第三話:溶けない甘み、冷たい指先
放課後、第七特区の巨大な立体モールは、大勢の学生たちで賑わっていた。
空間全体が柔らかな光と、計算し尽くされたリラクゼーション用の微弱なマナに満たされている。
「んーっ! やっぱりこの限定ベリー味、最高! マナの配合率が絶妙なんだよね!」
吹き抜けのテラス席で、ミーナが歓声を上げた。彼女の手には、パステルカラーの美しい層を描く『溶けないアイス』が握られている。
魔導工学の恩恵であるこのスイーツは、周囲の熱を完全に遮断する極薄の結界術式でコーティングされている。どれだけお喋りに夢中になっても、手がベタつくことも、ドロドロに溶けて形が崩れることもない。
ルーゼも自分のバニラ味を一口かじった。
完璧な冷たさ。完璧な舌触り。そして、百点満点の甘さ。
「美味しいね」
「でしょ? ……って、ルーゼ、またそういう顔してる」
「え?」
「『美味しいけど、なんか違う』って顔。今朝のトーストの時はあんなに幸せそうだったのに」
図星を突かれて、ルーゼは苦笑いした。
確かに美味しい。でも、十分経っても角の一つすら丸くならないこのアイスを食べていると、まるで冷たい魔導樹脂の模型を齧っているような気分になってくるのだ。
(急いで食べなきゃ溶けちゃう、って焦るから、冷たくて美味しいのにな)
そんな不器用な感想は、この最適化された世界ではただの「非効率なノイズ」でしかない。ルーゼはそれ以上何も言わず、完璧な形を保ち続けるアイスをゆっくりと飲み込んだ。
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「じゃあね、ルーゼ! また明日!」
「うん、バイバイ!」
夕暮れ時。交差点でミーナと別れたルーゼは、心体強化を繋いで自宅のアパートへと滑走した。
主星アルティアの夕焼けは、気象制御タワーによって毎日「最も美しいと統計的に証明された茜色」に調整されている。絵画のように完璧な空の下を風を切って進むうち、ルーゼの指先は少しだけ冷たくなっていた。
自分の部屋に帰り着くと、ルーゼは空間端末をオフにして、キッチンに立った。
夕食の支度だ。壁に備え付けられた「全自動調理機」のボタン一つで、栄養素が完璧に計算されたディナーを出力することはできる。でも、ルーゼはあえて冷蔵庫から不揃いな野菜を取り出した。
トントン、トン。
まな板を叩く包丁の音が、静かな部屋に響く。
少し不格好に切れたニンジンやタマネギを鍋に放り込み、魔導熱機の出力をマニュアル(手動)で調整する。
やがて、コトコトという不規則な音とともに、鍋から白い湯気が立ち上り始めた。
野菜の甘みと、コンソメの少し焦げたような匂いが混ざり合う。
「……うん、いい匂い」
冷え切っていた指先を、立ち上る湯気にかざす。
火の熱。不格好な野菜。焦げるかもしれないという失敗の可能性。
ルーゼにとって、この「予測できないアナログな時間」だけが、息の詰まるような完璧な世界で呼吸を整えるための、大切な儀式だった。
換気のために、バルコニーの窓を少しだけ開ける。
外の冷たい空気が流れ込んできたのと同時に、ルーゼの視線がふと下へ向いた。
アパートの中庭。
夕闇が迫る薄暗い街灯の下に、一体の『稼働者』が立っていた。
清掃用具も持たず、ただそこにあるだけの白い人形。
(……今朝の?)
学府の門で見かけたのと同じ機体かは分からない。どれも同じのっぺらぼうの顔だからだ。
しかし、その稼働者は中庭を掃除するわけでもなく、ただゆっくりと首を持ち上げ、三階にあるルーゼの部屋のバルコニーを――正確には、ルーゼの顔を、じっと見上げていた。
瞬き一つしない、空っぽの顔。
ルーゼが息を呑んで一歩後ずさった瞬間。
ピキッ、と。
ルーゼの背後にある鍋の魔導熱機が、不自然な音を立てて火力を跳ね上げた。
同時に、頭上の空を覆う『軌道環』が、今朝よりもはっきりと、青白い閃光を放って明滅した。
空間全体のマナが、一気に「無秩序」へと傾いていく感覚。
ルーゼの足元で、白亜の路面を蹴るのとは違う、世界の底が抜けるような不協和音が鳴り響いていた。




