ここでは終末をとうに迎えた世界のありようと、ある力のない少年の諦めと藻掻きについて語られる 3/?
――――それから色々話したけど、他愛ないことばかりだった。
都市を所有していたのに落ちぶれて、破産してしまった大企業の話とか、美味しいお菓子の話とか。
ハクアとしては寝ずにずっとお喋りをしていたかったけれど、ルカは段々と面倒くさがって、最後にはこちらに背を向けて眠ってしまったのが昨晩のこと。
それで諦めるみたいにハクアも目を閉じて、三日ぶりの眠りについて――そしてすぐに訪れた朝と共に目を覚ました。
小さなあくび。ゆっくりと四つん這いになって体を反らし伸ばしていく。白い猫の尾がゆらりと揺れた。鈴の音を鳴らしながら起き上がる。
『ハクア、おはよう。まともな睡眠は何年ぶりなんだろうね?』
「さぁ数えてみないと……。ルカくんはどこに行ったの?」
髪飾りの薔薇の疑問に小さく首を傾げながら、ハクアは周囲をキョロキョロと見渡した。
地下の水場を覗き込んでも、外の渇いた荒野に出て、視界の倍率をあげてみても、すでにルカの姿がどこにも見えなかった。
『さぁ? 薔薇には目がないからわからないよ』
「行っちゃったのかな……。私はこれ以上、私と親しくしてくれた人に死んでほしくなかったんだけど」
『どうするの? ハクアなら本気で追えばいくらでも見つけられると思うけど』
「…………誰かに不要に親しくしたり、感情移入をすると余計につらくなっちゃうからなぁ」
ハクアは遠くの地平線をぼんやりと見つめながら、達観した様子でぼやいた。
久しくまともな人とお話をしてしまったせいか、きちんと生きてきた頃のことを思い出して寂しさが胸に詰まっていく。
『そんな顔するなら探したらいいのに。もうすでに後悔してるじゃん』
「…………昔みたいに執着することでもないかな。それより一度、水浴びしてくる」
乾いた砂塵に小さく咳き込んで、ハクアは外の世界に背を向けた。
沈黙したまま服を脱ぎ捨てて、透き通った水のなかへ身を沈めていく。
『このあとはどうするの? ルーカスが教えてくれた街に行ってみる?』
「……三日待ってこなかったらそうするよ」
『未練たらたらじゃん』
「うるさい……」
ハクアは子供じみた感傷を誤魔化すようにぶくぶくと音を立てて、水のなかに顔も沈めた。
これなら意味がないと決めつけずに彼の復讐を無理やりにでも手伝ったほうが精神衛生上はよかったかもしれない。
――彼の心ではなく、私の心のありようが。
…………結局、三日待ってもルーカスが戻ってくることはなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あの穏やかな秘密基地を後にして、荒野を進むこと丸一日。視界が夜の闇に染まり切った頃、ルカの言っていた都市へたどり着くことができた。
だだっ広く荒漠とした大地のど真ん中に築き上げられた摩天楼が近づくにつれて煌々とした灯りを突き刺してくる。
ハクアはそんな街の灯りを、都市と外界を隔てる巨大な外壁越しに見上げて、都市の越境検問所にできた途方もない行列を見下ろして、顔を歪めた。
都市の居住ライセンスを持っている者はすんなりと入れていたが……。
そうでない者は違う。
都市に入るためには技術か、金か。
自分自身の価値を証明しないといけない。
夜の冷え込んだ風に髪を靡かせながら、ハクアは辟易した。
都市は企業に支配されているけれど、こんな世界においては人類の数少ない生存圏。入場を拒否された奴らの藻掻きと喚きは見ていられないものだった。
そんな奴らが沢山、数えきれないぐらい並んでいるから一行に列が進まない。
『皆が【白亜】のことを覚えてたら全部フリーパスなのにね! まぁ止められる人がいないからだけど』
「今も私を止められる人はいないよ? 止めようとしてくる人は沢山出てくるだろうけど……」
薔薇とおしゃべりをしながら大人しく列に並んでいると、当然のように割り込まれていく。そして押し飛ばされた。
「あの、私も並んでいるんですよ」
ハクアは蔑むように目の前の男を見上げた。
「…………何も持ってないチビの女が都市に入れると思うのか? それとも自分を売りにでも出すか? 見た目はいいが、出自もわからん個体を飼う物好きはいないだろうな」
突き飛ばして横入りして、酷い言いようだ。
けど誰も気にしない。
こんなことも、この世界ではよくあることだし、ハクアが何も持っていない少女にしか見えないのはまごうことなき事実だったから。
誰も助けようとも慰めようともしてはくれなかった。
「……やっぱり後悔してる。ルカと一緒だったら並ばずに入れたのに」
『後悔する要素そこなんだ……?』
それに彼なら長い昔話を聞いてくれそうだったし、容姿で舐め腐った態度を取ることもなかった。いっそ復讐に付き合って、虚しい暴力行為を終えた後の彼を引き連れて旅を共にしたってよかったかもしれない。
