悪役令嬢ですが、実は最強の聖女だったので、浮気婚約者とその一族を滅ぼしたら、隣国の王子に溺愛されました
貴族の子女が集う学園の中央広場。美しい噴水の前で、私――エリス・ヴァレンティアは、婚約者であるアレクシス王太子から宣告を受けた。
「エリス・ヴァレンティア、お前との婚約は破棄する。僕はマリア・エルフォード嬢を愛している」
瞬間、広場はどよめきに包まれた。
マリアは男爵令嬢。清楚な見た目と控えめな態度で、学園内で「聖女のよう」と持て囃されている少女だ。実際に聖女の力が現れ始めているという噂もあった。
だが。
「そう。ご自由にどうぞ、アレクシス殿下」
私の返答に、再び広場がざわめく。
「お……お前、それだけか? 怒らないのか?」
「怒る理由がありませんわ。あなたが浮気していたことなど、とっくに知っていましたし。私との婚約を政略のためとしか考えていなかったのも、ね」
「お、お前……!」
アレクシスの顔が赤くなる。怒りか羞恥か。どちらでもいい。マリアが彼の腕に縋りつき、上目遣いで私を見た。
「エリスさま……どうか、私たちの愛をお許しください……」
「ええ、心から祝福しますわ。お似合いの愚か者同士として」
私は優雅に頭を下げ、その場を立ち去った。背後からアレクシスの怒声が聞こえたが、もはや取るに足らない。
彼らには知らないことがある。
私、エリス・ヴァレンティアはただの悪役令嬢ではない。聖女の力を秘めた、選ばれし存在。しかもその力は、歴代でも稀に見るほど強大で、すでに神殿から正式な「聖女」としての承認も受けている。
だが、私には別の目的があった。
この力で、私を嘲笑い、裏切った者すべてに――復讐を果たすこと。
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それから三か月。
私は父母の手で「謎の病」とされて屋敷から追放され、郊外の古城へと幽閉された。すべて、アレクシスとマリアの差し金だ。彼らは私をこの世から消し去り、聖女の座も王妃の座も奪うつもりだったのだろう。
――甘い。
「始めましょうか。聖なる光よ、我が願いに応えなさい」
古城の礼拝堂で、私は封印を解いた。
その瞬間、眩い光が私の身を包む。天使の歌声のような音が響き渡り、私の中にあった“聖女としての本当の力”が完全に解放された。
――浄化、治癒、結界、召喚、破壊。
そのすべてを扱える者は、千年に一度しか現れないという。
すなわち、私はその千年に一度の“最強の聖女”。
そして、神の寵愛を受けし“裁きの乙女”。
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王都へ戻ると、私の名はもはや「追放された悪役令嬢」でしかなかった。
だが、それでよい。
愚か者どもが油断するから。
王宮では戴冠前の祝賀舞踏会が開かれていた。新たな王妃――マリアの戴冠も同時に行われるらしい。あの夜、私の舞踏会のドレスを燃やして笑っていた女が、何食わぬ顔で聖女として扱われているのだから、笑えた。
私はドレス姿で舞踏会に現れた。
扉が開いた瞬間、全員の視線がこちらに注がれる。
「……あれは、エリス・ヴァレンティア?」
「亡霊か?」
「いや、生きてる……まさか聖女の――」
私は微笑むと、光の魔法で天井を照らし、空間を神聖な結界で包み込んだ。
「皆様、今宵はごきげんよう。私は神より選ばれし、本物の聖女エリス・ヴァレンティア。偽りの愛と不義に対して、裁きを下すために戻りました」
アレクシスとマリアが青ざめる。
「ふ、ふざけるな! 警備兵、あの女を……!」
「動けば、灰に変えるわ」
私が指を鳴らすと、天から雷が走り、兵士たちは即座に倒れ込んだ。誰も手出しできない。誰も、私の力には敵わない。
「マリア・エルフォード。あなたは聖女の力を盗み、他者を貶めました。その罪により、神の名において、魂を封印します」
「や、やだ! 助けて、アレク……!」
だが、マリアの叫びも空しく、彼女は光の牢に包まれ、神殿地下の封印の間へと転送された。
続いて、アレクシス。
「王族であるあなたは、婚約者を裏切り、権力のために聖女を殺そうとした。その罪は重い。だが――」
私はふっと笑った。
「死よりも重い罰を与えましょう。あなたの王位も名誉も、すべて無に帰すわ」
