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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

出品中の娘

作者:

 ピコン、と、スマホから音が鳴った。

「出品中の品について、購入の申込がありました」



「ねえ緋奈(ひな)、もうずっと会ってないよ。DM無視しないでよ、どこにいるの」

「ママがね、急に病気になっちゃって。ママの実家に帰ってるの」

「緋奈のお母さんって、実家はどこなの?」

「うんとね、あの、東京からすんごく遠いの」

 その時大きなトラックがヒナの横を走って、水たまりの水がヒナのスカートに少しかかった。ムカついてナンバーを見る。

「あの、くさかんむりに、次って字に、お城の城って書くとこ!」

「茨城?」

「そう、いばらぎ!」

 ヒナの家の下赤塚(しもあかつか)から、なるべく遠いところだといいな。

「ママの実家の読み方も分からないの? ていうか一人で大丈夫? 俺も行こうか?」

「ようちゃんは、お仕事あるでしょ。それにおじいちゃんおばあちゃんもいるから」

「茨城のおじいちゃんとおばあちゃんの話なんて、緋奈から一回も聞いたことないよ。何か嘘ついてない? 俺心配だよ」

「あの、今までね、ママとおじいちゃんおばあちゃん、仲悪かったの。でもママが病気になって、ヒナも初めていばらぎに来たんだ。今は優しくて、助けてくれてる。安心して」

「なら良いけど……。困ったことあったら、電話するんだよ。緋奈はまだ、子供なんだから」

 ようちゃんは最後、いつだって余計な事を言う。

「うん、分かった。じゃあね、また電話する」


「ちゅうぜつを、したいんですけど」

 お医者さんはヒナを可哀想な子を見るみたいな目をする。小学校の先生と、同じ目。

 ずっとよく分からない説明をして、最後にお医者さんは言った。

「それで費用は大体、三十万程度見ていただければ」

「さんじゅうまん! そんなに払える訳ないよ、何とかならないの」

 ようちゃんのお給料の、ええと、ニ倍くらい。

「まだ十四歳でしょう。ご両親に来てもらってください」

 ごりょうしん。ヒナの嫌いな言葉。

「中絶にもリミットがあるから、ご両親ともよくご相談ください。ただせっかく出来た命ですから。大事になさってください」

 暗いさんふじんかを出たとき、ヒナのお腹はさっきより重く感じた。


 家中のクローゼットとか服の山をひっくり返す。でももう、アクセも洋服も、少なくなってきた。ママどうしよう、ねえママ。

 とりあえずピアスとネックレスとワンピース二着、引っ張り出してスマホで写真を撮る。

「カテゴリー→ファッション→レディース→アクセサリー→ピアス(両耳用)」 、 「商品の状態 目立った傷や汚れなし」。

 合計で三十万。そこまでやって、ふうっと押入れの中で息を吐く。売れますように、売れますように。どうか神様、一生のお願い。


 ぐわん、と腹が蹴られて、その中がどこどこゆれた。ママ、ママだ。

「あのピアス、どこにやったの! たあくんにもらった大事なやつなの!」

 この前まで、りょうくんだったのにな、と思いながらジンジンするお腹を押さえる。

「ママあのね……」

「とりあえずピアス探しといて、次帰って無かったらマジシメるよ」

 ママはまた高いヒールを履いて、ヒナの知らない所へ出掛ける。 ママごめんね。もうそのピアスは別の、知らない人が持ってる。早く次の商品、持って帰ってきて。


「六ヶ月、順調ですね」

「ちゅうぜつのお金、あと十万だから」

「中絶が出来るのは二十一週、五ヶ月目ぐらいまでです」

「うそ! じゃあどうなるの」

「御出産頂くしかありません」

「そんなの、前は教えてくれなかったじゃん!」

「中絶にリミットがあると、ちゃんとお伝えしました」

「りみっとって何」

 ふうっと吹いた医者のおっさんのため息はくさい。

「何とか出来ないの」

「そう言われてもね……。それより、今までどうしてたの?」

 急にタメ口になったんだけど、このおっさん。まあ、ヒナもだけど。

