聖なる遺物?
カイが消えた床を見つめて、ネフィルは少し放心状態に陥った。
〝返事する暇もなかった。ううん、返事なんか期待されてもなかったってことかな〟
ここにいろと言われたけど、ネフィルとしては、何かが起きるその場にいないといけない気がする。
他でもない、自分のことなのだから。
でも…。
ネフィルはため息をついて、浮かせかけた腰をソファに戻した。
自分がいたらカイには邪魔だ。
足手纏いにしかならないことはわかっていた。カイには言わなかったけど、ネフィルには小動物に変身する以外にも出来ることはある。
相手が刃物を持った強盗とか暴漢程度なら何とか、自分の身を守ることくらいはできるのだ。
あの孤児院の院長は能力を詳しくは知らなかったが、それでもネフィルに〝薄気味悪さ〟は感じていたので、子供のうちに売られないで済んだ。
とはいえ、監視役の神官たちを圧倒するだけの力はない。あの2人は神官と称していたけど多分軍人だろう。
ナギという乳母もそうだ。
それにここから出ても行くあてなんてなかったし、マイクロチップの存在も足枷になっていたから、どうしようもなかった。
逃げても、無駄だったから。
カイは、多分全部気付いていた気がする。
容易く監視機器をジャックして支配下に置き、罠に使った画像を生成する能力。
ライフルの弾丸だけでなく、ミサイルの直撃からネフィルを守った強力なシールド能力は無論のこと、あんなシールドがなくても、カイだけなら怪我もしなかったのだろうと、彼女は確信していた。
理由のわからない奇妙な確信だった。
だけど、間違ってはいないと思う。
カイは強い。想像もつかないくらいに。
どこかよその世界から来た軍人で、ご主人様と呼んでいる偉い人に仕える騎士だとも聞いたけど、それだけではないのだろう。
見た目は普通の猫というか、果物好きのヘンな猫だ。どこか抜けているようで周到だったり、涙もろいかと思うと冷酷だったりして、よくわからない部分がある。
そしてカイからは何の力も感じられない。
まるで凪いだ海のように。
それはどこまでも底知れない静けさである。
カイを怖がるべきだったかも知れない、とネフィルは今更ながらに気付いた。
勘の良さには自信がある。だからあんな環境でも、危険を避けて生きてこれたのだ。
孤児院はいわゆる低所得者層が多く住む地域にあり、治安は良くなかった。
それが。
〝気が付いたら、自分から罠にかかってた…。やっぱバカだよね、私。〟
ネフィルはフッと息を吐き、スクリーンに目をやった。
車列は神殿の正面入り口近くに次々停車した。
吹き飛んだ神殿の瓦礫が広範囲に散乱しているから、それが比較的少ない場所までしか車は入れないだろう。あとは歩くしかない。
駐車した車両から人が降りて来た。バラバラと散っていく数人は周辺警備に向かったのだろうか。戦場でもあるかのように完全武装していて、携行した武器を隠すそぶりもない。
廃墟の如き瓦礫には似つかわしいといえる。
更に何人かが降車して、最後に2人の男が車外に出た。
元皇帝つまりネフィルの生物学上の父親と教皇である。その周りをガードするように、護衛官たちがフォーメーションを組む。訓練された無駄のない動きだ。
武器を携行した男たちが5人。
魔導師らしきものが5人。
元皇帝と教皇それぞれの後ろにいる2人は側近なのだろう。ネフィルも以前見かけたことがある。
上背があり肉付きが良すぎるスーツ姿の方が元皇帝の筆頭補佐官で、小柄な痩せぎすが教皇の秘書官を務める枢機卿だ。
容貌や着衣には全く共通点がなかったが、
2人ともに貼り付けたみたいな無表情がそっくりだった。
周囲の警戒のため散った数名と合わせて、総勢で20人あまりか。
「着弾点は、この裏手になります。」
と、元皇帝の側近らしき男が説明した。
「ひどい有様ですな。われわれリナクサス教にとっては、大変由緒ある場所なのですが。」
正面入り口辺りから神殿を見上げて、ローブ姿の教皇がやれやれと嘆息してみせるが、元皇帝は返事の代わりに軽く頷いただけだ。
彼らの力関係は、意外にも元皇帝の方に傾いているらしい。リナクサス教信者の総数は、この皇国の人口の3倍以上あるはずなのだが。
「建物が崩れる恐れがありますので、外から迂回なさった方が。」
太った補佐官が進言するが、元皇帝は無言で首を横に振った。言葉にして答えたのは教皇だ。
「いや。このまま行く方が早い。我が国最高の魔導師達も居るから危険はあるまいよ。」
「は。仰せの通りに、猊下。」
一行は散乱した瓦礫を避けつつ階段を登り、神殿に足を踏み入れた。
ネフィルは呆れて首を振った。
カイはどうやってこの鮮明な画像と音声を中継しているのだろう?