その瞬間、玉座の上に別の男が現れた。
「やれやれ、ずいぶん派手なことをしてくれたな、エリス嬢」
「……レオニス殿下」
隣国ルーゼル王国の第一王子。彼は私の力に興味を抱き、しばしば手紙を寄越してきた男だ。だが、それ以上に、彼は私という人間そのものに関心を抱いていたらしい。
「この場で証言しよう。アレクシス殿下が我が国との盟約を破り、聖女を幽閉した証拠が揃っている」
レオニスの言葉で、会場が再びざわめく。国際的な罪。もはやアレクシスに逃げ場はない。
「よって、アレクシス=グランフォードは王位剥奪。以後、全財産を没収し、国外追放とする」
淡々と宣告される断罪。私は静かにその光景を見届けた。
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それから数日後。
私は隣国ルーゼルの王宮に招かれていた。
「……まさか、あそこまでとは思ってなかったよ」
レオニスは紅茶を飲みながら微笑む。
「ふふ、期待を裏切ってしまいました?」
「いや。むしろ惚れ直したよ、エリス。よければ、君を我が妃として迎えたい」
彼の言葉は真剣だった。私は驚きつつも、頷いた。
「……白い結婚になるかもしれませんけれど、よろしいのですか?」
「かまわない。君の笑顔を守れるなら、それで十分だ」
そう言って、彼は私の手を取った。
最強の聖女であり、悪役と呼ばれた私がたどり着いたのは、真の愛と自由だった。
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隣国ルーゼル王国の中心――白銀の大聖堂。
この地で、今日、ひとつの神聖な儀が執り行われる。
「……では、新郎、新婦、祭壇へ」
聖堂に響く司祭の声。
私は花嫁衣裳に身を包み、ゆっくりと祭壇へと歩を進めた。
――エリス・ヴァレンティア、元王国公爵令嬢、そして現・聖女。
その肩書きはもはや不要かもしれない。今日、私はただひとりの人間として、ひとりの男性と生涯を共にする契りを結ぶのだから。
隣に並ぶのは、ルーゼル王国第一王子、レオニス・グランディア。
穏やかな笑みを浮かべながら、私の手をしっかりと握っている。
「……似合ってる、エリス」
「ふふ、ありがとう。でも、顔が緩んでるわ、殿下?」
「……うるさいな、惚れた女の前で気取れるわけがないだろ」
ツンとした声音とは裏腹に、レオニスの頬はうっすらと赤い。
そう、彼は完璧な王子でありながら、時折とんでもなく不器用になる。そんなところが、私はたまらなく好きだった。
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結婚の申し出を受けたのは、アレクシスとマリアに復讐を終えた直後だった。
最初は迷った。
政治的な意味もあるだろう。隣国同士の関係性を安定させるための政略。
「白い結婚になるかもしれませんわ」と告げた私に、彼はまっすぐ言ってくれた。
「君を愛している。君が誰も愛していないとしても、俺の気持ちは変わらない」
……ああ、ずるい。
そんなことを言われて、頷かない女がいるものですか。
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大聖堂には各国の貴族が集っていた。
王国の現政権に入れ替わってからというもの、アレクシス派だった貴族はことごとく失脚し、今や私たちの前に立つ者はいない。
中央の席には、私を慕ってくれていた平民の子供たちの姿もある。聖女として助けた孤児院の子たちだ。彼らが純粋な笑顔で私を見ている。それだけで、胸が熱くなる。
司祭が誓いの言葉を述べ、私たちに問いかける。
「……エリス・ヴァレンティア、そなたはこの男を、愛し、敬い、生涯を共にすることを誓いますか?」
「誓います」
心からの言葉だった。
次に、レオニスの番だ。
「レオニス・グランディア、そなたはこの女を、愛し、支え、生涯を共にすることを誓いますか?」
「……誓う。たとえ神が君を奪おうとしても、俺は君を選ぶ」
その一言に、場内は小さなどよめきと、祝福の拍手で満ちた。
結婚指輪がはめられる。
その瞬間、私の中で封じていた力がほんのわずかに漏れ出し、花嫁衣裳のベールに小さな光の花を咲かせた。
