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マナーと教養

午前の最後の授業は「マナーと教養」


「では、実習室へ移動してください。本日は、実践形式で“茶会における立ち居振る舞い”を学びます」


担当する侯爵夫人でもあるセリーナ・マルグリット教諭は、優雅な手振りで生徒たちを導いた。年配ながら姿勢の崩れぬ凛とした立ち居振る舞い。彼女の授業は厳しいが、その美しい所作は多くの生徒が憧れるものだった。


移動した実習室には、数台の白いクロスがかかった丸テーブルに繊細な模様のティーセットが置かれ、季節の花が飾られた華やかな空間が広がっていた。


「私は本日、侯爵夫人として、皆さんをお茶会にお招きした“主催者”の役を務めます。数名の方に“招待客”として前に出ていただき、模範を見せてもらいましょう。その後、各自のテーブルでも実践していただきます」


教室が静まり返った。誰が呼ばれるか、息を飲んで待つ生徒たちのなか、セリーナ夫人がゆっくりと口を開いた。


「まずは……レオン殿下と、クラリス・ハートウェル嬢」


当然ともいえる人選に、生徒たちが小さく頷きあう。王太子であるレオンと、王家の遠縁にあたる公爵令嬢クラリス。完璧な上流階級の代表といっていい2人だった。


ふたりは落ち着いた足取りでテーブルへと進み、招かれた客としての礼を示す。


「本日はご招待いただき、誠に光栄に存じます」


クラリスが優雅に一礼し、続けてレオンも丁寧に頭を下げた。


「侯爵夫人のご厚意に、心より感謝いたします」


レオンは一歩下がってクラリスに手を差し出し、席へと誘導する。クラリスは微笑みながら軽く礼を返し、優雅に腰を下ろした。


「このように、お辞儀の深さや着席の際の一連の流れを、淀みなく行うことが大切ですわ。皆さん、よく見ていてくださいね」


夫人が説明を添える中、ふたりは静かに紅茶を受け取り、香りを確かめてから一口。


「先日、新しく完成したばかりの温室をご覧になりましたか?」


クラリスが声をかける。


「ええ。珍しい花が多く育てられていて、なかなか見応えがありました」


レオンは落ち着いた声で応じる。


「私は、星影百合が特に印象的でした。夜に香りが変わる花など、なかなか珍しい」


「それは興味深いですわね。ご覧になったのは夜ですか?」


「ええ。こっそり抜け出して……といえば叱られそうですが」


クラリスがくすりと笑い、レオンもわずかに口元を緩める。

自然で品のあるやり取りに、周囲の生徒たちは小さく感嘆の声を漏らした。


セリーナ侯爵夫人が満足げに頷く。


「おふたりとも、動きにも会話にも無駄がありませんでしたわ。素晴らしい模範です」


ふたりは一礼して席へ戻った。


「さて、もう一組だけ、手本を見せていただきましょうか」


その言葉を聞いた瞬間、艶やかなローズウッド色の髪を揺らして立ち上がったのは――イザベル・イグニッツ。


「先生、もしよろしければ、私とマリエル・オルコット嬢をご招待いただけませんか?」


隣に立ったのは、イザベルの取り巻きの一人である侯爵令嬢。すでに息の合った視線を交わしている。


「よろしいでしょう、どうぞ」


セリーナ教諭が促すと、イザベルは自信に満ちた笑みをたたえ、堂々と前に進んだ。


「ご招待いただき光栄ですわ、侯爵夫人」


「お会いできて嬉しゅうございます、さあ席にどうぞ」


一礼、挨拶、着席――そのすべてが優美で気高さに満ちていた。


会話の内容までも、完璧に仕上げられている。

イザベルの余裕と高貴な雰囲気に、教室のあちこちから賞賛の声が漏れる。


「さすがね、まるで本当のお茶会みたい……」

「文句の付けようがないな」


一連の実演を終えたところで、イザベルは一呼吸置いて、微笑んだまま口を開いた。


「次は、ミレイアさんにお願いしてはいかがでしょう?」


その声音には、丁寧ながらも明らかな挑発が滲んでいた。

セリーナ夫人がやや驚いたように目を瞬かせる。


「ミレイアさんは、予定には――」


「ですが、きっと皆さまもご興味がおありかと。魔法の授業では素晴らしい才能を見せてくださったけれど、社交の場での“実力”もぜひお見せいただきたいわ」


明らかに“恥をかかせたい”という意図が透けて見えたが、セリーナ夫人は場の空気を読んで了承した。


ミレイアはにっこり微笑んで、

「こういった場は、あまり慣れておりませんが……よろしくお願いいたします」

と迷いなく立ち上がった。


セリーナ夫人がもう一人の名を読み上げる。

「ご一緒にどうぞ。ソフィア・リヴァンス嬢」


小柄で控えめな子爵令嬢のソフィアが、緊張した面持ちで立ち上がる。ミレイアはすぐに横に並び、そっと微笑んだ。


「一緒に頑張ろうね」


その声に、ソフィアの肩がわずかに緩む。


2人はセリーナ夫人の前へ進み、丁寧に一礼をした。


「本日はご招待いただきありがとうございます。春の香りがするようなお部屋ですね。扉を開けたとき、思わず深呼吸してしまいました」


「まあ……素敵な感性ですわね」

セリーナ夫人が微笑む。


言葉は少なくとも、丁寧で温かな空気が広がった。


その後の動作も、ミレイアは美しかった。

カップを持つ角度、相手と視線を交わすときの目の動き、会話の間合い――それは派手ではなく、自然で、どこまでも“品”に満ちていた。


ふと、ソフィアがカップを持ち損ねて小さく揺らしてしまった。緊張が走る。


そのとき――ミレイアはさりげなく、こう言った。


「……ごめんなさい、さっきから私、姿勢がまっすぐすぎたかもしれません。お隣が窮屈に感じてたら、許してね」


ソフィアの目がぱちぱちと瞬いた。

それが、自分への“気遣いの言葉”だとすぐに気づいた。


「……ありがとう、ミレイアさん」


「ソフィアさん、先ほどの詩のお話、続きが気になっていて……よければ、もう少し聞かせてもらえますか?」


意識を逸らし、場の流れを整える自然な“助け舟”。

ソフィアは顔を上げ、小さくうなずくと、ぎこちなさを消して続きを話し始めた。


イザベルの顔が引きつる。


気品と優しさを持つミレイアの姿に――皆が心を打たれていた。


セリーナ夫人が立ち上がり、にっこりと微笑んだ。


「完璧に振る舞うだけが教養ではありません。他者に気づき、優しさを忘れない心が本当の品位を育てます。……よいお手本でした、ミレイア・ノクシア嬢。ソフィア・リヴァンス嬢も、よく頑張りましたね」


拍手が自然と起こった。

静かに席へ戻るミレイアの背中に、誰もが敬意のまなざしを向けていた。

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