黒猫は笑う
「ネフィさん、その孤児院を経営していた女性は、なぜ亡くなったんですか?」
ネフィルは伏せていた目を開けた。
「事故って聞いたけど?あんなごうつくばりの、殺したって死なないような婆さんでも、交通事故なんかで死ぬんだなって、ちょっと意外だった。」
交通事故。
ここはまだ接地走行タイプの車が舗装道路を走っているわけで、ざっと調べたところ地球の状況とよく似ている。
「口が悪いですよネフィ。」
やれやれと首を振って、カイはネフィルの胸に前足を突っ張り、彼女の目を見上げた。肉球に、柔らかくボリューム感のある感触が心地よい。
「それ、ほんとに事故ですか?」
「はあ?」
ネフィルはキョトンとした表情を浮かべた。
「偶然にしてはタイミングが良過ぎますよね。そう思ったことは?」
「まっさかぁ、そんなわけ…」
言いかけて、ネフィルは言葉を飲み込んだ。急に青ざめたみたいだ。
「何か思いあたることが?」
「…轢き逃げだったの。それが夜中のことで。ごうつくばりだけど、規則正しい生活をする婆さんだったから、夜中に外出するなんてことはなかったんだ。」
「それだけでは何とも言えませんが、故意の事故であった可能性はありますね。」
断言はできないが、偶然というには不自然である。
「あなたを狙撃したのは、多分軍人です。スナイパーとしての訓練を積んだ人物ですね。」
退役か現役かはわからないが、まだ30代に見えた。動きを見る限り現役だろう。
つまり現役軍人を使い、誰も知らないはずのネフィルの変身した姿を知っている誰がが彼女を殺そうとした。
ネフィルは無言で頷いた。予期していたみたいだ。
つまり、誰1人信じられないというネフィルの考えは完全に正しい。
カイは抱擁からするりと抜けて、四つ足で浴槽の縁に立った。
尻尾が〝?〟の形に揺れる。
今この瞬間も情報収集と分析を続けているが、異世界だけにカイの世界とは細かな相違点が多く、どの情報に意味があるか、若しくは無視出来るかの仕分けが難しい。
カイとしては認めたくないが、あまりにも膨大すぎる情報に手こずっているのだ。
だからまだわからないことが多い。
しかし。カイが感じているある違和感と疑惑は、すでに確信の域になっていた。
このままでは…。
皇帝はお飾りだが、皇室勢力が権力の中枢と密接に絡んでいることは理解できた。この国には、貴族制度はない。しかし、皇室に連なる者が即ち貴族階級ともいうべき階層を形成しており、経済と政治、軍、さらに宗教を掌握している。
つまり皇帝はお飾りでも、実権は皇室勢力が握っているわけである。
〝あったな、連邦にもこういう国〟
カイにとっては、これ自体は珍しい国家形態ではない。
皇室勢力にもいくつか派閥があり、お互いを牽制することによって逆に権力基盤を固めることに成功しているようだ。
だが、今回のガイロア侵略のために、その均衡は崩れ始めている。
これは、全惑星規模で進行中の事態だ。ガイロアは世界中で同時多発的に現れたのだから。
〝それで誰が得をした?〟
その点はまだはっきりしてはいない。
この惑星にもたくさんの国家があるし、有力な宗教も複数存在する。今のところ具体的な証拠は何もない。
だが、カイはかなり前から確信していた。
ガイロアの侵略。
これは何者かによって仕組まれた陰謀であると。
理由はいくつかある。
公式に記録されているガイロアの種類だが、どこかの生態系がそっくり転移してきたみたいだという最初の印象は間違いではないらしい。
しかし、ガイロアの大きさや種類に一定の条件があるようなのだ。
主として陸上に生息している生物の一部、ある一定のサイズに限定されている。
鳥類や魚類が存在していないらしいことなど、他にも何らかのフィルタリングを感じさせる。
例外は、航空機を落とすと言われる空の脅威と、船舶を沈める海の怪物なのだが。
