浮かぶ恋
魔法植物学の初回授業は、学園の裏山にある森で行われるフィールドワークだった。
生徒たちは少人数のグループに分かれ、珍しい魔法植物を集めながらゴール地点を目指す。
ミレイアは、レオン、ロイ、クラリスと同じ班になった。
「さすがミレイア、筋がいいわね。観察眼がある」
クラリスがミレイアのメモを覗いて微笑む。
「目的の魔法植物はこれで最後か。ミレイア嬢のおかげで早く集まったな」
ロイも柔らかく声をかけてくれる。ミレイアは少し照れながら「ありがとう」と応えた。
その隣で、何も言わずに歩いていたレオンが、ふとミレイアの顔を見た。
「疲れてないか、ミレイア」
気遣う声音に、彼の不器用な優しさが滲む。
「うん、大丈夫。ありがとう」
やがて、グループはなだらかな斜面を進んでいく。
すると、クラリスが石に足を取られて転びそうになった。
「――ッつ……!」
「クラリス、大丈夫か?」
ロイがすぐに駆け寄って、クラリスの足を確かめた。
「ちょっと捻っただけ……たぶん、歩けないことはないけど」
「おい、無理すんなって。俺が支えて下山する。2人は先に行って先生に伝えてくれ」
「……わかった」
レオンは短く答えると、ミレイアの方を向いた。
「行こう。こっちだ」
レオンと二人きりになったミレイアは、緊張からか、少し後ろをついて歩いていた。
視線を合わせないように、そっと森の緑を眺めて気を紛らわせる。
そのとき。
「あれ……あの花……」
木陰に咲いていたのは、図鑑でしか見たことのない、薄紫の小さな花だった。
幻の花、と言われている希少種。
今ではもう自生していないとされていたはずなのに。
ミレイアは夢中で足を踏み出し、茂みを抜けた。
「おい、ミレイア!」
レオンの声が追いかけてくる。
しかし――
「……ここ、どこ?」
ふと我に返ると、見慣れた道が消えていた。
森の奥に入り込みすぎたのだ。周囲は似たような木々ばかりで、方角すらわからない。
レオンがすぐに追いついてきて、眉をしかめた。
「危なっかしいな……森に入るときは、目印を見て進まないと」
「ご、ごめん……」
その直後、風が一気に強くなる。枝が激しく揺れ、空気が冷たく変わった。
「……雷の匂いがするな。雲行きも怪しい」
ポツリ、と冷たいものが肌に落ちたかと思えば、すぐに大粒の雨へと変わる。
「……さっき小屋を見た。あっちだ」
レオンは振り返って、ミレイアに言う。
「ついてきて。……走れる?」
「うん!」
ミレイアは頷き、レオンの背中を追った。
山小屋に着いた頃には、雨は本降りになっていた。
ふたりは肩で息をしながら、木製の扉を閉めた。
レオンが周囲を見回して、棚から布を取り出す。
「これ。濡れたままじゃ寒いだろ」
ミレイアはそれを受け取って頭を拭き始めたが、レオンが一歩近づいて手を伸ばす。
「……じっとして。俺がやる」
彼の手が髪に触れた瞬間、心臓が跳ねる。
「……だ、だいじょうぶ。自分でできるから……」
「あ、ごめん」
レオンは素直に引くが、どこか残念そうだった。
小屋の中には棚と小さなテーブルと簡素なベンチだけがある。雨が屋根を叩く音が響いていた。
ミレイアは距離を保とうと、そっと壁際へと移動する。
「……学園の裏山なんだし、そのうち誰か来てくれるよ」
レオンが声をかける。
「ロイもちゃんと伝えてくれるはずだ。焦る必要はない」
「うん……。ありがとう」
少しずつ、呼吸が落ち着いてきた。
小屋の中には静寂が戻り、ふたりの距離が目に見えて縮まっていく。
そのとき、レオンが少し黙り、真っ直ぐにミレイアの方を見た。
「……ミレイア」
その声に、ミレイアは顔を上げた。
