抱擁と治療
舞台横で、呆然と立ち尽くすミレイアのもとへ、レオンが駆け寄る。息を切らしながらも、その腕で、強く彼女を抱きしめた。
「……無事で良かった」
低く震える声が耳元に落ちる。ミレイアは瞬きし、遅れてその温もりを感じ取った。
クラリスは慌ててレオンを止めようと一歩踏み出したが、ロイが肩に手を置き、静かに首を横に振る。
事件直後だ。さすがに今は、二人をそっとしておくべきだ――そう判断したクラリスは、小さく息を吐き、足を止めた。
ほどなくして、ノクシア夫妻も人垣をかき分けて駆け寄ってきた。
娘を抱きしめたまま長い間離れようとしないレオンに、父親がやんわりと声をかける。
「気持ちはわかるが、流石にもう離れてもらえないかな」
はっと我に返ったレオンは、名残惜しそうに腕を解いた。
すかさず護衛のフローラが歩み寄り、落ち着いた声で促す。
「ミレイア様、参りましょう」
そう言って、そっとミレイアの手を取り、舞台裏の控え室へと導く。
レオン、アゼル、そしてノクシア夫妻が、彼女を守るようにして後をついていった。
舞台裏の控え室は、外の喧騒から隔絶されたように静まり返っていた。
窓越しに祭りの灯りがゆらめいているが、その暖かさはここまで届かない。
ミレイアは椅子に腰掛け、手の中でペンダントをぎゅっと握りしめていた。
王都騎士団の制服を纏った騎士が一歩前に出る。
「突然お邪魔して申し訳ありません。状況確認のため、いくつかお尋ねします」
落ち着いた声色だが、その眼差しは鋭い。
ミレイアは姿勢を正し、こくりと頷いた。
「先ほどの襲撃について、犯人は顔見知りの人物でしたか?」
「……顔は見えませんでした。でも……」
ミレイアは少し視線を落とした。
「先日、大通りで私を襲った人と、同じかもしれません。走り方が……同じだった気がします」
騎士は短く息を呑み、何かを手帳に書き留めた。
「雇われたプロの刺客のようです。誰かに命を狙われることに心当たりはありませんか」
その問いに、ミレイアは言葉を失った。
胸の奥で、答えにならない思考が渦巻く。沈黙が数秒、部屋の空気を重くする。
ミレイアの脳裏に、昼間――決闘大会の会場で感じた鋭い殺気がよみがえる。
そのとき、ふと視線を向けた先で、イザベルの父、イグニッツ侯爵が冷ややかにこちらを見ていた。
そしてつい先程、舞台に上がる前のイザベルが小さく告げた「どうか気をつけて」という言葉も。
……まさか、あの人が……?
唇がわずかに動いたが、声にはならなかった。
証拠もない。今ここで名前を出せば、騒ぎが広がるだけだ。
「……わかりません」
短くそう答えると、騎士は深くうなずいた。
「……これから取調べに入りますが、プロの刺客が依頼人について話すかは、正直我々にもわかりません」
淡々と告げた騎士は、敬礼をして部屋を後にした。
静かになった控え室。ミレイアの手の中でペンダントがかすかに光を反射している。
その静寂を破るように、アゼルがゆっくりとミレイアの目の前に立つ。
「ペンダントのチェーンが切られてしまったんだね、直しておくよ」
アゼルはそっとミレイアの手を広げ、軽やかにペンダントを受け取る。自分の上着のポケットに大切に入れると、柔らかい声で告げる。
「魔力の流れを見せて」
アゼルは、ミレイアの両手をそっと握り、ゆっくりと魔力を流し込む。その温もりは体を脈打ち、心地よく全身に広がっていく。ミレイアの表情は次第にとろけるように柔らかくなる。
アゼルはじっくりと彼女の全身を観察するように視線を巡らせながら、低く囁く。
「傷はないか、ちゃんと見ないとね」
ミレイアは、舞台で着ていた露出の多い衣装のまま座り、アゼルの手による魔力の治療を受けている。
その様子を見て、レオンの胸の奥で焦燥が芽生える。慌てて、控え室の椅子にかかっていた外套を手に取り、ミレイアの背中から優しく覆いかぶせる。
そして後ろから抱きしめ、体温を伝えるように密着した。
アゼルは両手でミレイアの手を握ったまま微笑み、額を彼女の額にそっと押し当てる。
「熱はなさそうだね」
それを見たレオンは、アゼルに負けじと首筋にそっと唇を寄せ、吸い付くようなキスを落とす。
ミレイアの口から、思わず「ん……」と甘い声が漏れる。
その瞬間、大きな咳払いが控え室の空気を切り裂いた。
「コホン!」
3人は我に返り、驚きと戸惑いの表情を交わす。目の前には、怒りを湛えたノクシア夫妻が立っていた。
「お前ら……!」
「あなたたち……!」
空気は一瞬で張り詰め、静けさと緊張が再び控え室を支配した。