「……っ」
「まさか、魔力があふれてる?」
「神聖すぎて、聖堂の魔法障壁が活性化しているぞ」
騒ぎ始めた参列者をよそに、私はただ、隣にいる夫となる人の手を、強く握り返した。
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式のあとの祝宴では、思わぬ顔ぶれと再会することになった。
「久しぶりだな、エリス嬢」
「……ユーグ殿下。今はアルノルト王国の代理摂政でしたかしら?」
アレクシスの弟、ユーグ。彼はかつて陰から私を助けようとした数少ない王族だった。現在は兄とは違い、清廉な評判を持つ改革派だ。
「兄の件は……本当に申し訳ない。だが君の決断は正しかった。君がこの世界に必要な存在であることを、私は今、確信している」
「ありがとうございます。……私も、ようやく自分の居場所を見つけました」
「ふふ、いい笑顔になったな。レオニス殿下に感謝だ」
「……妬けるな、他の男と笑ってると」
いつの間にか背後に回っていたレオニスが、ぶすっとした表情で私の肩を抱く。
「何か文句でも?」
「……いや。全部、俺のだって主張しておきたかっただけだ」
顔を背ける彼に、つい笑ってしまった。
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その夜、私は王宮の特別室にいた。
身を清め、侍女に髪を解かれ、用意された純白のナイトドレスに身を包む。
ふと、鏡の前に立つ自分を見て――思う。
私は変わった。復讐の炎に燃えていた少女が、今、愛する人のもとに向かおうとしている。傷も痛みも、誰かと分かち合える日が来るなんて、昔の私には想像すらできなかった。
ドアの向こうでノックの音。
「……入っていいか?」
「ええ。どうぞ、レオニス」
彼は、白のシャツに黒の礼装。けれど王子らしい威厳はどこかに置いてきたように、私をじっと見つめて言った。
「……エリス。幸せにするなんて簡単に言わない。だけど、君の涙を無駄にしない生き方を、俺は選びたいと思ってる」
私は彼に歩み寄り、そっと口づけをした。
「私も、もう一人じゃないって思えたの。あなたがそばにいてくれるだけで、十分よ」
二人の影が重なった瞬間、部屋に花びらのような光が降り注いだ。
それは、神が与えた最後の祝福――“真なる契り”の証。
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翌朝。
私とレオニスは、王国全土に向けて結婚の正式な布告を出した。
そして一言だけ、彼は記した。
> 『この聖女は、もう孤独ではない。今度は俺が、彼女を守る』
かつて悪役令嬢と蔑まれ、裏切られ、そして復讐を果たした私が。
今、世界一優しい腕の中で、しあわせに包まれている。
白い結婚。政略から始まった契り。
けれどその白は、汚れなき未来の色でもあった。
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ルーゼル王国の王城、春の中庭には優しい陽光が差し込んでいた。
今日は、王国の全ての鐘が鳴る特別な日――
「第一王子誕生の報」
その報せが王城中、そして国中を駆け巡ったのは、ほんの数時間前のことだ。
私は、エリス・グランディア。
かつて他国の“悪役令嬢”と呼ばれ、そして“最強の聖女”として覚醒し、今はルーゼル王国の王妃となった。
そして、今。
私の腕の中には、小さな命が眠っている。
ふにゃふにゃとした指。温かくやわらかい鼓動。微かに漏れる寝息。
この子が、私とレオニスの子ども――
レイ・グランディア王子。
「……よく頑張ったな、エリス」
ベッドの横に座る夫・レオニスが、私の手をそっと握った。
いつもは少し不器用で、口では照れ隠しばかりの彼が、今日はひどく真面目な顔をしている。
「こんなに小さな命を、お前が……俺たちのために……」
言葉に詰まり、彼は子の額にそっとキスを落とした。
「レイ。……ありがとう。君が来てくれて、本当にうれしい」
私は微笑んだ。
「ふふ……こんなに真剣な顔、初めて見たかも」
「うるさいな。こっちは感動してるんだよ」
「じゃあ、泣いてもいいのよ?」
「……泣くもんか、男が。俺が泣いたら、こいつが笑うだろ」
「まだ笑えないわよ、レイは」
