第七話:揺れる剣姫、リュミエール
静まり返った王城の回廊を、一人の騎士が歩いていた。
肩にかかる金の髪、背筋の伸びた佇まい。
その胸には、王国第一王女にして最強の剣士――リュミエール・アルゼリードの名が刻まれている。
けれど今、その眼差しには確かな“迷い”があった。
「……あれが、勇者の“本質”なのね」
自室に戻ると、彼女は剣を壁に立てかけ、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
窓の外では、王都の夜が煌々と光を灯している。
まるで、異世界に現れた“英雄”を讃えるかのように。
リュミエールは、勇者レオンの強さを疑っていなかった。
初戦での魔族上位個体の殲滅、死者の蘇生という奇跡。
それらは戦力としての価値を遥かに超えていた。
──だが、それ以上に彼女の心を揺らしたのは、“彼の在り方”だった。
命令にも従わず、命令されずとも動く。
救いを、命令でも義務でもなく「選択」として行う。
王国の武人であるリュミエールにとって、それは“歪”であり、同時に“眩しすぎた”。
「……私の剣は、何のために振るわれてきた?」
彼女は幼いころから、“剣”とともに育ってきた。
王女でありながら、女であることを捨て、武を極めた。
王国を守るため、国民のため、父の期待のため。
そして、常に“自分の心”を後回しにしてきた。
その結果、今、自分の中に“私”という存在がどれほど残っているのか、もはやわからない。
──そんなとき、ふと扉がノックされた。
「リュミエール様。お食事の時間です」
声の主は、ルフェイだった。
勇者直属の癒術士であり、近ごろ王城内でも静かに注目され始めている少女。
リュミエールはゆっくりと立ち上がり、扉を開けた。
ルフェイは、以前よりもはっきりと目を見て話すようになっていた。
小さな変化だったが、それは確かに“心を取り戻している証”だ。
「ありがとう、ルフェイ。……あの、少し聞きたいのだけど」
「はい?」
「あなたは、レオンに出会って……何が、変わったの?」
ルフェイはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと答える。
「……“守られるため”じゃなくて、“隣にいていい”って思えたこと……です」
その言葉は、剣のようにリュミエールの胸を刺した。
“隣にいる”という言葉が、これほど重く、そして遠く感じられたことはなかった。
彼女は無言で食堂へ向かいながら、自分の心を振り返っていた。
――私は、彼をどう見ているのだろうか。
――ただの王国の駒? 戦力? それとも……
答えは、まだ出なかった。
けれど、彼女の中で何かが確実に“溶け始めている”ことに、リュミエール自身が気づき始めていた。
その夜、眠れぬまま窓辺に立った彼女は、庭園で静かに剣を振るうレオンの姿を見つける。
淡い月光が、彼の影を長く引き伸ばしていた。
(ああ……)
(このまま、彼の隣にいられたら──)
心の奥で生まれたその願いを、彼女はすぐに打ち消した。
自分は王族であり、剣士であり、勇者を導く者であらねばならない。
個としての“女”を望むことなど、許されてはならない。
けれどその瞬間から、彼女はもう、“剣姫”ではなく――
一人の“リュミエール”として、蓮という男を見始めていた。