接触
夜の9時近く、ミレイアはフローラと並んで貴族寮へ向かって歩いていた。学園の敷地内は夜の静けさに包まれ、昼間の喧騒が嘘のようだ。
前方でキョロキョロと辺りを見回す男性の姿が目に入った。背筋がすっと伸び、整った容姿の青年だ。何かに迷っているようで、立ち止まってはまた歩き出す。
「どうされましたか?」
ミレイアが声をかけると、男性はハッと顔を上げた。
「あ、実は道に迷ってしまいまして。方向音痴なんで……お恥ずかしい。正門に戻るところだったんですが」
「正門なら、この先を抜けたところにありますよ」
「そうですか。ありがとうございます。……おや? あなたは、ミレイア・ノクシア嬢じゃありませんか?」
ミレイアの隣で警戒心を強めるフローラを意識しつつ、ミレイアは冷静に頷く。
「ええ」
青年は微笑み、礼儀正しく名乗った。
「僕はイザベルの兄、ベルトラン・イグニッツと申します。星導祭でお見かけしました。あなたの魔力は本当に美しく、力強く、優しくて感動しました。あれ以来、ずっとお知り合いになりたいと思っていたんです。お会いできて嬉しいです」
イグニッツ侯爵の息子――。
その名を聞いた瞬間、ミレイアの胸に冷たい緊張が走った。星導祭の決闘大会、侯爵が向けてきたあの殺気を思い出してしまう。
「イグニッツ侯爵令息は、今日は何故こちらに?」
「学園長に父からの届け物があったんです。その後、妹に会いに行ったら相談があるとかで引き止められてしまって。気づいたら、この時間になっていました」
ベルトランは肩をすくめて笑い、すぐに言葉を継ぐ。
「ミレイアさんは? ……あ、ごめんなさい、気安く呼んでしまって。よかったら、僕のこともベルトランと呼んでください」
ころころと表情を変えるその青年には、あの冷酷な侯爵の面影はない。むしろ社交界で羨望を集めそうな気品と、人懐っこさを兼ね備えていた。
ミレイアは胸の奥で小さな警鐘を鳴らしつつも、少しずつ警戒を緩めていく。
「私たちは今から寮に戻るところです」
「こんな時間に女性二人なんて、危なくないですか? 僕がお供しましょうか」
「心配は無用です。私はこれでも優秀な騎士ですから」
フローラがすっと前に出て告げる。
「あー、ごめん! 美しい女性がお二人だったので、つい……。幼い頃から女性には優しくするように、と母に教えられてきたんです。父親のようになってはいけないと。父は噂されている通り傲慢で野心家です。母も妹も僕も、いつも振り回されてばかりで……正直、苦労が絶えません」
苦笑混じりの言葉に、父を恐れず語る誠実さを感じる。
「では、僕はこれで。おやすみなさい」
ベルトランは軽やかに歩み出す。
「あ、正門はそっちじゃ……」
「ははは、そうでしたね」
照れ笑いしながら逆方向に進むベルトランを見送り、ミレイアとフローラは貴族寮へと帰って行った。