「押入れの中にいたよ」

 おっさんはもっと大きなくさいため息をついた。

「ご両親とご相談は?」

「ママはずっと家にいないの。無理。それよりねえ、ヒナ、赤ちゃんいらないんだけど」

 大人っていつも、どうしてヒナに目を合わせてくれないんだろう。

 真っ黒の中の、白いげんこつ分ぐらいのが、「たいじ」らしい。何だかモヤモヤしている。このままソーダみたいに、シュワシュワって消えちゃばいいのに。

「ご家族にご相談ください。ご出産費用のことも、ありますから」

「ごしゅっさんも三十万?」

「胎児の状況にもよりますが、大体五十万程度見ていただけると」

「ごじゅうまん!」

 ようちゃんの給料の、三倍以上。ママの一番高く売れたアクセの、二倍より少し安い。

「そんなの無理だよ! ちゅうぜつしてよ」

「だから、それは無理なんです。あと、今の身体じゃ未熟児になる可能性が高いです。ちゃんとごはんを、栄養バランス良く食べてください」

 じゃあちょうだいよ。ごはんをおっさんがちょうだいよ。


「ようちゃんあのね、ママ、手術が必要になって、でもお金が足りないの」

「緋奈心配してたよ! 元気だった? 寂しいよ今どこにいるの」

「だからい、いばらぎ。でね、ママの病気治すのに、お金が必要なの」

「おじいちゃんとおばあちゃんは? お金用意してくれるんじゃない?」

「死んじゃった」

 ようちゃんが、五秒くらい黙った。後ろに、ドリルみたいな音がする。

「嘘つき! 三カ月前だぞ! やっぱり嘘だったんだ。他の男といるんだろ? 今から家に行ってやるからな!」

「ようちゃん、おちついて。ヒナ、うわきしないよ。大好きだもん」

「じゃあなんで嘘つくの」

「ヒナが一人で世話してるの、ママのこと。ようちゃんに心配かけちゃうと思って嘘ついちゃった、ごめんね」

「なんだ……。俺の方こそ、怒ってごめん。じゃあやっぱ、俺もそっちに行くよ、ヒナ一人で大変だろう。仕事は親方に都合つけてもらうからさ」

 ようちゃんはいつだって、ヒナより頭が足りない。

「そんな悪いよ! 面倒って、病院でママの横にいるだけだから。でもね、お金が必要なの。あと四ヶ月で、三十万、用意できないとママ死んじゃうって」

「緋奈のお母さんは、何の病気なの」

「ママはね、うんと、しんぞうの病気。治らないとね、ヒナからもちょっと血とか、分けてあげないといけない。そしたらヒナも、もしかしたら」

「……分かった。俺なんとかする」

「本当に! ようちゃんありがとう。ヒナ、ようちゃん大好き」


 スイカみたいになったお腹がまた、ぐわんと揺れた。ママがヒナの前に出したスマホの白い光で目が覚める。

「これ絶対、あんたの仕業でしょ!」 見慣れた「ハヤウリ」の画面だった。

「違うよ、ヒナじゃない。それにきっと、それ同じ形でママのじゃないよ」

「表に掘ってんのよ。R&Tって、ママとたあくんのイニシャル。それが映ってんのよ」

 気づかなかった。今までのは全部、指輪の裏側だったのに。

「出品者名も『HINAHINA』って、マジで頭足りない。それより早く出品取消……てかあんた、何その腹」

 ママがヒナの、腹をにらんでいる。十秒ぐらい、間が空く。

「キッモ!」

 ママが急に叫んで、家にゴキブリが出た時みたいな目で、ヒナを見た。

「マジキモいんだけど。十四で? ゴムぐらい付けろっての。マジこいつ、頭足りない」

 ママがバサバサの髪をかきむしる。ようちゃんの白い液体が、ヒナの蹴られてあつい腹の上にひんやり今も広がった気がした。

「とりあえず男に言って金もらって堕してきてよ。ただでさえあんたもいるのに」

「あのねママ、ヒナしゅっさん費用が必要なの」

「知るかよそんなの! てめえが勝手にヤッて出来た子だろ! 自分の子の始末ぐらい自分でしろよ」

 ママの叫び声は、押入れ中に響いた。蹴られたお腹より、耳がジンジン痛かった。

 そう言ってママはヒナのスマホを取り上げて、ヒナの代わりに出品取消をした。ハヤウリのこと、最初に教えてくれたのも、ママだったのに。これでおばあちゃんにもらったお人形とか売れば、少しはお金になるよって。

