第六話:癒しの名を持つ少女
その夜、王城の中庭は静寂に包まれていた。
月明かりに照らされた噴水のほとりに、一人の少女が膝を抱えて座っている。
「……ルフェイ」
蓮は、ゆっくりと彼女に歩み寄った。
奴隷の刻印は魔法で消していたが、あの刻まれた屈辱の痕は、心に深く残っているはずだ。
「寒くないか?」
「……少しだけ。でも、ここ……静かで好き」
彼女は微笑んだ。
その笑みは、表面的なものではない。
この世界に来て以来、蓮が初めて感じた、純粋な“安らぎ”だった。
「ルフェイ、お前……あの魔族との戦い、見てたんだよな?」
「うん。レオンの力、すごかった……でも、それより……」
彼女は言葉を切った。
そして、しばらく沈黙した後、小さな声で続けた。
「人を、助けたね。……死んだ人を、生き返らせた。
レオンの手が、あたたかくて……涙が出た」
蓮は目を伏せる。
救った命の喜びよりも、使い潰される恐怖のほうが先に浮かぶ自分が、少しだけ嫌になった。
「……ルフェイ、お前はどうしてあんな場所にいたんだ?」
問いかける声に、ルフェイはわずかに肩を揺らした。
それでも彼女は、逃げなかった。
「……小さい頃、村が焼かれたの。魔族じゃない、人間の軍に。
お父さんも、お母さんも……殺された。わたしだけが生き残って、売られたの」
蓮は言葉を失った。
この世界では、力も名もない人間は、簡単に“物”として扱われる。
彼女の笑顔があれほど優しい理由も、今なら少しだけわかる気がした。
「ずっと思ってたの。どうせなら、あのとき死ねばよかったって。
でも……レオンが見てくれたとき、“生きてていいの?”って、心が震えたの」
その瞬間、蓮は彼女の手をそっと取った。
驚いたように見開かれたルフェイの瞳が、月明かりに揺れていた。
「……俺もさ、生きてていいのかなんて、ずっとわからなかった」
「レオン……」
「でも、あのときお前が俺を見てくれた。それで……少し、救われたんだ」
ふたりの手のひらが重なり合う。
ルフェイの手は、驚くほど冷たかったが、それでも彼女は笑った。
「じゃあ……わたし、レオンのために生きていい?」
「違う」
蓮は強く首を振った。
「お前自身のために、生きろ。俺はその隣にいる。ただ、それだけだ」
その言葉に、ルフェイは目を伏せ、ぽろりと涙を零した。
けれど、それは絶望の涙ではない。
はじめて“自分の居場所”を見つけた者の、静かな喜びの証だった。
──数日後。
ルフェイは正式に“勇者専属の癒術士”として登録され、王国の文書に名を刻まれることとなる。
それは一人の少女が“奴隷”から“人”へ戻る第一歩であり、
同時に、勇者レオンが“他人の命”だけでなく“心”を救い始めた証でもあった。
だがその裏で、教会と王国、そしてもう一人の現代人――“聖女”真壁綾香は、静かに動いていた。