書庫の記録
ロイが実家に帰省したのと同じ週末、クラリスは王宮内の書庫を訪ねていた。
案内してくれたのは、王国文官長である彼女の父だった。
「……本来なら、許可なく閲覧はできんのだが。君は王太子殿下の参謀でもあるし、特例ということでな」
父はそう言いながら、鍵のかかった小部屋の扉を開けた。
書庫の奥にひっそりと佇むその部屋には、古文書や整理されていない記録類が、埃をかぶって積まれている。
「お前の祖父が残したものも、いくつかこの中にあるはずだ。探すなら手袋を忘れるなよ。どれも古い紙だ、扱いは慎重にな」
「ありがとうございます、父様。丁寧に見ますね」
クラリスは一礼し、静かに部屋に入って扉を閉めた。
狭い室内には、古いインクと紙のにおいが染みついていた。王家の記録を辿るには、この中のどこかに手がかりがあるはずだと信じてここに来た。
――レオン殿下が言っていた「先代国王の罪」。
その“罪”とは具体的に何だったのか。それが本当に“王家の呪い”に繋がっているのか。
それを知りたかった。
クラリスは無数の記録の山から、年代ごとにまとめられた記録簿をひとつずつ開いていった。王政の施行記録、軍務関連、神殿からの報告書、貴族会議の記録……。
読みながら、ふと気がつく。
王が即位してから数年は、記録の内容に特に異常はなかった。慎重な政策判断、民の声を拾い上げる施政方針、隣国との穏やかな外交。
だが、ある時期を境に――それは、即位から五年目あたり――記録の調子が急変していた。
突然、近隣の国々との協定が打ち切られ、交渉を経ずに軍の展開が始まっている。
中には、「武力制圧」「捕縛」など、政務記録とは思えないほど荒々しい文言も見つかる。
同じ時期、国内でも不穏な空気が漂っていたようだ。貴族間の抗争、領地返還命令の乱発、神殿との対立。
――何があったの……?
クラリスはページをめくる手を止め、眉を寄せた。
急激な政策転換。説明のない軍の動き。
会議記録では、貴族たちの異論が封じられた様子も読み取れた。反対意見が議事録に残されず、「一同賛成にて可決」とだけ記されている。
やがて、ページの隙間に何かが挟まっているのを見つけた。
丁寧に取り出してみると、それは装丁もない、個人の手による私的な記録だった。筆跡に見覚えがあった。祖父のものだ。
クラリスは息を整え、静かに読みはじめた。
⸻
誰かに話すつもりはない。ただ、これは自分のための記録として残しておく。
陛下は、ある時期から明らかにおかしくなられた。言葉や判断に一貫性がなく、突発的に怒り、
それまでのご方針や信念を覆すような命令を下されるようになった。
最初はご病気かと疑った。だが、そうではない。あの変化には、明らかに“他者の意志”が混じっていた。
疑念を拭うため、私は多くの文献を調べ、国外の古塔からも資料を取り寄せた。
そして、行き着いたのが“精神魔法”だった。
この国では禁忌とされ、今や使える者もいないとされる術。意志や記憶に干渉し、人の行動すら変えてしまう。
もしそれが、陛下に――いや、王宮の中で密かに使われていたのだとすれば、すべてに説明がつく。
証拠は、ない。確信も、ない。だが私は忘れないよう、ここに記しておく。
⸻
クラリスは息を呑んだ。
手元の紙は薄く、端が擦り切れていた。だがその文面は、あまりにもはっきりと“何か”を語っていた。
精神魔法。
それは確かに、今の魔法理論にも歴史にも残っていない、失われたもののはずだった。
クラリスは記録を閉じ、手帳にメモを取りながら、もう一度記録全体を丁寧に見直していった。
祖父は確かに何かに気づいていた。だが書かれていない。
――犯人の名も、目的も。
ただ、狂った“陛下”と、それを覆い隠すように動いていた“何か”の存在だけが、そこに刻まれていた。
書庫の時計が時を告げる音が響く。
静かに息をつき、クラリスは立ち上がった。
それを読んだことで、何かが分かったわけではない。けれど――
胸の奥にひっかかった何かが、今、確かに動きはじめている。