 ママは自分でちゃんと「しまつ」したの? 浮かんだ言葉は、でもうまく出なかった。

 このままだとどうなっちゃうんだろう。もしかして、お腹がどんどんふくらんで破裂しちゃって、ヒナ死んじゃうのかな。叫んでも神様に祈っても、ヒナの腹は小さくならない。


 病院から何回も電話がなったけど出なかった。だから何日もたって病院で五十万、出したときは気持ち良かった。ヒナに準備できる訳無いって思ってたでしょう。その後何時間もめっちゃくちゃ痛くて、おしっこみたいにお水がいっぱい溢れて、股がさけそうだったのに、そんなことよりそれが嬉しかった。

 それは血と何だかねばねばの液にまみれてぐちゃぐちゃだった。顔もしわしわだし、わんわん泣いてうるさい。何が「おめでとうございます」なの。お金を出したときまでは気持ち良かったのに、いますぐお腹に戻して五十万、返してほしくなった。


 気づいたらコンビニに走って、いつものダンボールを買っていた。

 押入れの中でもずっと泣いてる。どうしよう、うるさいうるさい。ママが帰って来たら、ヒナも一緒に押入れからも追い出されちゃう。

 初めての出品だから、悩みながら打つ。早く、早く。

「カテゴリー→ベビー・キッズ→ベビー・キッズおもちゃ→その他」、「商品の状態 新品、未使用」「価格 三十万円」。

 ようちゃんは絶対無理だと思ったのに、三十万、送ってくれた。だから、その分返せるだけの額にした。

写真は押入れに入ってた、ピピちゃん人形にした。昔おばあちゃんがヒナにくれた、赤い服を着た赤ちゃんのピピちゃん。大丈夫、価格を見ればそれがほんとは何か、みんな分かってくれる。ほんとはスマホケースを出品してるのにスマホだけの写真なんて山ほどあったし、嘘じゃない。

 それが寝ているすきにダンボールに詰めて、起きないようにコンビニに運ぶ。早く、早く。もちろんとくめい配送。大丈夫、上手くいく。神様、一生のお願い。

 お医者さんが言ってた、みじゅくじならよかったのに。それなら、もう一つか二つ小さくて、送料が百円か二百円、安く済んだ。


 だからあの通知音が鳴った時はわくわくした。これで、普通になれる。もしかしたら学校にも行けて、友達もできるかもしれない。

 まだ股を縫った糸がチクチク痛い。でもようちゃんが、ディズニーに連れてってくれる。プルルルって、スマホがなった。

「斎藤様のお電話で間違いないでしょうか?」 知らないおっさんの声だった。

「そうですけど。誰ですか?」

「申し遅れましてすいません。(わたくし)、ハヤウリの担当者の田中と申します。斎藤さん、禁止している出品物……赤ちゃんを、出品、配送されてますよね?」

 ようちゃんのひんやりした白い液が、今度は背中に走った気がした。

「……なんでヒナだって分かるの。とくめい配送なんですけど」

「宅配業者から連絡を受けました。匿名配送は買い手のお客様に対してであって、当社は最初にご登録頂いたお客様情報を当然把握しております。当社で預かっておりますが、今すぐに赤ちゃんを当社まで受け取り願います」

 大人のおっさんが「赤ちゃん」って言うの、ちょっとウケる。ようちゃんが覗いている。

「よく分かんないけど、ヒナはもういらないの。とうしゃさんにあげる」

「……でしたら、こちらも警察に届け出させて頂きます」

 一瞬で、何かが頭でぶちっと切れた。

「好きにすればいいじゃない!」

 警察警察って、大人は自分で解決出来ないことを何でもすぐに警察に頼む。ヒナがコンビニでカップ麺をカバンに入れたときだって。五十万用意して、めちゃくちゃ痛いの我慢して全部一人でやったヒナの方が、よっぽど大人じゃん。こっちから切ってやった。

