幻の生物
ドロテア先生の研究室を訪ねると、先生は机の上に広げた書類から顔を上げた。
「どうしたんですか?何か問題でも?」
真面目な顔で立つミレイアを見て、クラリスとティナの様子にも目をやる。
「少しお時間をいただけますか。お話ししたいことがあるんです」
そう言うと、ドロテア先生は書類をまとめ、きちんと姿勢を正した。
「どうぞ、座って。話してごらんなさい」
ミレイアは、朝の出来事を言葉を選びながら丁寧に説明した。召喚学の授業で出会った聖獣と風の精霊が突然部屋に現れたこと、自分だけが言葉を理解できるらしいこと、名前を付けてほしいと頼まれたこと、その名前が契約の印となってしまったらしいこと、そして現在ふたりが部屋で静かに待っていることまで。
話し終えるころには、ドロテア先生の顔色が真っ青になっていた。
「……ちょっと待ってて」
先生は席を立ち、棚の奥から通信魔道具を取り出すと、慣れた手つきで起動した。水晶球の表面が淡く光り、魔塔の召喚生物研究所へと繋がる。
すぐに映像が浮かび、騒然とした研究所の様子が映し出された。複数の白衣の研究員が慌ただしく動き回り、魔道具を調整したり、大きなケージの前で深刻そうに会話をしている。
「ドロテア先生!?……申し訳ありません、今こちら大変な状況でして。急用でなければ後日に――」
「まさに、その急用です!」
ドロテア先生はきっぱりと言い切ると、ミレイアから聞いたばかりの内容を手短に、しかし正確に伝えた。
「な、なに!? 契約しただって!?」
ひときわ大きな声が水晶球を震わせ、思わずミレイアは肩を跳ねさせる。
「そんなはずは……研究所の生物たちは自然の中で生きる個体と違って次元共鳴を起こさない。だから人間と契約なんて、理論上ありえない……!」
「本当に……ごめんなさい。勝手なことをして」
ミレイアが深々と頭を下げると、画面の奥で騒いでいた年配の研究員がやや表情を強張らせながら前に出た。
「いや、それよりも。聖獣や精霊は本来危険な生物です。いくら猫型のクルリや風の精霊が比較的温和とはいえ、あなたのようなお嬢様が扱えるとは……」
言葉を選ぶように言い淀むその声を、別の人物が遮った。
「ウラロスと申します。ミレイアさん、召喚学の授業でお会いしましたね」
若い研究員が映像に映り込んでくる。どこか優しげな目元が印象的な人物だった。
「長年、あの子たちの世話をしてきましたが、あんなに人間に懐いたのは初めてでした。あの子たちは……元気にしていますか? ちなみに、なんという名前を?」
ミレイアは少し照れながらも、はっきりと答えた。
「モフィとスインです!」
その瞬間、研究室の窓辺からふわりと風が吹き込んだかと思うと、淡い光に包まれたふたつの姿が現れた。
「ミレイア!ぼくのこと呼んだー?」
「呼んでくれて、わたし嬉しいの〜」
モフィとスインが当たり前のようにミレイアのもとへ飛び込んでくる。ドロテア先生は目を見開き、通信魔道具の先でもざわめきが広がった。
「……あれ、ウラロスだー!」
モフィが前足を水晶球の方へ向けて振る。
「ウラロス、わたしたち元気なの〜」
映像の中のウラロスが、驚いたように顔を近づける。
「……君たち!? 心配したんだよ。勝手に出て行ったらダメじゃないか!」
「ちゃんと書き置きしてきたよー」
「わたしは行く前に声をかけたの〜」
「黙っていなくなって、こっちは大騒ぎなんだよ!」
どうにも噛み合わないやりとりに、ミレイアが申し訳なさそうに口を挟んだ。
「あの、ふたりは行く前に声をかけたし、書き置きもしてきたって言ってます」
「書き置き……?」
画面の中の研究員が紙の束から小さなメモを取り出す。
「まさか……この、いたずら書きにしか見えない紙か……。君、もしかして、これが読めたりする?」
「ええ、読めます。『ミレイアに会いたいから行ってくる。心配しないで』って書いてあります」
水晶球の向こうがざわついた。
「……こちらで対応を検討し、近日中に伺います。それまでの間、ミレイアさん、そしてドロテア先生。どうかよろしくお願いします」
そう言って通信はぷつりと途切れた。
しばしの静寂ののち、ドロテア先生がようやく口を開いた。
「……色々言いたいことはありますが、あなたなら任せておいても大丈夫そうですね」
ミレイアの足元にまとわりつくモフィと、肩にふわりと乗ったスインを見つめながら、苦笑を浮かべる。
「何か問題があれば、私にすぐに言いなさいね」
「はい!」
ミレイアが元気に答えると、クラリスとティナもようやく動き出した。ふたりとも終始ぽかんとしていたが、ドアを出て廊下に出た瞬間、クラリスが笑いを漏らした。
「なんだか想像以上に見応えがあったわ」
ティナは夢見るようにささやく。
「幻の生物と夢幻の女神さまがわたしの隣にいるなんて……夢みたい」
ミレイアはふたりを見て笑いながら、モフィとスインを抱き抱えた。




