第三十六話:語られし神、沈黙の証言
“語られた神性”――レイ=グラムが世界に名を持った夜から、三日。
忘却による死は止まった。
だが、その代償に世界の“語り”の価値が変わり始めていた。
語る者は、“存在の保証人”と化し、
語られた者は、“絶対的な現実”となった。
つまり、“物語”こそが、現実を形作る“因果の刃”となったのである。
◇
綾香は、記録帳を閉じ、読み聞かせをしていた。
集まったのは元騎士、農民、子ども、魔族、学者、兵士――
そして、元・アシリ=グラム構成体の亡霊たち。
彼女は言った。
「語られることで、世界に残れるのなら、
私は何度でも語る。たとえそれが、誰にも覚えられなかった命でも」
ルフェイはその様子を見つめていた。
彼女もまた、語り手の一人になっていた。
「“治す”って行為も、語ることに似てるのよ。
誰かの痛みを、“ここにあった”と証明することなんだもの」
◇
一方、蓮は記録局に呼ばれていた。
記録官たちは、蓮にこう告げた。
「あなたの存在を、正式に“公的記録”として登録したい」
「定義されない存在が、記録される……」
蓮は皮肉げに笑う。
「それ、存在否定じゃねえのか?」
だが記録官は真顔で言った。
「逆です。あなたは、“語り継がれることでのみ成立する因果存在”」
「これは“神性でも定義不能”だった者が、物語によって公共に“認識された”史上初の例です」
それは、神性よりも強い因果――語りの因果が、“存在”を超えたことを意味していた。
◇
同時に世界各地では“記録者”や“語り部”たちの連盟が自然発生し始めた。
剣の騎士団ではなく、言葉の騎士団。
魔法結社ではなく、物語を紡ぐ“語り守”たち。
“誰かの存在を保証する者”たちが世界中に現れたのだ。
彼らは剣を振るわず、呪文を使わず、ただ語る。
しかし語られた命は、神性ですら消すことができない。
それは、戦うよりも強く、支配するよりも確かな“抵抗”だった。
◇
その頃、神々の観測圏上層――《セフィロト第八階層》にて、
一柱の神性が“沈黙”を続けていた。
名は無く、記録もされず、ただ“観測のみを目的とした神”。
だがその神性は、初めて一文を発した。
>【人が語ることで、神性が変質しうる】
>【記録・定義・観測の順序が逆転する兆候あり】
>【“語り”を新たな統治単位と見なし、神性列に再編提案】
この神性は、“支配ではなく語りによる管理”を、神の役目から外す案を提出した。
それはつまり、神性の“管理者”から“聞き手”への降格提案である。
その提案は、神性社会に大きな波紋を投げかけた。
なぜなら、神性が人間に“記される側”になるなど、前例がなかったからだ。
◇
一方その頃、蓮と綾香は旧聖都郊外の石碑を訪れていた。
そこには、名のない者たちの記録が眠っていた。
だが、石碑の表面には何も刻まれていない。
名前すら存在しない、完全な空白の墓。
綾香はそこに立ち、語った。
「ここに、エリスという少女がいました」
「彼女は誰にも気づかれずに死にました。
でも、私が語ります。彼女の命があったと、ここに証明します」
その瞬間、石碑に“光の文字”が浮かぶ。
誰かに語られた命は、“記録なし”でも存在として証明されたのだ。
蓮は静かに言った。
「語るってのは、神を否定することじゃない。
神すら“聞く側”に引き込む力なんだ」
◇
空の彼方――
神性《レイ=グラム》は、深層記憶領域にて眠っていた。
だが完全な沈黙ではない。
その周囲には、語られた命たちの記憶が、小さな灯として漂っていた。
彼らはもはや、忘却に怯えない。
なぜなら、“語る者”が世界に生まれたから。
それは、神の許しではない。
人の意志による、“証明”だった。