どんな方法にしても護衛官たちや、魔導師たちに気付かれないなどあり得ない。
教皇が我が国最高の魔導師というなら、それは世界一の魔導師ということである。
「しかし、ネフィル姫のあの遺言は真実なのでしょうか?」
低い声で教皇が元皇帝に囁いた。
「わかりませんな。あれは死を悟った小娘の妄想に過ぎないのかもしれない。だが猊下、あのドラゴンを貴方もご覧になったでしょう。あれをどう説明されますかな?」
教皇は首を横に振った。
「あんな存在は、聖典にも触れられたことはございません。ですがネフィル姫は、あれの存在を知っていたということになります。しかもそれを呼び出せるという聖遺物を一体どこで手に入れられたのか。」
「娘は、言っていたではありませんか猊下。〝聖なる場所〟と。ならばそれは、この神殿の近辺に違いないでしょう。」
〝そう、合成画像の私はそう言ってた。〟
と、ネフィルは内心頷いた。
画像の〝皇女ネフィル〟は、超特大の真珠のような白い球体を持っていたが、現実のネフィルとしてはあんなものを今までに見たことがない。
それがドラゴンを呼び出せる聖なる遺物であると、〝皇女ネフィル〟は告げていた。
〝そんなもの、あるわけないじゃない。だけど本気にしたからこんなに急いでここへ来たってことよね。コイツらどこまで欲張りなんだろう。〟
しかも2人で来たのは、おそらく相互に相手を警戒し牽制したからに他ならない。
これは多分そうなるだろうと、カイが予測していた通りだ。
「しかし、なぜまだその遺物が無事だとお考えなのですか、シドルーフォス公?」
懐疑も露わに教皇が訊ねる。
内部構造がほぼ吹き飛んだ神殿の惨状を見る限り尤もな疑問だった。
「我が娘ネフィルは、猊下もご存知の通り、卓越した力の持ち主でした。その娘が、聖遺物を元あった場所に返したと言ったのですよ。それがどこだとも明言はしなかったが、あの娘の行ける範囲など知れている。更に、ドラゴンを召喚出来るほどの力をもつ強力な遺物ならば、砲撃などで破壊されるはずはないと仰ったのは、猊下の魔導師だったのでは?」
「まあ、そうなのですが、直撃を免れればというほどの意味ですから、万が一…。」
ネフィルが死んだとき、身につけてでもいたら無事で済まなかった恐れがある、と教皇は報告を受けていた。それは元皇帝シドルーフォス卿も承知のはずだ。
〝とにかく破壊されていないのなら、この男より先にそれを手に入れなければならない。〟
と、教皇は思った。
計画の段階でも、長い準備期間中も、こんなはずではなかったのだ。
いつのまにかシドルーフォスに主導権を握られていた。
『鍵』を作り出す計画では、卵子の潜在能力のみが重要だったから、精子については、胎児がまともに育ちさえすればどうでも良かったのだ。
だから、適当に調達するはずだったのだ。
ところが…!
忌々しい。あまりにも。
教皇は、密かな殺意を込めた目を伏せた。
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