第二十三話:神なる友、命の裁定
――その空間に、時間という概念は存在しなかった。
魔力の奔流が上下左右を逆転させ、重力がねじ曲がり、理すら溶け出す中。
それでも、二人の男は確かに“対峙”していた。
一人は、アサクラ・レオン(朝倉 蓮)。
人の痛みに寄り添い続けた、かつての救急医であり、今は大陸を揺るがす義勇軍の象徴。
もう一人は、佐伯真一。
かつては蓮の大学時代からの同期であり、医学と魔導の天才と謳われた男。
“魔族の進化論”に魅入られ、自ら禁忌に踏み込んだ裏切り者――そして今は、“人の限界”を超えるために“神”を志す存在。
「お前の中にまだ、“人としての情”があるなら――この術式を止めろ」
蓮の声は静かだったが、その眼差しは、佐伯の虚構を貫いていた。
佐伯は笑う。優しげな表情を浮かべながら、ひどく残酷な響きを伴って。
「お前も知ってるだろ? “限界”ってやつを。
救えない命を、何百、何千と見殺しにすることが、“医者”だ」
「だとしても、俺はあの現場で、絶望を受け止める覚悟を選んだ」
「俺は違った。俺は、限界を壊す方法を探した」
佐伯が掲げた手のひらに、紋章が輝く。
それは“進化の紋”。人間の脳と魔導核を融合させる実験の果てに刻まれた、“理性を凌駕する設計図”だった。
「蓮。君にはもう、“理解される側”にいる資格はない。
君は“導く者”になった。ならば裁定を下せよ。俺のような“行き過ぎた者”を」
「裁くつもりなんてない。ただ、お前を止める」
蓮が剣を抜いた。
その刹那、空間が軋み、異形の魔導陣が起動する。
《神格術式・アポクリファ=オーバーロード》
《人命結界・ゼノ=アスクレピオス・展開》
二つの術式が、光と闇の螺旋を描いて激突した。
全方位への爆風。魔力の反響。幻影として蘇る過去の罪。
蓮の意識に、大学時代の光景が走馬灯のように流れ込む。
“研究棟で、何もできず死んでいった少女のこと”
“研修医時代、失敗した輸血ミスで亡くなった子供”
“そして、佐伯の手から離れた、最初の“魔族強化体”の記録”
「やめろ……それを見せるな」
「見せてるのは、君自身だよ、蓮」
佐伯が笑う。だが、その目に、わずかに涙が浮かんでいた。
「俺は、君の強さに嫉妬してた。
全員に向き合い、失敗しても前に進む“愚かさ”に」
「愚かで何が悪い。俺は、救えなくても諦めなかった。
誰かが“もう無理だ”って言ったって、“もう一歩”踏み込むのが俺だ」
その瞬間、蓮の背後から無数の光が溢れた。
【絆を結ぶ加護】が発動する。
ルフェイ、綾香、リュミエール……彼を信じる者たちの想いが剣に宿り、力へと昇華する。
「人は弱い。でも、“誰かを想う力”は、神よりも強い」
蓮の剣が光を放ち、佐伯の術式を貫く。
だが――
佐伯の口元に、安堵の笑みが浮かぶ。
「そうか……やっぱり、君は俺の“救い”だった」
その体が崩れる直前、佐伯は核の中にある“最後の術式”を凍結した。
暴走していた神託機構の根幹部が沈黙する。
それは、佐伯が最期に選んだ“贖罪”だった。
──静寂が訪れる。
蓮は崩れ落ちるように膝をつく。
拳を握りしめ、ただ一言だけ絞り出す。
「……友よ」
誰よりも優しく、誰よりも傲慢だった男。
佐伯真一は、神になる道を捨て、“人としての最期”を選んだ。
彼の死をもって、暴走する神託は一時的に沈黙した。
だが、世界はまだ沈黙していない。
その報せが届く前に――再び、大地が揺れ始める。




