第十四話:佐伯真一の真実
戦いの嵐が去った夜、北方戦線の仮設本部には深い沈黙が漂っていた。
兵たちは野営地で肩を寄せ合い、ヒーラーたちは疲労の限界に達しながらも、生き残った命に光を灯していた。
だが、その中でただ一人、蓮――レオン・アサクラは戦場を離れ、廃墟の礼拝堂へと足を運んでいた。
そこには、一人の男が待っていた。
佐伯真一。
元・日本の外科医。そして、今は魔王軍に与する“人間の裁定者”。
「来たか、蓮」
「……お前がここに出てくるとは思わなかった」
「奇襲でも毒でも罠でもなく、“対話”を選んだのは君のほうだろう」
蓮は礼拝堂の崩れた柱にもたれ、重たく息を吐いた。
「……聞かせろ。お前が、なぜ“魔族”の側に立ったのかを」
佐伯は、静かに頷く。
その顔は、激情も後悔も見せず、ただ一点を見つめていた。
「蓮。君はまだ覚えているか。日本で、あの災害病棟での出来事を」
「……」
「あのとき、感染症で隔離された子供たちを、君は強引に処置した。
規定を破り、命をつなぎ止めた。……だが」
「だが、俺のせいで他の区画に感染が拡大した」
「そう。君は命を救ったが、同時に“多くの命を天秤にかけた”」
蓮はうなずく。
その出来事こそが、彼に“人間を救う資格”を疑わせた出来事だった。
「……あれ以来、俺は常に迷っていた」
「そして僕は、その瞬間に“人間という種そのもの”の限界を見た」
佐伯はそう告げる。
「規範、法律、倫理、感情――すべてが“誰かを殺す言い訳”になる。
君が救った子供たちすら、後に政治の道具にされ、自殺に追い込まれた」
「……知っていたのか」
「調べたさ。自分の“対岸”が何を守ったのかを」
沈黙が落ちる。
それは言葉では測れない、“命”と“信念”の空白だった。
「そして、異世界に来た」
佐伯は続ける。
「ここでも、同じだった。
王国は勇者を使い捨て、教会は民を洗脳し、帝国は欲のために兵を動かす。
“魔族”だけが、異端でありながら、正直だった」
「だから、お前は人間を捨てた?」
「いや。見限っただけだ」
佐伯の声は鋭利だった。
「ここで俺は、“人間という構造”を終わらせ、新しい秩序を作る。
魔族は統一されつつある。“弱者に配慮する力”も、“嘘を恥じない知性”もある」
「それは……正しいと思ってるのか」
「蓮」
佐伯は初めて、真正面から彼を見た。
「君はまだ、“一人ひとりの命に価値がある”と思っているか?」
蓮は即答しなかった。
だが、それでも。
彼の瞳には、確かな“灯”が宿っていた。
「……ああ。たとえ他人に笑われても、“誰かの命”には、必ず“意味”があると信じてる」
「それが、君の信仰か」
「違う。“諦めない”っていう、俺の意地だ」
その言葉に、佐伯の口元が、かすかに動いた。
笑ったのか、呆れたのか、それは誰にもわからない。
「……やはり、君とは相容れないな」
「だからこそ、俺はお前を“止める”」
佐伯は踵を返し、影の中へと消えていく。
去り際、ただ一言だけを残した。
「次に会うときは、白衣じゃなく、血で染めた外套を着てくるといい」
礼拝堂に残された蓮は、静かに拳を握った。
――かつて“命”を信じていた仲間が、
“命”を拒む理論へと至った今、
それでも、自分は立ち向かわねばならない。
その背に、ルフェイの温もりがそっと重なる。
「レオン、泣いてるの?」
「泣いてないさ」
「じゃあ……心が痛いの?」
「……ああ、ずっと痛いままだ」
でも、それでも。
「この痛みごと、“人間”として、生きてみせる」
そう誓った声は、月光の夜空に吸い込まれていった。




