謁見記録
王族寮の執務室は、朝の冷たい光が大窓から斜めに差し込み、紙とインクの匂いを淡く立ちのぼらせていた。磨かれた机の上には、王宮から運び込まれた古い台帳や謁見記録、封蝋の残る書簡が層をなして積まれている。頁を繰るたび、乾いた紙鳴りが静寂を刻んだ。
星導祭の翌日、午前。ロイとクラリスが向かい合って机に着き、それぞれの資料に視線を落としている。
「クラリス、ずっとここにいるけど、婚約者はもう帰ったのか?」
「え……ええ。社交パーティーが終わった後、すぐ帰っていったわ」
「社交パーティーか……。クラリスのドレス姿、見てみたかったな」
ボソリと呟くロイに、クラリスは苦笑いで肩をすくめる。
「もう……。ロイも参加すれば良かったじゃない」
「俺はパートナーがいないから無理だよ」
「そんなこと言って。たくさんお誘いを受けていたの、知ってるわよ。ロイは婚約者がいないから、狙ってる子は多いもの」
「興味ないな。俺は当分そういうのはいいや」
バタン――ノックもなく扉が開き、レオンが足早に入ってくる。金具の音が静かな部屋に短く響いた。
「あら、殿下。さっき、ミレイアをデートに誘うって意気込んで出て行ったばかりなのに、もう帰ってきたんですか?」
クラリスが笑いながらからかう。
「ああ。ミレイアは、セドリックと研究論文を仕上げるから無理って……もしかして、クラリス知ってたのか?」
「まあ知ってましたけど。殿下はたまには断られたほうがいいんです。ミレイアはなんでも受け入れてしまうから、殿下はすぐに調子に乗るでしょう?」
レオンは曖昧な笑いを浮かべ、後頭部をかく。ロイが横から肩を軽く叩いた。
「せっかく急いで執務を終わらせて行ったのに、残念だったな」
レオンは息を吐き、机に広がる資料へと視線を落とす。
「……それで、何か気になるものは見つかったか?」
クラリスの前には、年季の入った大判の台帳が開かれていた。彼女が早朝に王宮へ出向き、貸し出し許可を得て持ち帰った公式記録だ。頁の欄外には、当時の書記官の走り書きが褪せたインクで残っている。
「とりあえず私は、先代国王が暴君と呼ばれるようになった20年前の謁見記録を中心に見ています。陛下が結婚された時期ですから、ずいぶん謁見希望も多かったようです。他国の王族や貴族の名もあります。この頃から頻繁に訪れるようになったのは……神殿関係者ですね。ロイのお父上が言われていたように、亡き先代王妃が、神官のシオンを崇拝して多額の寄付をしていたようです。……それにしても、ミレイアが神官シオンと聖女アリアの死んだはずの娘だったなんて……」
クラリスの声がわずかに震え、指先が紙の端で止まる。ロイも手元の記録から顔を上げ、静かに頷いた。
「昨夜、戻ってきたレオンから話を聞いた時は驚いたな。出世記録まで書き換えて、ノクシアの実子として育てられていたとはね」
窓辺の光が三人の横顔を淡く縁取る。執務机の上で、レオンの拳がそっと握られた。
「もし、ミレイアが殺しそこねたあの時の娘だと黒幕が気づいているなら、また何度でも狙ってくるかもしれない。王家に干渉している精神魔法の使い手が、その黒幕であるなら、一刻も早くその正体を突き止めたい。ロイ、クラリス。協力を頼む」
レオンが深く頭を下げる。
「もちろんです」
「もちろんだ」
返事は迷いがなく、部屋の静けさにすっと溶けた。
レオンはロイの前へ回り込み、別の束ねられた記録に目をやる。
「それは結構最近の記録だな」
「ああ。陛下と王妃陛下にも黒幕が接触している可能性が高いからな。最近の入城者の記録を確認している。やはりイグニッツ侯爵は頻繁に訪れている。第二王子派と言われる貴族たちも時折り集まっているようだ。……俺は、決闘大会の時に感じたイグニッツ侯爵の不気味な殺気が忘れられない。ミレイアを狙っている黒幕は、イグニッツ侯爵なんじゃないか?」
ロイの低い声が淡々と状況を積み上げる。レオンは短く首を振った。
「黒幕が複数人いる可能性もある。慎重に考えよう」
紙の匂いと朝の冷気の中、三人は再び記録へと視線を戻す。頁がめくられる微かな音だけが、静かな決意を刻んでいった。