第三十一話:定義の終端、命の再構築
夜明けは来なかった。
北方断罪域、戦火が染め上げる氷の地平で、
一つの対話と、一つの審判が交錯していた。
リュミエールとカイン=バレスタ。
かつては共に“理想”を語り、
剣を交えた師弟が、今、理念の終端で対峙していた。
「なぜ、あの時、私を殺さなかった」
リュミエールの問いに、カインは無言で剣を振るう。
轟音。氷を貫く閃光。
ヴァルディアとカルマ・ギアがぶつかり合うたび、
かつて交わした教義と理想が脳裏を過ぎる。
「貴様がまだ、“選ばれし者”になれると信じていた」
それがカインの答えだった。
彼にとって、世界とは常に“正しさ”によって成り立っていた。
だがリュミエールは、その正しさに疑問を持った。
誰かを裁くことではなく、
“傷ついた者に手を伸ばすこと”を選んだ。
「私は、選ばれない者の声を聴く道を選んだんです」
「“存在する資格”なんて、誰にも決めさせない」
その叫びと共に、彼女の剣がカインの刃を弾き飛ばす。
続けざまの一閃――刃は彼の肩を裂いたが、命を奪わなかった。
「なぜ止めた?」
「“あなた”を裁くのは、私じゃない。
あなた自身が、自分をどう定義するか……それが、最後の問いです」
◇
その頃、聖都では――
綾香の“記述”が、世界構造そのものに影響を与え始めていた。
神性《セフィロート第七観測柱》が再び現れ、警告する。
>「記録者真綾香、汝の行使する“記述定義”は、神性構造に干渉中」
>「存在の再定義行為は、重大な秩序改変と見做される」
だが綾香はペンを止めなかった。
彼女は“存在を守るため”ではなく、**“存在を忘れさせないため”**に書いていた。
>「私が書き残したことが、“神が知らない世界”になるなら――」
>「それはもう、神とは“別の知性”なんです」
ペン先が光り、紙に刻まれた文字が、空に舞う。
>【命は、定義ではなく、物語の中に宿る】
その一文が、観測柱を沈黙させた。
◇
そして、蓮――アサクラ・レオンは、
断罪域の縁、氷原の境界で立ち尽くしていた。
空間に亀裂が走り、
ついに神性《エン・ソフ=パルス》が姿を現す。
それは形なき光の核。
そして“問い”でも“裁き”でもない、“無言の断定”。
>【観測不可能個体、アサクラ・レオン。定義保留限界到達】
>【最終確認:お前は何者か】
その問いに、蓮は静かに息を吐き、答えた。
「俺は“医者”だ。
治すためにいる。
生かすためにいる。
だから、何者かなんて、定義する必要はない」
神性が一瞬、静止する。
>【定義不能:解答拒否】【再定義試行中……失敗】
その時。
綾香の記録帳が自動的にページを開く。
>【存在記録:アサクラ・レオン。定義:未定義者】
>【観測拒否領域の確定。神性干渉不能領域、世界因果に追加】
そして世界が震えた。
神による全存在への定義試験が、一時停止された。
それは、“一つでも定義不能な命があれば、神は完全ではない”という、
新たな理論が成立した瞬間だった。
◇
空は開けた。
氷原に差し込む光。
その中で、リュミエールが負傷したカインを支え、
綾香が記録帳を閉じ、
蓮がただ、空を見上げて言った。
「……答えは、誰かが決めるもんじゃない。
それぞれが、それぞれの中で探していけばいい」
それは、神を否定する言葉ではなかった。
神に“役割”を与えず、ただ人として歩むという宣言だった。