「何? 誰から?」

 ようちゃんの声を無視して、メトロの駅に向かって歩く。それでもようちゃんはヒナの後ろで、くだらないことを話している。せみってすぐ死ぬって言うけど、土の中じゃ結構長く生きてるらしいよ。真っ暗な土の中でずっといるだけなら、それって生きてるっていうの。浮かんだ返事もくだらないから、何も言わずただ歩いた。


 ようちゃんと、イッツアスモールワールドの列に並んでいた。黒いスーツのおじさんが、私に話しかけてくる。

「斎藤緋奈さんですね?」

 思ったより、早かったなあ。ようちゃんが、「おい何なんだよ!」と叫んでいる。

 今もようちゃんの家でベッドに一緒にいるときも、ようちゃんはママと昔行った上野動物園のさるに似ていた。インスタで最初に見たときはかっこいいと思ったのになあ。海に行ってバーベキューしてる写真をいっぱいのせてて、もっとお金持ちだって思ったのになあ。

 それはすぐにヒナのところに帰ってきた。押入れの中で聞いた時よりうるさい。

 外に出たら、雨のふった後で、空気がもわんとしていた。。

「……どうして言わなかったんだよ」

 帰り道、ようちゃんの声は、いつもよりずっと低い。

 ようちゃんは警察のおっさんに「ふどういせいこう」なんじゃないかって、ヒナよりずっと何倍も怒られていた。ひいちゃんはそこにあったパイプいすを蹴った。「俺とヒナは愛し合ってるんだよ!」ってバカみたいなこと、ずっと叫んで。ヒナはめんどくさいから、警察のおっさんに聞かれたときだけ、「はい愛してます」とロボットみたいに答えた。

「俺は緋奈との子なら大事に育てるよ!」

 ようちゃんは突然叫んだ。泣いてるそれよりうるさかった。

「何? 俺の収入が不安なワケ? この前の三十万だってすぐに準備しただろ? そんなに俺って信用無い?」

「ようちゃんのお給料、月十五万って言ってたじゃん。どうやって三十万、準備したの」

 聞いたらそのお金が飛んで消えちゃうような気がして、今までわざと聞かなかった。

「……貯金してたんだよ。最近は親方にも、認められるようになってさ」

「嘘! 毎月カツカツだって、ディズニーも年一回も行けなくてごめんって、ようちゃん前に言ってたじゃない!」

 ようちゃんは下を向いて黙っていた。でも、じきに上を見上げた。そして指さした。

『消費者金融 ラクーナ』と書かれた黄緑の看板。

「なんて読むの」

「しょうひしゃきんゆう」

「何それ」

「……お金を、貸してくれるところ」

「そんなところあるの! じゃあディズニー行きたいときも、いつも借りればいいじゃん」

「利息があるんだよ! お金を借りたら、借りたのより余分に多く返さなきゃいけない」

 突然叫ぶから、ヒナが抱いてるそれがまたうわんうわん泣く。せみもないてる。ヒナのまわりには、うるさいものばっかり。押入れの向こうでエッチするママ。

「え! じゃあなんで借りたの?」

「緋奈がお母さんの為に必要だって嘘ついたからだろう!」

 そう言ってようちゃんはヒナの肩を押した。ヒナは後ろから倒れた。なんでだろう。気づいたらヒナはそれの頭を胸に抱いて、落ちないよう守っていた。だからヒナは自分の頭を打った。血が、少し出た。駅前で、おじさんとかおばさん、みんな、ヒナ達を見ていた。

「俺はお金を借りさせられたことに怒ってるんじゃないよ! 緋奈が俺に嘘をついたことがムカつく。親方に認められれば俺の給料だって今より増えるんだよ! どうして緋奈は俺を頼ってくれないんだよ!」

「……かわいそうじゃん」

「え? 聞こえないよ!」

「かわいそうじゃん、ヒナがママなんて。ヒナ、ずっと押入れに住まされてるんだよ。うるさいからって。お金も全然もらえなくて、ママが男の人たちからもらって使わなくなったアクセとかハヤウリで売って、ごはん食べてスマホ代払ってるんだよ。学校も行けない。そんなヒナの子なんて、かわいそうじゃん。もうヒナみたいな子、生きてない方がいいじゃん」

