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38 イザベルの想い

イザベル・イグニッツは、幼い頃から「王妃になるため」に生きてきた。


魔法も学問も礼儀作法も、他の令嬢より先に、深く、厳しく叩き込まれた。

周囲の子供たちが自由に遊ぶ時間を持つ中で、イザベルは一日たりとも努力を怠らなかった。


「あなたにはそれができる」と、父も母も、誇らしげに言った。


5年前――その努力は実を結び、レオン王太子殿下の筆頭婚約者候補となった。


王妃陛下にも気に入られ、お茶会にも呼ばれるようになった頃、イザベルは初めて彼と言葉を交わした。


冷たい目。

すべてを見透かすような、底知れない無関心。


けれど、気づけば目が離せなくなっていた。

――この人の隣に立ちたい。


そう思ってしまった時点で、もう引き返せなかったのだろう。


一年ほど前、王妃陛下に「正式な婚約を結びましょう」と言われたとき、イザベルはついに一線を越えた。


相変わらず冷淡で、何を考えているのかわからないレオンに――自分から抱きつき、関係を迫った。


拒絶されるだろうと思っていた。けれど、レオンは無言のまま、彼女を抱いた。


一夜をともにしたあと、イザベルは思った。


これで、彼もようやく私を見てくれるかもしれない。優しくしてくれるかもしれない……


けれど、違った。


レオンは変わらなかった。

体を許しても、心はどこか遠くを見ていた。


そして耳に入るようになった。

殿下が、近づいてくる女性を抱いては、すぐに冷たく突き放しているという噂が……。


イザベルは、分かっていた。


彼が想っているのは――“彼女”。

かつて婚約者候補だった、ミレイア・ノクシア。


その疑惑が確信になったのは、彼女が魔導学園の魔術科に入学願を出したときだった。

進路は騎士科と決まっていたはずの殿下が、突如として魔術科を選び直したと知った瞬間、すべてを悟った。


だから、イザベルも貴族科から魔術科に進路を変えた。

ただ、一緒にいたかったから。


それでも彼の視線は、ただ一人を追っていた。


どれだけ努力しても彼の心は動かない。

婚約者になってもずっと惨めな思いをするの? 

私……壊れてしまう。


そう思って、イザベルは自ら王妃陛下に申し出た。


「筆頭婚約者候補を辞退したいのです」


父は、烈火の如く怒った。

それでももう、政治の道具にはなりたくなかった。


……けれど。


ミレイアの前でだけ、あの人は優しい顔をする。

自分には一度も見せてくれなかった顔を。


今日、父が騒ぎを起こしそうになったとき――

イザベルは人々の視線を受けながら、毅然とそれを制した。


あの瞬間は、誰よりも王太子妃らしく振る舞えていたと思う。


なのに――

あの人の目には、ミレイアしか映っていない。


イザベルは静かな自室の窓辺に立ち、ゆっくりカーテンを開く。

夜の街の灯りが、静かに揺れている。


「……どうして、私じゃなかったの」


小さな声が、誰にも届かぬように宙へと消える。


忘れられるはずがない。

生涯をかけて、愛したかった人。愛されたいと願ってしまった人。


「……許せないの、ミレイア・ノクシア」


ただ、妬ましくて。

ただ、羨ましくて。


それでも――彼女の優しさやまっすぐさを、憎みきれないのが、悔しかった。


イザベルはそっとカーテンを閉じた。


部屋はまた、深い静寂に包まれた。


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