二人で顔を見合わせて、笑った。
平和なひととき。優しい空気。こんなに穏やかで、こんなに温かい日が、自分に訪れるなんて、かつての私には想像すらできなかった。
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だが、穏やかな時間ばかりが訪れるわけではなかった。
レイが生まれて三か月。
「……あの、陛下、妃殿下」
近衛騎士長が深刻な顔で報告に現れた。
「レイ王子から……神聖魔力が漏れ出しています」
「…………は?」
私は固まった。
レオニスは眉をひそめる。
「それは、どういう意味だ?」
「通常の赤子では考えられないほどの純粋かつ高密度な魔力が、王子から絶えず放出されております。しかも、それは聖女由来の“神聖属性”で、自然が反応しております」
私はゆっくり立ち上がる。
「……つまり、この子、もう魔力使ってるの?」
「はい。無意識に、ですが。昨夜の突風も、恐らく王子のくしゃみによるものかと……」
「くしゃみで台風レベルって何なのよ……!」
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その夜。
私は寝室でレイを抱きかかえながら、そっと話しかけた。
「レイ……お母様の力はね、千年に一度の“裁きの聖女”って呼ばれるものなの。でも、それを赤ん坊のうちから制御できるなんて……あなた、まさか“神の子”とかじゃないでしょうね?」
レイは、にこーっと笑った。
その笑顔に、ベッド横で見守っていたレオニスが呆れるようにため息をついた。
「はは。こりゃもう、将来の聖騎士団長か神殿の大神官か、いや、魔王までいけそうだな」
「縁起でもないこと言わないで!」
レイが無邪気にバブ、と笑うと、部屋中にふわっと金色の光が広がった。
思わず天井がきらきら光り出して、レオニスが笑いをこらえながら私を見る。
「……で、どうする?」
「聖女教育、始めましょうか。赤ちゃんから」
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レイは、成長するにつれてとんでもない力を発揮し始めた。
歩けるようになった頃には、重力を無視したように空をふわふわと飛び回り、言葉を覚える前から自然と動物たちと会話をしていた。
神官たちは口を揃えて言った。
「この子は“完全なる調和”の象徴。エリス様と殿下の魂が織りなした、神々の申し子です」
王国は歓喜し、周辺諸国は恐れと敬意をもってレイに使者を寄越すようになった。
ある日、私がレオニスに尋ねた。
「ねえ、あなた……私たち、普通の家庭を作るつもりだったわよね?」
「……そうだったな」
「でも、息子が生後半年で神託を受けたのって、普通じゃないわよね?」
「うん。めっちゃ非日常」
ふたりで思わず顔を見合わせて、笑ってしまった。
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けれど、それでもいい。
私たちは家族なのだから。
王子であろうと、神の子であろうと、レイは私たちの宝物。
「レイ。大きくなっても、お父様とお母様を好きでいてくれる?」
私が尋ねると、幼いレイは首を傾げて、
「すき! おかーしゃまも、おとーしゃまも、ずっとだいすき!」
無垢な笑顔でそう言った。
私はその瞬間、この上ない幸福に包まれた。
私は最強の聖女。レオニスは最強のツンデレ王子。
その私たちの子どもは――誰よりも純粋で、誰よりも強く、誰よりも優しい。
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そして数年後。
「母上、父上、今日は“浄化の儀式”があるのです。僕の力で、城下町の水脈を祝福しに行きますよ」
「えらいな、レイ。くれぐれもくしゃみだけは我慢しろよ。川が消える」
「……了解しました」
「うちの子、最強ね……」
「誰に似たのか、まったくな」
私たちは微笑みあい、レイの背中をそっと見送った。
最強だけど、心優しい子に育ったことが、何よりの誇り。
私の物語は、ここで終わる。
でも、新しい物語が、またこの子の手で始まるのだ。
神に選ばれ、愛に恵まれた奇跡の子。
その名は――レイ・グランディア。