ここでは終末をとうに迎えた世界のありようと、ある力のない少年の諦めと藻掻きについて語られる 4/?
――――そして朝。
ハクアは浅い眠りのなか不意に目を覚まし、ピンと猫の耳を立てた。音もなくベッドから降りて、周囲をキョロキョロと見渡していく。
足音はなかったが、こちらを測るような、嫌に【白亜】を意識しすぎているような人の気配が知覚に触れた。
『おはよう。ちゃんと休めた? もう朝だよ? 朝食の時間まであと10分しかない』
ペークチャと、何も気づかずに喋る薔薇で髪を留める。扉を凝視した。
「……何か用ですか」
「嗚呼、待ってください! 私に花を咲かせないでください……! 私は〚エンジェル製菓禁忌執行部門一課〛です……!! ルーカス様の居場所がわかったのでご連絡を――――」
「どこ?」
「げ、現在〚リード協会〛に所属しているようです。まだ散歩には行っていないようで、まだ協会の事務所にいます」
食い入るように尋ねると、扉の向こうの職員は声を震わせながら答えた。
……散歩。〚リード協会〛は身体改造のせいで狼の耳と尾が生えているし、ご丁寧に首輪までしているから、彼らの仕事をそう揶揄しているのか。
「ありがと、行ってくる」
ハクアは瞳の倍率をあげ、数キロ先のリード協会を見据えると、窓を開けてそのまま飛び降りた。
「斬って【ダモクレス】」
異界道具が効力を発揮するための引き金の言葉を唱える。
瞬間、宙に純白の剣が現れた。ハクアが慣れた様子で剣の柄を掴むと、魔法のような刃は行先に向けて放たれた。
空気を切り裂いて、ものの数秒で着弾。
鈍い地響きと砂埃を舞い上げて、リード協会の前に舞い降りた。
『舞い降りたって言うには重々しすぎるかな』
都市の一角、無遠慮に腰を据えた、黒ずんだ石材とコンクリートの建物。
正面の鉄門には、都市の規律と飼い主の意向に反した者が首縄をつけられ吊るされていた。
「立派な犬小屋だね。お屋敷みたい」
「要件をおっしゃってください」
丁寧な言葉遣いでリード協会の番犬が尋ねた。
警戒を巡らしてピンと立った狼耳。激しく揺れる尻尾。
彼らは巨大な両刃剣をハクアへ向ける。
「犬を捜しに来たんだ。ルカ……ううん、ルーカスって人はいない?」
「雇用、面会、依頼でしたら事務所入り口からお願いします」
「それは何か月待ち? ちょっとお話するだけでいいんだけど」
返答はない。
それは普通の人相手には正常な対応ではあったけれど、ハクアにとっては関係のないことだった。
少しばかり目を細めて、【ダモクレス】を手元に呼び寄せる。
「力の差を理解できないなら番犬はやめたほうがいい。躾がなっていない」
だれが死のうと苦しもうとよくあることでしかないから、この世界で生きるためには力の差は理解するべきだったのに。
「命知らずが。他の奴らと同じように首縄を掛けてやる」
番犬も同じことを思ったのだろう。地を蹴り砕いて高く跳ぶと、身を翻しながら巨大な両刃剣を振り下ろした。
【ダモクレス】の刀身で真っ向から受け止めると、番犬は軽やかに距離を取って、鋭い残像を描いて背後を取ってみせる。
ハクアは顔も向けずに、重々しい斬撃の連続を避けきると、足元を払い、身を屈めて懐に潜り込んで、喉首に純白の刀身をあてがった。
「三課じゃ話にならない。遠吠えをするか、通して」
「……そうだ。通していい」
声の方を見上げると、門の上にリード協会の女性がいた。
真っ黒な双眸。欠けた狼耳、荒々しい毛並みの尾。
金のかかったスーツを着こなし堂々とした立ち振る舞いは、殺し屋というよりも、殺し屋を雇う側の者に見えた。
ハクアは半ば本能的に瞳を光輝させた。髪飾りの薔薇が美しく花を広げていったけれど、彼女の身体が花で彩られることはなかった。
「意思の力を違うものに変換せずに、そのまま花を咲かせる道具か。凄いね」
『わぁ。久々に見破られたよ。それに防がれた』
【咲いた薔薇】は自分の力が完封されたにもかかわらず、むしろ嬉しそうにキャッキャと興奮気味に茨を揺らした。
「あなたは強いね」
リード協会の大狼……。一課よりも上の階級だろうか。
間違いなく、都市に直属している部類だろうか。
「お嬢ちゃんに言われたくないなぁ。まぁでも、わたしらが殺しあったら、三日……いや、七日は行けるな? それで? 何の要件だよ。子犬どもに稽古つけるって条件でいいなら了承してやる」
「教えるの下手だけどいいの?」
『ハクアはほんとうに下手だよ! 自分ができて他人ができないのを見るとイライラするタイプだし』
失礼なことを言う髪飾りを握り締めながら視線を向ける。
「それでもかまわない。で、要件はなんだ?」
「ルーカスがここにいるって聞いたんだ。会いたいの」
「”新入り”か。いいぜ」
大狼が遠吠えを轟かせる。瞬間、無数の残像が尾を曳いて、リード協会の面々が集まり、そして忠犬のように整列した。
「……ルカ、少しだけね。話がしたくてきたんだ」
赤い髪から生える狼の耳。僅かに揺れる尻尾。
彼は生きていた。
無力さと恥ずかしさと諦めで濁ってしまった瞳がじっとハクアを見つめる。
「…………嗚呼、できれば会いたくなかったよ。俺は」
妹を、仲間を皆殺しにしたリード協会に所属したルカは、力ない声でそう答えた。




