第二十九話:神の審判と、記されし者
綾香が“アサクラ・レオン”の名を記した瞬間――
空を這っていた存在裁定波動が、一つ、音を立てて消えた。
それは静かな現象だった。
だが、それを感知した存在は確かにいた。
天環礎柱の中心部。
神性《エン・ソフ=パルス》の“観測意志”が動く。
>【観測干渉検出:定義の上書き……発生源:人類知性体“真綾香”】
>【審判条件変更:記録を行う個体へ補足試験を実施】
綾香はまだ知らなかった。
この行為が、“神からの審判”を引き寄せるものであることを。
◇
一方、北方辺境“氷の谷”では、神裁勢力カイン軍がついに旗を上げていた。
総勢五千、うち三割が魔導強化兵。
その多くが“存在裁定を受けた者”――つまり、**“神に不要とされた命”**だった。
「選ばれなかったのは“敗北”ではない。
我々は、この世の“間違い”を正すために生き延びたのだ!」
かつて王国の将軍だったカイン=バレスタはそう叫び、
神の名を騙るのではなく、“神の意志を実行する剣”として動き始めた。
だが、その暴走を最も早く察知したのは、他でもないリュミエールだった。
「カイン……あの人がまだ、生きていたなんて」
リュミエールとカインはかつて師弟関係にあり、
王国軍内で戦術理論を共有していた間柄。
そして彼女は今、国ではなく“人”を守る剣となっていた。
◇
綾香の記述能力は、徐々に“因果筆記”の域を超え始めていた。
彼女が記せば、世界はそれを“在った”と定義する。
それは、神の定義と相反する力。
そしてその時――
天環礎柱が彼女に“試練”を下す。
聖都の空が裂けるように、存在しないはずの空間が開き、
一体の“光の使徒”が顕現した。
その名は《セフィロート・第七観測柱》。
裁定の補佐として、世界の“記録者”に試験を行う権限を持つ神性端末。
>「人間、真綾香。汝は命を記し、世界の記録に干渉した」
>「それが本当に“存在の証明”と呼べるのか、審問を開始する」
綾香の精神が引きずり込まれるように、異界空間《記録の塔・裏層》へ転移した。
そこは、彼女自身が過去に記してきた全ての記録が、断片となって漂う空間。
綾香はその中で、自らが書いた“偽り”を問われ始める。
>「君は“救えた”と書いたが、本当に救ったか?」
>「“希望があった”と記したが、その根拠はどこにある?」
記録は力であり、同時に“責任”でもあった。
彼女の指が震える。
「私は……間違っていたかもしれない。
でも、それでも、“何かを残したかった”」
その声に、空間が反応する。
漂う記録の断片が光となって集まり、綾香の胸に宿る。
>「よろしい。“虚構ではなく、願いによる記述”――仮承認」
>「最終認定は、次の観測結果による」
綾香は現実へ戻る。
だがその胸には、“神の審判を受ける資格”という
新たな“神性の核”が埋め込まれていた。
◇
そして蓮――
彼の存在は、すでに神性の中でも特異な“観測不可領域”とされていた。
異界から来た存在でありながら、存在裁定に“保留”され、
かつ、綾香によって“確定”された唯一の命。
天環礎柱の中枢が、その矛盾に反応する。
>【特異観測対象“アサクラ・レオン”】
>【存在確定、観測保留、外部因果干渉あり――】
>【……“神の代行者”として仮認定処理へ移行】
世界は動いていた。
だが、それは“選ばれた者”によってではなく、
“選ばれなかった者”たちが抗い続けた、その記録によって、だった。




