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冷たい雨、温かなお風呂。

 その後の会話はよく覚えていない。気が付けば私は店の地下を飛び出していた。顔も姿も知らない、その勇者だったものを探す為に走り出していた。さきほどまで長年の間、ぽっかりと虚空になっていた心のその穴は、今は憎しみやら怒りやら得体の知れない感情に埋め尽くされている。頭ではわかっている。それは前世のもので、今日まで平々凡々に生きられてきた私には、同じフーリでもこの茅水封理には、関係ないということも。だけど、そうなんだけれど。私はただ胸の奥で滲む奥底の見えない感情に支配され、その脚で地面を蹴り続けている。行きつく果てに幸せなどないとわかっていながら―…。


「お待ちなさい。茅水封理。」


 いつの間にか雨が振り出していた。濡れて制服が透けることも厭わず、私はただ走り続けていた。ぼーっとした頭の中、思い出す。あの日も、私が死んだ日も雨の中を必死で走り続けていたことを。あのときも、今も。目的はあれども、目的地はないままに走り続けている。そして、あのときも、今も。誰かが私を呼び止める。なぜ、皆私の邪魔をするのだろうか。


「そんな酷い恰好でどこへ行きますの?風邪ひきますわよ?」


 呼び止めた女のほうを仕方なく振り向く。なんだ、いつぞやの嫉妬の魔女Aではないか。まだ私に何か用があるのか。


「別に。あなたがあまりにも必死に走っているので、気になっただけですわ。…それにしても酷い顔ですわね。何かありまして?」

「あなたに話すことなんて何もないわ。それより…いや、なんでもない。」


 勇者の居場所を尋ねようとして、気付く。そういえば、私は勇者の名前を知らない。


「変な茅水封理。」


 この嫉妬の魔女Aは何故私のことをフルネームで呼ぶのだろうか。なんにせよ、これ以上の会話は時間の無駄だ。まだ邪魔をするなら消してやろうか。


「構いませんわ。どうせ抵抗しても、私ではあなたには勝てませんもの。それに、私ひとり居なくなっても、誰も困らない。」

「…お嬢様のくせに、随分と卑屈なことを言うね。」

「私は養子ですから。実際、いなくなっても困りませんわ。そんなことより、茅水封理。このままでは本当に風邪をひきますわよ。うちに来なさい。」


 半ば強引に私の手を取り、引っ張っていく嫉妬の魔女A。そういえば、この女はどうして私に勝負をしかけてきたんだろう。その理由は聞いてなかった。


「私の話はどうでもいいですわ。それより、雨が強くなってきました。…走りますわよ。」


 より一層強く引っ張られる。そんなに引っ張らなくても、私は自分で走れる。ただ、目的地がわからないだけで、さっきまでずっと走っていたのだから。




 かぽーん―…。


 という音からわかる通り、私はいまお風呂に入っている。なぜかって?それは隣の嫉妬の魔女Aにでも聞いてくれ。

 …なんでそいつと一緒に風呂に入っているのかって?それも隣の嫉妬の魔女に聞いてくれ。


「人のことを魔女だなんだと失礼ですわよ。私にはちゃんと天宝治 クリスティーヌン(てんほうじ くりすてぃーぬん)という名前がありますわ。」


 クリスティーヌン。癖の強い名前だ。ヌンってなんだよ、ヌンって。


「人の名前をいじるのは失礼ですわよ。茅水封理。」


 クリスティーヌンは浴槽から立ち上がりながら言う。しかし、この女。なんつースタイルの良さをしてるんだ。勝負のときにびしょ濡れにしてやったときも、スタイル良いなとは思っていたが、生で見るととんでもない。私も自身があるほうだけど、そんなの比じゃないほどにとんでもない。何を食べたらこうなるのか。お嬢様だからいいサプリとか飲んでるのか。


「そんなにじろじろ見られると恥ずかしいですわ…。」


 意外にもしおらしい仕草を見せるクリスティーヌン。恥ずかしいなら一緒の風呂に誘うなよ。


「だって仕方ないでしょう!あなたも私もびしょ濡れだったんですもの。まずは一刻も早く温まる。女の子は身体を冷やしてはいけませんわ。」


 それは先日ずぶ濡れにしたことへの遠まわしな文句と受け取って良いのだろうか。


「あれは勝負の結果ですもの。あなたは悪くありません。」


 クリスティーヌン、意外と分別がある。育ちがいいお嬢様だからだろうか。しかし、お嬢様と言う割に連れてこられたこの家は、どうみても一人暮らしのアパートだ。…複雑か?


