生まれた場所
ミレイアとアゼルが転移したのは、小さな屋敷の中だった。
真っ暗な部屋で、窓から差し込む月明かりだけが二人を照らしている。
「ここはどこ?」
ミレイアはまだアゼルにしがみついたまま、問いかける。
アゼルは彼女を静かに下ろし、魔法でランプにあかりを灯した。
「ここは、僕が生まれ育った場所だよ。……それに……ミレイア、君が生まれた場所でもある」
「え……?」
「その格好じゃ冷えるね」
アゼルは寝巻き姿のミレイアに、少し照れたように自分の上着を脱いで羽織らせた。
「ここは、アゼルとわたしが生まれた場所なの? それって……」
「最初からちゃんと話すから、聞いてくれる?」
ミレイアは黙って頷いた。
アゼルは椅子を二つ並べ、一つにミレイアを座らせ、自分も腰掛ける。
「ここは、王都神殿の裏手に建てられた家だよ。もともとは君の実の両親――シオン神官と聖女アリアが結婚してから住んでいた場所だった。僕は……神殿の巫女だったマーサが、とある男に孕まされた望まれない子供でね。自分の命を絶とうとした彼女を止めて、『神殿の子として一緒に育てよう』と言ってくれたのが二人だったんだ」
ミレイアは目を見開く。
「僕が一歳半の時、君が生まれた。ほんの一年余りの間だったけど、僕と君はここで一緒に暮らしていたんだよ。……君たち家族が殺された、あの日まで」
ミレイアの瞳から、涙が一筋伝った。
「わたし……そんなの全然知らなかった」
アゼルは彼女の涙を指で拭う。
「僕も最近まで知らなかった。育ててくれていたマーサが実の母親だということすら……。マーサは重い心臓病を患っていてね。病床で、ようやく話してくれたんだ」
「マーサさんは、今は?」
「……実は、行方がわからないんだ。三週間前までは神殿奥の部屋で休んでいたのだけど」
アゼルは、ミレイアに羽織らせた上着のポケットから、くしゃくしゃになった手紙を取り出す。
――
ミレイアは眉をひそめ、マーサが書いた走り書きの文字を追った。
アゼルは口を開く。
「この手紙が残された後、マーサは姿を消した。神殿の神官長セラフィスと一緒に」
「え、どうして……」
「ミレイアにもうひとつ、言わないといけないことがある。僕の父親は……マーサに乱暴を働いただけじゃない。精神魔法を操る、恐ろしい男だ。君の両親を殺した暗殺も、王家への不穏な動きも、君を襲った刺客も……すべて、父親が仕組んだ」
「そんな……」
ミレイアの瞳が揺れる。
「そして僕自身も……父親と同じ、精神魔法の使い手だった。……君を襲った刺客に、僕は初めて精神を操る魔法を使って、依頼した人物を聞き出した。そいつは……神官長のセラフィスだと吐いた」
「それじゃ、神官長がアゼルの父親?」
「おそらく……。この三週間、心当たりの場所を探したけど、何一つ手がかりはなかった。セラフィスは“治療法を見つけた”と言ってマーサを連れて神殿を出たが、今頃は……もう生きていないかもしれない。生きていたとしても、渡していた心臓の薬が切れる頃だ。必ず見つけると誓ったのに、結局僕は……何もできない」
「アゼル……」
思い詰めた顔をする彼の肩を、ミレイアがぎゅっと掴む。
「きっと大丈夫。わたしなら、マーサさんの病気を治せるかもしれない。だから一緒に探し出そう」
「ミレイア……僕が恐ろしくないのか?おぞましい精神魔法を使う化け物だぞ。……君の心を操って、強引に自分のものにしてしまうかもしれないのに」
「わたしは……アゼルを恐ろしいなんて思わない。アゼルの父親とアゼルは別の人間よ。アゼルの精神魔法は、おぞましいものじゃない。わたしが魔力暴走で苦しんでいた時、人間関係に悩んでいた時、アゼルはいつも優しい魔力を流してくれた。……不思議なくらい心が落ち着く“心の魔法”。あれがアゼルの精神魔法なら、古代文献にある元来の精神魔法――“病を治す神の術”に近いと思う」
アゼルの肩が震える。
「でも……君のことを考えると、自分でも抑えが効かないことがある。君がレオン殿下を好きで、手に入らないことはわかっているのに。いつか……禁忌を侵して、君を洗脳してしまうかもしれない」
ミレイアは立ち上がり、椅子に座ったアゼルを胸に抱きしめた。
「アゼルは自分の力が怖いんでしょう? わたしも制御できない自分の魔力が怖かった。でも、その気持ちを前に向かせてくれたのはアゼルだったの。今度はわたしがあなたを救う番。大丈夫。もしあなたが暴走したら、わたしが必ず止める。辛くなった時は、抱きしめに行くから」
アゼルの目からあふれた涙が、ミレイアの胸元を濡らす。寝巻きに隠れていたペンダントが、淡く光を灯した。
「……またレオン殿下がヤキモチを焼くぞ」
「うん」
「ノエルに節操がないって怒られるぞ」
「うん」
「僕がまた調子に乗って、君に触れてしまうぞ」
「うん、大丈夫。全部、覚悟してる」
アゼルは大きくため息をつき、そして笑った。
「ありがとう、ミレイア。君のおかげで気持ちが楽になった。マーサのことも諦めずに探し続ける。父親と対峙する時がきたら、必ず自分の手で止める。ミレイアを危険な目には遭わせない!」
決意を宿した目でミレイアを見つめ、アゼルは立ち上がる。
「遅くなったね。帰ろうか」
魔法陣を足元に展開し、ミレイアの腰を引き寄せる。光と共に二人は、生家から学園のミレイアの自室へと転移した。
「おやすみ、ミレイア」
消える間際、アゼルはミレイアに優しい口づけを残し、光の中へと消えていった。
ミレイアはまだ羽織っていたアゼルの上着を脱ぎ、抱きしめる。
胸の奥に、温かくて切ない余韻が残っていた。