担当部署が行っているものであるから気に留めず目の前の仕事に注力する。
圧縮についてはこの1か月で思った以上に進捗があった。かの青白い光は出るがそれをうまく制御することができているし加圧プラント内も安定してる。運用可能を見極める最終段階に来ており、世に出す一歩手前である。まだ世間には公開されていないが、これさえうまくいけば世界のエネルギー事情は大きく改善することは間違いないのだ。
―西暦2012年12月23日
『フルスケールテストを開始します。最終調整であるため、こちら成功したら快挙です!』
若い職員の声が聞こえる。
最終調整のためかいつも以上に風の音も心臓のような音も大きく聞こえる。
よかった。何事もなくここまで来て。これが成功すれば世界への電力供給は問題なく行われ
ジリリリリとベル音が鳴り響く。
先ほどまでモニターを優しく見つめていた男の目が見開かれる。
何が起きたのかわからない。ベルが鳴るのも初めてのことである。
【―Emergency. Emergency. インシデントコード:MAG-STORM / LEVEL-G2-CRITICAL】
インシデントコードを聞くにG2と昨日聞いた中程度の太陽嵐であるが致命的であるとの警告音。なぜかわか―
【太陽系監視衛星より入電. 磁気圏において, G2クラスの地磁気嵐の到達を観測. 一般大気圏への影響は軽微, 軌道上の軌道上微波送電衛星に電子ノイズを感知】
男は細い体に鞭を打ち観測室から制御室に向かう。もし、何かあったら。
【軌道上微波送電衛星にて誘導制御系の異変を感知. 磁気嵐による中エネルギー粒子と交差. 静電気放電, 駆動系に一部軽微不良, 電力系統に問題発生】
もし、この加圧プラントに何かあったら。
【電力制御不良, 大規模電力供給不可, メインコンピューターが強制シャットダウン. 姿勢制御不能】
【サブコンピューターへの移行, 軌道修正開始】
廊下をすれ違う周りの職員は胸を撫でおろす。
【軌道修正中―廃棄後漂流中軍事用デブリに接触, 第一宇宙速度を喪失, 地球周回軌道から逸脱】
脂汗が額を伝う。
【地球大気圏突入シーケンス移行, 落下予測地点──当海洋研究所、AEJISメガフロート全域。衝突まで、残り90秒】
落下が90秒?あまりにも短いー
フルスケールテスト。
それは上空も含めた大気の吸入を意味していた。
海上はタイフーンの影響を少なからず受ける。フルスケールテストはそれらを加味し異常な風圧を耐えうるかのテストだ。
自力でタイフーン以上の風を起こし吸入、いやおかしい、耐久試験のため自力で大規模な風を再現することは可能。だが大気圏上空のものを吸入するような強力な機能は存在しないはずである。
【軌道上微波送電衛星, 大気圏での完全焼却に失敗. 残存質量約4トン. ……激突まで, 70, 69, 68……】
指示した記憶のない量の吸入。
異常な機能、今まで知らなかった機能、作成したことのない機能。
自分が今はこの部門のトップである。
飾りかもしれない、皆より賢くないかもしれない、でもトップである。
誰が、いつ、どんな機会にこんな機能を。
制御室へ向かう途中あまりにも顔色の悪い研究員がいた。
聞いている暇はない。もし、もし、何か知っていたとしても、聞くより先ずは対処しなければ。
体は動いていた。
【衝突まで―】
――――――――――――ド―
アナウンスを待つ間もなく落下した衛星はタービンの吸入により速度を増し異常な速度で落下した。一瞬聞こえた爆発音。鼓膜が破れ何も聞こえない。
衝撃により体は壁に打ち付けられ、視界も不明瞭。
頑強に作られていた加圧プラントは鋼鉄ごとひしゃげ、少し熱にて溶解しかけていることは見て取れた。
青白い光は今まで以上に輝き、炸裂寸前といった光り方をしていた。
意識はあるが、体は動かない。
制御室手前まで吹き飛ばされたことが幸いである。
制御室は目の前、太平洋に浮かぶフロートへの衝突は多大な被害を生み出す。そう、衝突のみではなく、圧縮したエネルギーが放射されることで多大な被害が出る。
日頃からもし何かあれば。上から無茶な精密機械周りの物理的な強化をしようと言われた際も無茶ぶりはやめろよと思いながらも作り上げた制御室。何かあれば何とか食い止めるために作った、使わないはずの制御室。基本制御は観測室で事足りるのに、私はできないやつなりにできることをしたかった。
もしもを打ち消す安全策。
何とか上半身を引きずり制御室に入る。足には力が入らないが腕や胸、使えるものを使って体を起こす。
もう、加圧プラントは限界だった。
青白い光はもはや白にしか見えず、圧縮したエネルギーが漏れ始め風が吹き荒れている。
風を吸入していた装置は見るも無残に壊れており、エネルギーの反転による風は暴風と化していた。フロートは傾き、大きく揺れている。このままでは衝突と反転エネルギーによる力により世界規模の津波が発生する。
私にできる最後のことはハイドロフィンによる衝撃の相殺のみ。
制御装置を確認する。
ありがたいことに、運が味方をしたかハイドロフィンは衝撃を海で緩衝することができていたようで機能は生きていた。
すでに波は発生している。衝突の津波は軽微なものだが加圧プラント内の貯蔵エネルギーがすべて吐き出されたら話にならない。
ハイドロフィンを順行させることで波を引き受け、深海にエネルギーを送り込む。
津波のリスクはあるが、極力下に押し込み、アリューシャン海溝で衝撃を抑える。
自分は犠牲になってもいい、と覚悟していた。
自分は大した技量もない、頭脳もない。だが、それでも付いてきてくれた人もいた。何とか、彼らにかっこつけたかった。真の意味で。皆が生きているかはわからないが自分が衝突の付近で生きていたのだ。大丈夫。
光が放たれた。
全身が痛い。体は割かれるように痛い。
だが、ハイドロフィンのレバーをしっかりと握り。
おろしていた。
【被害は最小― 海―研―――構A―ISの機能,0ー
―西暦2012年12月24日0時03分
世界中の誰もが気付くかどうか、数ミリ秒の停電と、風が世界を包んだ。