「まあ、所詮私は養子ですもの。なかなか子供に恵まれない今の両親に引き取られ、しばらくして両親には本当の子供が産まれた。そして私は不要になった。…よくある話ですわ。」


 お嬢様と一括りにラベリングしてしまっていたが、彼女にもいろいろと事情があったようだ。かりそめのお嬢様。それが、天宝治クリスティーヌンの正体らしい。


「私の話はどうでもいいですの。あなたの話を聞きたいですわ、茅水封理。どうしてあなたはそんなに苦しそうですの。私で良ければ聞きますわよ。」


 長いゴールドの髪を洗いながら、クリスティーヌンは水を向ける。


「いや、いい。」


 私は即答しながら湯の中に沈む。だって話すのが面倒だもの。そんな時間があれば、憎き勇者を一刻でも早く探し、見つけ出したい。


「本当に頑固ですわね、茅水封理。あなた、噂ではなんでもできる才色兼備って聞きますけど、そうやってなんでもひとりで決めつけて解決していると、頭カチコチの頑固ババアになってしまいますわよ。」


 決めつけているのはどっちだよ。この頑固お嬢様め。


「たまには人に頼りなさい、茅水封理。少なくとも私は、そんな顔をしている人間を放ってはおけません。それに、風呂は心の洗濯とも言います。一度言葉にして洗い流すことで、自分でも気づけなかったことに気付けるかもしれませんわよ。」


 再び湯の中に潜る。頭の先まで温もりが覆い、冷え切った心と身体が少しずつ温まる。…私、まだちゃんと生きているんだな。温かいと感じられるなんて。


「探している人がいるのよ。」


 小さく深呼吸するついでに、言葉にする。


「探している人?誰ですの?」

「知らない。勇者っぽい人。」

「…なんですの、それ。名前は?」

「知らない。」

「…あなた、誰を探していますの?」

「知らない。」


 私がした深呼吸の数倍の大きさで、クリスティーヌンが溜息をつく。そりゃそうなるよ。私が聞き手でも同じリアクションをすると思う。


「まさか、こんな人に勝とうとしてただなんて…。人選ミスでしたわ。」

「なに?あなた、嫉妬で勝負してきたんじゃないの?」

「嫉妬?私が?誰に?」

「…知らない。」

「また『知らない』ですの?それとも自分に嫉妬していると誤解していたことが今更おこがましく思えまして?」


 図星である。意外と勘もいい。


「…まあ、嫉妬というのもあながち外れではないかもしれないですわね。私があなたに勝負を挑んだのは、自分に自信を持ちたかったからですの。あなたの、茅水封理の強さは有名ですもの。その茅水封理にもし勝つことができたなら、私も少しは胸を張って生きれる気がする。そう思ったから勝負を挑んだんですわ。…本人相手にこんなことを言うなんて、私のほうが恥ずかしいですわね。」

「うん。」

「…あなたって人は。まあ、いいですわ。でも、あなたには謝らなければなりませんね。私の勝手な都合で勝負を持ちかけて、迷惑をかけて申し訳なかったですわ。あなたにあっけなく負けてみて、私が如何に身勝手な理由だったか身に沁みましたの。いつか、謝らないとと思ってましたの。」

「…あなた、いい人ね。いい人すぎる。この先痛い目見るよ。」

「構いませんわ。あなたに負けた今なら言える。これが私ですもの。」


 クリスティーヌンは胸を張る。…横から見るとすっごいな。


「…どこを見てるんですの?」

「知らない。」

「…もういいですわ。」


  気が付けば、私は少し笑っていた。心の奥底から溢れる感情は、溢れてなお洗い流されていた。そうか、私はまだ人でいられるんだ。暗い気持ちに呑まれても、まだ這い上がることはできるんだ。だったら、今は、今だけは。この湯の温かさに心を預けよう。復讐の化身になり果てるまでの、ほんの少しだけでいいから…。

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