森の異変
森の出口が近づくにつれ、空気は重く、ひんやりと湿った淀みを帯びてきた。木々の葉の間から差し込む光さえ、どこか濁っているように感じられる。
「ギン、出口の近くに行くと息苦しくなるって言ってたよね。今もそう?」
子犬の姿から、本来の巨体よりも少し小さな銀狼の姿に変わったギンが、ゆっくりと首を振る。
「僅かに息が詰まるような感覚はある。しかし以前のような何かに捕まれるような苦しさはない。主と契約したおかげかもしれぬ」
「ねえ、ミレイア」
ふいに、ミツがミレイアとギンに割り込むように飛んできて話しかける。
「わたしは、精霊の泉が怪しいと思っているの」
「精霊の泉?」
「森の出口の近くにあるの。最近、無色透明だった泉が黒ずんできて……。半月ぐらい前だったかしら……水の匂いに敏感な水の精霊たちが、森の奥の川辺に住処を移したの。その頃から木の精霊たちの間で原因不明の病が出始めて……」
「泉が怪しい……?」
ミレイアは、目の前で足を止めたギンを見上げる。
「そうか……泉から瘴気が溢れているなら、出口に近づくほど息苦しくなるのも納得できる。我の住処は泉の下流にあった故、知らぬ間に魔力の影響を受けていたのかもしれぬ」
ギンが低く呟いた。
「でも、それなら泉から離れた森の奥に住む木の精霊が体調を崩したのはどうして?」
ミレイアの隣を歩いていたパミルが、疑問を口にする。
「木の精霊は木々を渡り歩いて森中を移動する習性があるから……泉の近くにも行っていたんだと思うわ」
ミツはそう言って、ひらりと舞い降りるとパミルの肩の上に腰を下ろした。
「邪悪な魔力の発生源がわかったのか?」
アゼルが、ミレイアとパミルの声を聞き、後ろから問いかける。
「たぶんね……。出口の近くにある精霊の泉が怪しいの。とにかく確かめに行きましょう」
開けた森の道を進み、薄い霧の向こうに泉が見えてきたーーその時。
パミルが突然立ち止まって、ミレイアの袖をぎゅっと引っ張った。
「……あの子たち、魔物化しそう」
パミルが指し示した茂みの奥では、三匹のうさぎ型の聖獣が牙を剥いて威嚇していた。黒い霧に包まれ、濁った目でこちらを見ている。まさに魔物化寸前の危うい状態だった。
「そうね……これは放っておけないわ」
ミレイアは前に出て、両手を広げた。掌に集めた魔力が淡い光となり、森の薄闇を一瞬だけ押し返す。
聖獣たちが獣じみた声を上げ、瘴気を振りまきながら跳びかかる。ミレイアはためらいなく浄化魔法を放った。
アゼルとギンが両脇で構え、森の出口へと続く道を守る。ミツはすぐさま結界を張り、パミルを護るようにその内側へ包み込んだ。
光が聖獣たちに繰り返しぶつけられる。黒い霧が徐々に弾け飛び、濁っていた瞳が鮮やかな色に変わる。低く唸る声がやみ、三匹は小さく鳴き声を漏らすと、穏やかな聖獣へと戻った。
「……あなたたち、大丈夫?苦しいところはない?」
「うん。僕たち……急に目の前が真っ暗になって……」
「息が苦しくて、何も考えられなかった」
「でも、もう大丈夫」
ミレイアは胸をなでおろし、安堵の息をつく。
「わあ……ちゃんと浄化できてる」
パミルが確認し、感嘆の声を漏らした。
しかし、目の前の聖獣たちは救えたが、これで終わりじゃない。急いで異変の根源を断たなければ――。
ミレイアたちは息を整え、再び歩みを進めた。