アゼルの秘密
アゼルがミレイアに想いを伝えた、翌日早朝。
神殿で共に暮らしていた巫女のマーサが、病で倒れたとの知らせが届き、アゼルは学園を休んで王都のはずれにある古い神殿を訪れていた。
静かな神殿の奥、薬草の香りが漂う小部屋。
白い寝具の上で、やせ細ったマーサが穏やかに微笑む。
「来てくれたのね、アゼル。……しばらく見ないうちにまた、立派になったわね」
アゼルは、静かに頷いた。
彼にとってマーサは恩人だった。いや、それ以上の存在だった。
神殿の前に捨てられていた自分を育ててくれた人。
自分の“特殊な魔力”を、初めて肯定してくれた人。
——他人の魔力の流れと、感情の「色」が見える。
それは、周囲から気味悪がられる奇異な力だった。
けれどマーサだけは、こう言ってくれた。
『それは、神の瞳ね。優しい心で見れば、痛みも癒やせるはずよ』
10歳からは神官見習いとして神殿で働き始めた。
ある日、侯爵家から魔力検査に訪れた少女――ミレイアに出会う。計測のために設置された椅子に座り、複数の神官が手をかざして魔力を読み取る儀式に、アゼルも補助として立ち会っていた。
そのときミレイアが見せた魔力と感情の色は、彼の目に焼きついた。
強大な澄みきった魔力。輝く虹のような感情の色。
その後、神官たちは彼女の体質を「恋愛感情によって魔力が暴走する可能性がある」と診断し、彼女の生活に慎重さを求めた。
強い魔力をもち、何不自由なく侯爵令嬢として両親に愛されて育ってきた少女。
異性に触れると命の危険が伴うかもしれないという美しい少女。
あの時から、アデルは彼女のことをもっと知りたいと思った。
――
「マーサ……その、病気っていうのは……」
「ええ、心臓の病でね。もう長くはないわ……。だから……今日、あなたにどうしても話しておきたかったの」
細くなった指が、アゼルの手をそっと包む。
「……アゼル。あなたに、言えなかったことがあるの」
淡々とした声。けれど、その言葉の一つ一つが、胸に突き刺さった。
「あなたを産んだのは、わたしなの。——あなたは、わたしの子よ」
アゼルの瞳が大きく見開かれる。
「……え……?」
「ごめんなさい。本当は、もっと早く言うべきだった。でも……、言えなかった。あなたを身籠った時、わたしには、あなたを守れる力がなかった。神官のシオン様と聖女アリア様が、神殿の子として育てると言ってくださったの」
彼女の目が、どこか遠くを見るように細められる。
「あなたが魔塔に行くように勧めたのも……理由があったの。魔塔は神殿の力が及ばない場所――あのまま神殿にいれば、あなたの父がいつか接触してくるかもしれないと思ったから」
アゼルは、自分の鼓動が速くなるのを感じた。
「……僕の……父?」
マーサは、ゆっくりと頷く。
けれど、その名は語られなかった。
「名前は……今は言えない。でも、あの人は強い魔力を持ち、他人の心を操る危険な存在。神殿にすら影響力を持つ人物よ」
アゼルの記憶の奥がざわめいた。
誰かの視線、誰かの囁きが、無意識に重なっていくような不快な感覚。
「……マーサを、苦しめた人間なんですか」
「……そうね。でも、あのときのわたしは弱かった。助けを求められず、声も上げられなかった。シオン様とアリア様が救ってくださらなかったら、私もあなたも、今この世にはいなかったかもしれない」
アゼルの瞳が揺れる。
「あの二人は、本当の意味で“神のような存在”だった。優しくて、誰よりも強かった。
あなたと同じ年頃の娘もいたの。——ミレイア、という名前だったわ」
その名を聞いた瞬間、時間が止まった。
「……ミレイア?」
「そう。あなたが二歳の頃まで、一緒に遊んでいたのよ。あの子のことが大好きだったわね。いつも後ろをついて歩いて……」
マーサは、目を閉じる。
「けれど、3人は殺されたの。盗賊の仕業だと伝えられたけれど……本当は、違う。あの家族を恐れた誰かが、暗殺したのよ。……私は知っているの。あの男の影が、その背後にあったこと」
アゼルの胸に、静かな怒りが宿る。
「ミレイアは……死んだはず、なんですよね……?」
「ええ、そう聞いていたわ。でも……」
マーサは、ゆっくりとアゼルを見つめた。
「6年前に魔力検査に訪れた“ノクシアのミレイア”という少女。パープルゴールドの髪、濃紺の瞳。両親譲りの強い魔力。あの子と全く同じだった……」
アゼルは言葉を失う。
幼い頃の記憶が、断片となって蘇る。小さな手、小さな声、あたたかい笑顔。
「ミレイアが……?」
「彼女、アゼルが治療を担当しているのよね。きっと……あなたとまた、出会う運命だったのね……」
アゼルは拳を握る。
母から受け継いだ血。自分の中に流れる闇。そして、守りたい光。
「……マーサ。僕は、あの子を守るよ。絶対に誰にも触れさせない。……僕が、全部、背負う」
マーサは、微笑んだ。
「ありがとう。……アゼル。あなたは、わたしの誇りよ」
アゼルは、母の手を静かに握り返した。




