第四十三話:記録の外で交わされる誓い
記録にも、語りにも残らない者たちがいた。
彼らは自ら望んで沈黙を選び、名もなく、歴史の隙間に身を潜めていた。
“無音の民”――そう呼ばれていた。
誰からも語られず、誰も語らず、語ることの意味さえ捨てた民。
だが、ゼ=ノームの目覚めと共に、彼らもまた、語りの世界と接触を始めた。
◇
北東辺境、黒翳の谷。
そこに“無音の民”は暮らしていた。
言葉ではなく、記号でもなく、感情の“波”だけで交信する種族。
“語り”という行為そのものを、太古に封じた一族。
その集落に、綾香と蓮、そして語り部連盟の数名が足を踏み入れた。
だが彼らは歓迎されなかった。
“語りの匂い”を纏った者たちは、彼らにとって異物そのものだった。
沈黙の中、綾香は立ち上がる。
そして自らの記録帳を、そっと閉じた。
「……語らない。今日は、語らないわ」
「この地の声を、私の中に“記さずに”刻む。
記録にも、語りにも頼らずに」
その言葉に、無音の民の“揺れ”が変化する。
彼らの長、カーニルと呼ばれる者が近づき、指先をかざす。
蓮と綾香の胸元に触れた瞬間、二人の視界に“映像のような記憶”が流れ込む。
> 幼い子供が、語りによって記憶を改竄されていく。
> 名を奪われ、自分の在り方を“語られた通り”に変えていく。
> その子の目に浮かぶ涙は、「私は私じゃない」と叫んでいた。
語りが、時に他者の魂を“奪う行為”になっていた。
それが彼らが“語りを捨てた”理由だった。
◇
蓮は、語る力を未だ完全に取り戻せていなかった。
語れぬ者として、彼は今、語らない民と同じ位置に立っていた。
夜、谷にて。
蓮はカーニルの傍らに座っていた。
言葉は使えない。
だから、静かに掌を差し出す。
カーニルもそれに応え、彼の掌に触れた。
すると、互いの記憶が混ざり合い、沈黙の中で“意志”が通じる。
>「私は、語れぬ者として、語ることの意味を問い直したい」
>「あなたの沈黙の価値を、奪いたくはない」
そして、二人の掌の間に、わずかな光が生まれる。
それは“共鳴”だった。
語らずして交わされた、誓いのかたち。
◇
翌朝、綾香は集落の中心で語る。
だがそれは、語るというより“祈る”ような声だった。
「私は、記さない。記録帳も開かない。
でも、忘れない」
「あなたたちが語りを拒み、沈黙の中で命を繋いできたことを……
私は、語らずに知る」
その瞬間、カーニルは初めて人語を使った。
声はかすれていた。
「……それで、よい。
語るな、ただ、在れ」
◇
その後、彼らは“語らない者たちの自由”を記すための新たな一文を起草した。
>【語りの自由には、語らない権利を含む】
>【語られぬ者の存在もまた、語りの一部とする】
そしてそれは、世界語律改正の中核に組み込まれることとなった。
綾香と蓮は、記録に頼らぬ誓いを持ち帰る。
沈黙の中にある、言葉よりも強い意志を。