カイは陰謀論者ではない。しかし、この二つの脅威は、他のガイロアとあまりにかけ離れていると考えざるを得ない。
それらについては、極めて断片的な情報しか把握されていないのである。
海と空の脅威に直接遭遇したものは、誰1人として生還していないからだ。だからあまりにも情報が少なくて、そのような怪物が本当に存在するのかさえ疑いたくなる程だ。
〝存在はするだろうね。生き物じゃないけど。〟
カイの見るところそれはシステムだろう。
軍事衛星や、地上に張り巡らされた通信網と連動したレーダー網及び攻撃手段と、それらを何重にも隠蔽するため構築された、かなり精巧なシステムである。
入念な準備期間と莫大な投資を必要としただろうが、それなりの見返りはある。
仮に何者かが、ガイロアの脅威に乗じて惑星全土の制空権と制海権を掌握したなら、そのメリットは計り知れない。
そして、この神殿を覆う、ゴミみたいなシールドの件もある。
カイに言わせればゴミだが、あの神官たちは対ガイロア結界だと信じていたみたいだ。もし、その効果が本当なら、話はかなり単純になりそうだ。
こうなると面倒がってる場合じゃないな、トカイは思う。
時間はあまり残されていない。
この不可解な事態にネフィルがどう関係しているかはわからないが、無関係ではないという奇妙な確信があった。
理由はカイがネフィルに感じている、ある種の違和感めいたものだが、ここまで彼女を観察してきて、そのことを彼女自身が自覚していないらしいのはわかった。
「時空の歪みの焦点、又は特異点か。」
ふと、そんな言葉がカイの口から漏れた。連邦標準語だから、ネフィルには何のことかわからなかったはずだ。
いや、ここの言葉だったとしても同じか。
カイ自身にもまだ全体像は見えていないのだから。わかっているのは、陰謀の中に別の陰謀があり、其々の黒幕含め誰1人全貌を把握してはいないという事実だ。
「何か言った、カイ?」
「あー、そろそろ果樹園に行きたいかなーって。お腹空いたので。」
ニンマリとチェシャ猫の笑みを浮かべてカイが答える。猫は普通笑わないものだけど、カイは猫ではないのだ。
「えー?もうお腹空いたの?あんなに食べてたのに、カイったら!」
「果物ってすぐにお腹空くじゃないですか。お風呂も入ったことだし。」
「それもそうね。わかった。行きましょ。」
ネフィルは、思い切りよく立ち上がって浴槽から出た。どこかを隠そうなんて発想は全くないらしい。ザバン、と水飛沫が舞う。胸の辺りの豊かな膨らみがぷるんと揺れて水滴を弾く。
〝なんか、桃みたい、このひと〟
柔らかで、引き締まってはいるけどどこまでも嫋やかな感じが似てる。
特に感慨もなくそう思いつつ、カイはいつもの癖で危うく人型に変身しそうになったが、寸前で思い止まった。
普段は風呂上がりの姫さまの体をバスローブで包み、長い黒髪をまず軽くタオルドライするのがカイのやり方なのである。
これは、当然だが猫の姿ではできないのだ。
〝今頃どうしてるかなあ、姫。また無茶してないといいけど〟
ま、今日はウマもヘビもいるはずだし、多少何があっても大丈夫だろう。
あ、ご主人さまも家にいたよね珍しく〟
だったら何があっても問題はない。
カイは目下、休暇中の身である。
だから、今は目の前にいる異世界のお姫様に集中するとしよう。
それと、果物♡
うーん楽しみ♡
食べたことのない果物なんて、本当にワクワクもの。
カイの世界では、広大な連邦の各地から首都惑星へと、膨大な物質が流入する。当然大量の各地特産品が含まれるけど、やっぱり現地で遭遇する見知らぬ食べ物っていい。
それを美味しくいただくこと、これこそ生身の生き物に生まれた幸せだと、カイは信じているのだ。
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次回も宜しくお願いします。