 ようちゃんは、何も言わなかった。股から血も出したことないくせに、とヒナは思った。


 それは眠っていた。しばらくしてヒナも眠りかけたとき、スマホのピコンっの音で目がさめた。インスタのDM、「亜矢子*AYAKO」と知らない名前が出た。

「突然DMすいません。ハヤウリで、ピピちゃんの買い手だった者です。人違いだったらすいません。ハヤウリの方から事情は聞きました。会って話せませんか?」


 どこに住んでるか知らないけど、下赤塚のベローチェまで「あやこさん」は来てくれた。

「初めまして、ひなさん」

 綺麗な、でもおばさんだった。ソファ席で、あやこさんはコーヒーをもう頼んでいた。

「ひなさんは、何飲まれます?」

「ヒナ、お金無いから」

「いいえ、今日は私からお願いしたんですから、私が出します。好きな物言ってください」

「……じゃあ、メロンソーダ」

 あやこさんは、メロンソーダに、チョコレートケーキまで注文して私の前に差し出した。

「いいの?」

「はい、もちろん」

 甘かった。ケーキなんて、小学校の時の()()ちゃんの誕生日パーティーに食べたのが最後だった。インスタ用に、写真を撮る。

 ヒナがメロンソーダの上のアイスをつついていると、あやこさんは話し始めた。私が胸に抱いた、それをじっと見つめている。

「その子は、あなたが産んだの?」 アイスを食べて、ヒナはうなずく。

「ご自分では育てられない?」 またうなずく。

「今何歳?」

「十四」

 あやこさんは、ヒナを見ている。いつもの、可哀想な子、みたいな目で。

「この子名前は?」

「ある訳ないよ」

「……じゃあ」あやこさんが息を吸う。

「じゃあ、私に、その子をちょうだい」

ヒナはやっと顔を上げて、あやこさんの方を見た。

「欲しいの? この子が?」

「ええ、とっても欲しい」 あやこさんは優しい笑顔だった。

「自分で、生まないの?」

 あやこさんは息を吐いた。

「お恥ずかしい話ですけど、もうずっと、産まれないんです。今年四十なのに。旦那も最初は不妊治療とか協力してくれたんですけど……。でも私、どうしても諦められないんです。もちろんタダでじゃないです。ご指定いただいていた、三十万円です。どうかお願いします」

あやこさんはそう言って頭を下げた。よく見ると、あやこさんの頭の上は白い毛ばっかりだった。服も、そでのところに穴が空いている。ヒナのと同じように。

「……抱いてみる?」

 自然に声が出ていた。頭を上げたあやこさんは顔を上げて元の黒い髪に戻った。シワの寄ったバラみたいな、笑顔だった。

「いいんですか?」

 ヒナは今寝てるそれを、そっとあやこさんに渡した。あやこさんの手は、震えている。

「温かい……」

 ヒナも同じこと、最初に思ったよ。そう言うのは、なんとなくやめておいた。

「この子は生まれて、何日なんですか?」

「えっと、三日ぐらい」

「あの、服は……」

 それは、病院でもらったおむつとタオルしかつけてなかった。おむつもべとべとだった。

「ずっとそのまま。買えないんだもん」

 あやこさんはそれのタオルをゆっくりめくった。

「女の子ね」

「そうみたいだね」

「……ごはんは?」

「ヒナ、おちち出ないの。若くて細すぎるからだって」

 あやこさんの手が、さっきよりもっと震えた。指がクモの足みたいに折れ曲がる。

「きょうこ……」

 あやこさんがそれを見ながら呟く。ダッサイなあ、とヒナは思った。

 ヒナはなぜかあやこさんが、美人だけど「だんな」なんて本当はいないと思った。あやこさんのクモの指が痛かったのか、それは起きてまた泣きわめき始めた。

「ありがとうございます!」

 そう急に叫んであやこさんは、カバンを取ってテーブルにお金だけ置いて、店の外まで走り出した。お店のお客さんが何人か、それを抱いたまま走って行くあやこさんを見ていた。ヒナは足が動かなかった。

 その子、のうせいまひだって。何回か言おうかとも思った言葉は、結局出なかった。「目立った傷や汚れなし」の方が、いつだって高く売れたから。

 店の外に出たら、もう夕焼けだった。

 ディズニーに、何回行けるかな。足りない頭で、考えながら家に帰った。

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