「いつまで睨んできてるんだ? ここは都市の外なのが分かってんのか?」
都市の外に人が人らしくいなければならないルールはない。
だから男はハクアの頸を躊躇いなく鷲掴んで、その小さな体躯を無遠慮に持ち上げて、膂力で締め付けていく。
「おじさん。私が前に並んでいた。退いてください」
淡々と言葉を口にすると、むしろ逆上するように手に力が籠められる。気道が圧迫され息が詰まる。足はつかせてもらえないまま。
「咲いて」
魔法を唱えるみたいに一言だけ呟いた途端、怒りも焦りも苛立ちも、男の顔から全てが消えた。悟りを開いたみたいに穏やかな笑みを浮かべて、険しく睨みつけていた眼から白い薔薇が咲き誇っていく。
……男の腕から力が抜けた。
ハクアは何事もないように元の列に戻ろうとしたけれど、前を並んでいた人たちは皆逃げるようにハクアへ列を譲っていった。
『目立ちすぎじゃない?』
「これはこれで嫌いじゃない。早く都市に入れそうだし……」
ただ殺しただけならさほど目立つ行為でもなかったのだが、男の亡骸はすぐに数多の薔薇に覆われて、荒野の砂地とコンクリートに白く鮮やかな色彩を広げていた。
誰かが死ぬ。殺されるなんてのは、この世界ではよくあることだけれど、全身から薔薇を咲かせて死ぬっていうのはよくあることではなかったから。
畏怖と好奇の眼差しを節目に、ハクアはウェル・チアーズ・フード社管轄都市の入口にすぐに辿り着くことができた。
騒ぎ自体には気づいているのか、職員は訝し気に睨みながら銃を向けてくる。
彼らはメガコーポの正規職員なだけあってか、重武装だった。
天使の輪のように頭上で浮遊する知覚補助ユニット、身体再生機能の付いたバイオアーマー。
……ライフルがやけにポップで、アイスクリームみたいな塗装をされているのは一応この企業が食品会社だからだろうか。そういえば銃弾もチューインガム弾とかいう特殊なものだった記憶がある。
争っても負けることはないだろうけど、それなりに面倒なことになるだろう。
職員の一人がハクアに尋ねた。
「……あれは何をしたんだ?」
「異界道具を使っただけ。空飛ぶ絨毯や傷をいやす隕石だとか、空間を切り裂くナイフがこの世界には存在してるんだよ? 綺麗な薔薇を咲かせる道具ぐらいはあっても普通じゃないかな」
――――異界道具。
この世界以外からもたらされた、科学では説明のつかない力を持つ存在全般だ。作用の原因が実際に異界道具であってもなくても、異界道具と言われれば彼らは納得するしかない。
「失礼ですがLカードの提示は可能ですか?」
「無くしちゃったんだよね」
全ての都市で共通した価値を持つ身分証兼支払い許可証なのだが、棺桶のなかで眠っている間に盗掘されていた。
「多分再発行も難しいから一から作って欲しいな。並ばずに……」
都市を支配するほどの企業であれば紛失届け受付もある。
地獄のように鬱屈で怠惰な待ち時間を要するが。
「規則ですので再発行はご自身で申請してください。また、当都市では一定のクリアランス未満の者が異界道具の所持をすることを禁止しています。あなたの身分が証明できないので入都する際にそれらを押収することになります」
「……困るな。トラブルは起こしたくないのに。そのクリアランスとやらを引き上げられたりはしない?」
「規則ですので」
これだから都市は好かない。
まぁLカードを紛失した自分が悪いのだけれど。
ハクアは自嘲しながらも、むしろ開き直るみたいに穏やかに微笑んだ。
「……ええと、上の者を呼んでください。【白亜】が来たと」
名乗るのとほぼ同時、職員が伝えるまでもなく上の連中が文字通り飛んできた。
ウェル・チアーズ・フード社の職員は上の階級になるほど武装がお菓子みたいにカラフルになっていくからわかりやすい。
「お初にお目にかかります。ワタクシはウェル・チアーズ・フード社エンジェル製菓情報部門一課の――」
ながったるしい自己紹介はそれ以上耳には入らなかったが、賓客用の高価な砂糖菓子を用意してくれていたので彼女の話が終わるまで黙って聞いていた。
口のなかで甘い香りが溶けていく。
「――――というわけです。なので【白亜】様であれば規則は気になさらなくて構いません。次からはむしろ要人用のゲートを通ってくださればより円滑に入れますので」
「ごめん。むしろ迷惑を掛けたみたいだね。都市の規則は破ると面倒だから……」
「ハッハッハ! 規則はね。弱者のために在るものですから! お気になさらず。Lカードのほうもこちらで再発行しますし、宿泊であれば本社の迎賓館をご利用ください!! 他に何かご希望はありますか?」
「二つあるかな。〚かがり火協会〛に所属してた、ルーカスって人の所在を捜して欲しいのと――――」
シャランと。小さく首元の鈴が鳴った。
「……このお菓子をお土産用に欲しいな。ルカくんにも食べてみて欲しいから」
口の中に転がしていた甘未を飲み込んだ音だった。