彼の瞳がまっすぐに自分を捉えている。
「……俺は、君が好きだ」
その一言に、心が跳ねる。
「ずっと思ってた。もっと君のことを知りたいし、隣にいたい。誰かに譲る気もない」
その言葉は、まっすぐで、どこまでも優しかった。
――けれど。
「……ごめんなさい」
ミレイアは、はっきりと言った。
レオンの目が、ショックを隠し切れず大きくなる。
「……そう、か」
彼の声が、わずかに揺れた。
「……なんで、かな。俺のことが嫌いなのか? 他に好きな人でも……?」
「ちがうの、そうじゃなくて……っ」
ミレイアは、唇を噛みしめた。
きっと、傷つけた。
ちゃんと、言わなければいけない。
「……わたし、恋愛感情を抱くと……魔力が暴走するの。自分でも抑えられないくらいに」
レオンの眉がぴくりと動く。
「え……?」
「だから、誰かを本気で好きになるわけにはいかないの」
声が震えていた。
「これ以上迷惑かけたくないし、危ないこともしたくない。だから……あなたの気持ちには応えられないの」
レオンは黙っていた。だが、次の瞬間――
「……ってことは」
ぽつりと呟いたその声には、どこか不思議な明るさがあった。
「入学式の日、俺と目が合った時、風が起きたよな? あれって……」
「……え?」
「昼食のとき、君のナフキンが燃えたのも……最初に手が触れた舞踏会のとき、地面が揺れたのも……」
レオンはゆっくりと、嬉しそうに笑った。
「全部、俺に恋してたから?」
「そ、それは……!」
ミレイアの顔が一気に赤くなる。
「……最っ高だな」
そのひと言とともに、レオンはミレイアの前に立ち、そっと手を伸ばした。
「なら、何も問題ない。危ない目に遭うなら、俺が守る。君の魔力が暴走しそうになったら、俺が止める。君が恋を怖がらなくても済む方法を必ずみつける……絶対に、支えるから」
そして――
「ミレイア。どうしても、君が欲しい」
レオンの腕がミレイアの腰をぎゅっと引き寄せる。
ぴたりと胸元に身体を預けたその瞬間、ミレイアの魔力が高鳴った。
「……殿下、ダメ……っ、危ないかも……!」
「平気。俺は離さない」
ミレイアの心臓が跳ねる。
レオンが、ゆっくりと顔を上げた彼女を、大切そうに見つめた。
「怖がらなくていい」
そのまま、そっと額にキスを落とす。
柔らかな感触。
逃げたいのに、逃げられない。怖いのに、あたたかい。
「ミレイア……」
次の瞬間、彼の唇が、そっとミレイアの唇に触れた。
優しい――でも、熱を帯びた、確かなキス。
その瞬間、空気がざわめき、ミレイアの身体がふわっと浮かび上がった。
レオンの腕の中で、2人は数センチ、床から離れゆらゆら揺らめいている。
「……浮いてる……!」
「殿下……っごめん……魔力が……」
ミレイアが焦りの声を上げようとしたそのとき、レオンはゆっくりと彼女の頬に触れ、にっこりと笑った。
「君って……本当にすごいな。めちゃくちゃ可愛い」
そして、少しだけ顔を離したレオンが、照れくさそうに、でも真剣な目で言った。
「……なあ、もう“殿下”って呼ぶの、やめてくれないか?」
「……え?」
「ミレイアの口から、名前で呼ばれたかったんだ。ずっと」
ミレイアは目を見開いたまま、何も言えなかった。
でも、彼の瞳があまりに真っ直ぐで、拒むことができない。
そっと唇を開く。
「……レオン」
その瞬間、レオンの顔がぱあっと綻んだ。
「……もう一回、呼んで」
「レオン……」
「……たまらない」
ふたたび唇が重なる。今度は、さっきよりも長く、深く――
二人の恋がふわりと浮かび、夕暮れが雨上がりの小屋をそっと包んでいた。




