第四十五話:語られざる神、影より来たる
世界が、再び揺れ始めていた。
ゼ=ノームの覚醒により確立されかけた“語りの共鳴権”が、根底から覆される兆候が見え始めたのだ。
その原因は、もう一柱の神性――
**語られざる神**の顕現だった。
◇
それは突然だった。
北方、魔導都市カルディナの天空図書院にて、
“記録帳の自動消去現象”が発生。
既に記された名前、事実、歴史が、連鎖的に消滅を始めた。
>【記録喪失現象:語りへの逆因果干渉検出】
>【想起不能:記録が消えた対象に関する再語り不可能】
神殿本部に緊急報が入る。
綾香は、震える手で新語律の原典を開くが、そこにも“空白”が広がり始めていた。
「……これは、意図的に語りを“無効化”する力……!」
ゼ=ノームが“語る者と語られる者の共鳴”を基礎としたのに対し、
ネブラエルは“語ることそのものを禁忌”とする神性。
語られたことが存在を汚すとし、すべての語りを“改竄”することで清める存在だった。
──語られたがゆえに、縛られた存在を救う。
──語られぬことこそ、純粋な自由である。
その論理は、確かに一理あった。
だが、強制された“無語化”は、もはや救いではなく、断罪だった。
◇
蓮は、記憶の谷で再び眠りに落ちた。
その夢の中で、彼は“語られなかった妹”に出会う。
──イリス。
疫病で死に、自ら語ることなく消えた彼女。
彼の記憶の中で、彼女はいつも名前すら呼べない存在だった。
蓮は夢の中で泣いていた。
「俺は……お前の名を語らなかった。
語る資格がなかった。
死を無意味にしたくなかったのに……」
イリスは微笑んだ。
「お兄ちゃん。私は、“語られなくても”ここにいたよ」
「でも……あなたが語ってくれたら、それもまた嬉しい」
彼女の瞳に宿るものは、ゼ=ノームでもネブラエルでもなかった。
ただ“語ることと語らないことの両方を受け入れる”優しさだった。
そして、彼女は蓮の額に触れる。
その瞬間、蓮の中の“語る力”が戻る。
>【再同調:語りの原基、共鳴再構成】
>【沈黙と語りの境界を超える媒体、生成】
◇
目覚めた蓮は、即座に綾香の元へ走る。
「……綾香。戦いになる」
「語りと、無語の神性がぶつかる。
その時、俺たちが語るのは“誰の声”か、問われる」
綾香は頷く。
「語ることが武器になったなら、
語らぬこともまた、守るための盾にしなきゃいけない」
その時、彼女は懐から一冊の記録帳を取り出した。
白紙のまま、だがその背表紙に一言だけ綴られていた。
>【記さない、でも忘れない】
それは、語りを行う者たちにとって最大の決意。
“記さずに残す”という選択を正式に制度として記述した、“初の契約帳”だった。
◇
その頃、神殿評議会では最終決戦の布石が打たれていた。
ラザリエルはネブラエルと契約し、“神語訂正機関”の創設を提案。
それは「すべての語りを検閲・調整し、神の意志に即すよう補正する」機関。
語りの自由を守ろうとする者たちは、
次章、武力ではなく、**語りそのものを用いた神性戦争**に突入していく――。




