緊張の訪問
日曜日。
貴族寮のミレイアの部屋では、ノエルが朝からソワソワしていた。
部屋の扉を開けたり閉じたりを繰り返しているし、何度も鏡に向かっては着替えているし、嫌がるモフィを追いかけてしつこくブラッシングをしている。
朝食後に様子を伺いにきたフローラが、不思議そうに問いかける。
「ノエル……なんだか落ち着きがないわね。ミレイア様、どうしてだかわかります?」
「今日は、召喚生物研究所のウラロスさんが訪ねてくることになっているの」
ミレイアは部屋をウロウロするノエルを見て、ふんわりと微笑む。
「あー、モフィたちの世話係だった研究員の?」
「そう。ノエルは最近、個人的に連絡をとりあっているみたいよ。今日は久しぶりに会うから緊張しているんじゃないかしら」
「へえー。あのノエルが緊張ね。もしかして……彼に好意があるとか?」
フローラがノエルに聞こえないようにミレイアに耳打ちする。
「さあ、どうかな。でも、ウラロスさんの優しい目が、亡くなったサムさんによく似ている、とは言っていたわ」
ミレイアもフローラに小声で返す。
トントン
ノックの音がして、ノエルが急いで扉を開けると、ウラロスが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「おはようございます、ノエルさん。通信魔道具ではいつも顔をみているけど、直接会うのは一カ月ぶりですね。なんだか緊張するな」
そう言って頭を掻くウラロスは、派手な寝癖がついたまま。白衣ではなく着崩した普段着姿で、前に会った時よりも若々しく見えた。実際は、ノエルやフローラと同じ28歳らしい。ベテランの年配研究員が多い召喚生物研究所では貴重な若手だった。
「あー、ウラロスだー。久しぶりー」
「ようこそ〜、ウラロス。会いたかったの〜」
ブラッシングのおかげで白い毛並みがツヤツヤになったモフィと、何をしたのか、いつもより透明度が増している風の精霊スインが、ウラロスの緊張を吹き飛ばす勢いで飛びついてきた。
「や、やあ君たち。元気そうでなによりだ」
言葉は理解できずとも歓迎されていることはわかったウラロスは、ノエルに招かれて部屋に入ってきた。
「ウラロスさん、お久しぶりです」
ミレイアがにこやかに挨拶をする。
「ミレイアさん、今日はお邪魔してすみません。本当なら男が女性の部屋を訪ねるなんて非常式ですよね。ノエルさんが、"モフィとスインのいつもの様子を見てほしいから、慣れている部屋で"と言ってくださったので、つい甘えてしまいました」
申し訳なさそうに言うウラロスに、ミレイアは首を横に振った。
「気にしないでください。ウラロスさんはモフィとスインの家族みたいなものですし、ノエルも嬉しそうですから」
「え、ノエルさんが……」
ノエルと目が合い、途端に顔を赤くして照れるウラロス。どうやら研究一筋の生活で、女性には免疫がないらしい。
ノエルはウラロスをソファに座らせると、紅茶を注ぎ始めた。
急なお客様でも対応できるように、常に同じ温度の紅茶が用意できるティーポットは、ミレイアが特別に作ってノエルにプレゼントしたものだ。
「私はこれから訓練がありますので、失礼しますね」
フローラはミレイアに声をかけ、ウラロスに軽く会釈し、ノエルに手を振った。
「あ、ミレイア様。くれぐれも黙って外出なさらないでくださいね」
先週の件を思い出したのか、釘を刺して部屋を出て行くフローラ。その背を、ミレイアは扉まで見送った。
ソファには紅茶を手にしながら穏やかに会話を交わすノエルとウラロス。そして、楽しそうにはしゃぐモフィとスインの姿が見える。
「ねーねーウラロス。僕たちに仲間ができたんだよー」
「紹介する〜。ギンさんっていうの〜」
ウラロスがふと向かいに座るノエルから、隣りに座るモフィたちに視線を移す。
「ん!?」
ウラロスが、モフィの隣りで静かに伏せているギンに初めて気が付いた。
「あ、私ったらうっかりしてたわ。通訳しないとですね。ウラロスさん、モフィとスインが"新しい仲間のギンを紹介する"って言ってます」
「銀色の毛の……聖獣!?」
ウラロスは口をパクパクさせて信じられない様子で覗き込む。
「我はギンと申す。古代より生きる銀狼である。この姿は仮の姿、以降宜しく頼む」
可愛らしく尾を振りながらも、落ち着いた声で挨拶するギン。ノエルがそのまま通訳すると――
「銀狼!古代聖獣!?神話にしか登場しない空想上の生き物だと思っていた……。君は、ミレイアさんと契約したのかい?」
「我は西の森で闇に呑まれ、凶暴化していたところを主に浄化された。ずっと一人で長く生きてきたが、初めて“一緒にいたい”と思ったのだ」
ギンの言葉に、ミレイアはいつもの椅子に腰掛け、にっこりと微笑む。
ノエルが通訳すると、ウラロスは再び驚愕した。
「古代聖獣が闇に呑まれただって?……まさか、何か禍々しい力が働いたのか。すさまじい魔力だっただろう。それを浄化するなんて……まるで神話の女神じゃないか」
「ええ、お嬢様は夢幻の女神なんです。今までたくさんの人を救ってきたんですよ」
「わあ、それは詳しく聞いてみたいな……」
「ミレイアのくれる魔力は美味しいよー!」
「みんなミレイアが大好き〜!」
気づけばソファはミレイア談義の場となり、当の本人は少し気まずくなって、目をテーブルに置かれていた紅茶におとし、カップを手にとった。
――カチャ。
「楽しそうな集まりじゃないか!俺も仲間に入れてくれる?」
突然の声に驚き、ミレイアはカップを落としそうになった。
顔を上げると、精霊アレクがいつの間にか向かいの席に腰かけていた。