ここでは終末をとうに迎えた世界のありようと、ある力のない少年の諦めと藻掻きについて語られる 1/?
二章:ここでは終末をとうに迎えた世界のありようと、ある力のない少年の諦めと藻掻きについて語られる
発電所から離れるように黒く乾いた大地を歩き続けて三日ほどすると、空を覆うような分厚い排気ガスも見えなくなった。
剥き出しになった岩肌を登りきると、少しは見晴らしが良い場所に出たようだった。
とはいえ四季もない壊れ果てたような荒涼たる大地が地平線まで広がっているだけ。
移動してきた道のりを振り返ってみても、とっくに金属臭い構造物も見えなくなっていて、見渡す限りの褐色だった。
川や木々もなく、枯れて色あせたススキと石と岩ばかり。
空を振り仰いでも、寒さが滲んだ曇天が息もつかずに、凝然として延び広がっているだけだった。
ハクアは立ち尽くすように歩みを止めた。
小さな自分なんて、この荒野からすれば白い点にすら見えないだろうか。
翡翠の双眸で向かう先を見つめて、ため息が溢れそうになる。
誤魔化すように純白の髪を掻いた。
『ハクアー? どうするの? ここがどこだかわからなくない? 水は? 食料は? いい加減何か食べないと起きて早々死んじゃうよ。わたしも枯れそう』
髪飾りの薔薇が、ペラペラと緊張感もなくしゃべりかける。
ハクアはぼんやりと遠くを睨んだまま、猫の尾を揺らした。
寒く乾いた風が吹きつけて、首輪の鈴がコロコロと鳴り響いていく。
「うぅん……どうしよう」
『酷いもんだよ。格好つけてさ。「でしょ? ということで善いことしたから良いご飯が食べたいな。……好きだったお店あるかな。…………というか、街があるかな」とか言ってたくせに。せめて立ち去る前に道を聞けばよかったんだ』
「知らない場所だとは思わなかったんだもん……」
ハクアは不機嫌そうに愚痴って拗ねた。
自分の墓を作って眠りについたのはこんな荒地じゃなくて、視界一杯のアズレアの花が咲く青い花畑だったのに。
寝ている間に随分と遠くまで移動してしまったのか、そんな花畑も時間の流れでこうなったのか。
「……まぁ、仕方ないか」
世界はとっくに壊れているのだから。
宇宙生物に異常気象。
異世界からの侵略者にモンスター。放射能汚染。
あとはなんだったか……。
テレポーテーション技術の研究所が事故を起こして世界各地に亀裂を生み出したとか、海に眠る悪魔が目覚めただの……。
数えたらキリがないほどの原因が積み重なって、今目の前に終末が広がっているから。
わずかな生存圏もいくつもの大企業が管理支配して、人が人を喰らい争う場所でしかないから。
……花畑が無くなることも、棺桶が資源ゴミとして運ばれることも、よくあることでしかないだろう。
「……いやでも、仕方ないで済むことじゃないんだよね」
『セルフツッコミしないでよ。わたしの台詞なくなっちゃうじゃん』
「考えてたセリフツッコミだった? ……はぁ、けど本当に、ワタシ死んじゃうかもね。どうしよ、いまからあの発電所戻ろうかなぁ……」
『いいじゃん。言ってみたら? ここで働かせてくださいって。招き猫ぐらいのポジションはあるかもよ?』
「……働くのきらい。臭い場所も暗い場所も嫌い」
ハクアは気力なくぼやいて当てもなく乾いた大地を蹴った。
砂塵が舞っていく。ひび割れた地面に、ゆらゆらと揺れる尾の影が映っている。
そんな自分の影を見つめた後、ぼんやりと遠くに視線を戻すと、数百メートルほど離れていた場所で普通ではない砂煙が立ち上っていた。
「……何かある」
今は風もほとんどなく穏やかな気候で、砂嵐ではない。
あり得るとすれば――何かいる。
怪物でも人間でもいい。
暴走した殺人ロボットとかでもなければなんでもいい。
なんだったら機械でも、暴走した冷蔵庫の防衛装置とかなら許そう。
ハクアは一人薄ら笑いを浮かべながら、指で丸を作って、視界の倍率を上げた。
2倍、4倍、10倍……。当たりだった。
砂塵の奥で人がいる。女の子だ。
真っ赤な外套に刺繍の入ったスーツ。ロゴも見えた。〚かがり火協会〛所属の便利屋だろう。
「見て。懐かしい制服。私が寝てから何年経ったかわからないけど、まだ残ってるんだね」
『助けてあげたら? お礼に近くの都市を教えてくれるかも』
少女は新鮮なサンドワームに襲われていた。
〚かがり火協会〛の、魔力を炎に変換する技術を用いて業火を振るって抵抗しているようだったが。
放置すればあの子は蟲のごはんになるだろう。
「……無視しないから蟲が私達のごはんだね。斬って【ダモクレス】」
引き金となる言葉を唱えると、ハクアの頭上の空間に亀裂が奔った。
ガラスを削るような不協和音を響かせ、次元の青い塵を溢しながら、巨大な純白の刀身が空間の裂け目から姿を現していく。
そして、放った。
巨大な刃が空気を裂いて、激しい轟音と共に遥か遠くの砂塵の中へ驀進していく。
ハクアは視界の倍率を上げたまま、自身の放った【ダモクレス】が、砂色の甲殻を貫いたのを確認すると、ぴょんと岩肌から飛び降りた。
「久しぶりだけど問題なく当たったよ。行ってみよう。あの女の子が逃げちゃう前に」
『いや、【白亜】から逃げられる人はそうそういないんじゃないかな……?』
「……私はもう色付きじゃないです」
『拗ねないでよ』
ハクアは身を屈めると、しなやかに地を蹴った。
白い残像を描いて一瞬で加速。蹴って、蹴って、地面を砕きながら数百メートルの距離を飛んで駆けていく。
助けた少女が呆然とサンドワームの屍骸を見つめるなか、彼女の目の前に勢いよく着地した。
「ひぃ……!?」
数日ぶりに聞いた人の声はまた引き攣った悲鳴混じりだ。
「大丈夫だった……? 怪我はないですか?」
ハクアは淡々と尋ねながら、少女の足先から頭頂部までをじっと観察していく。
……自分より背は高い。いや、ブーツで盛っているだけでさほど差はないのか。
〚かがり火協会〛の制服もサイズが大きそうで、なんだか頼りない。
「あ、あんたは誰だ……!?」
少女は……少年だった。中性的な声だが喉仏が張っている。
彼は腕を負傷したのか、足元の砂地に血の滲みを広げていたが、怪我なんて気にする余裕もなく、ハクアを注視した。
握り拳から炎が溢れていく。
鮮やかな赤色の髪が熱気に揺れた。長くて、後ろで纏め結んでいた。
「私はハクア。君の恩人です」
『厚かましいけど事実だね。でも名乗るほどの者ではないって謙遜があったほうが格好良かったよ』
髪飾り風情が好き勝手言うのを無視して、【ダモクレス】を亜空間に収納していく。
ハクアは敵意がないことを示すように不用心に背を向けたりもしたけれど、少年はむしろ助けてくれたことを警戒するように距離を取った。
「……優しいやつとか、理由もなく親切にするやつほど信じられない」
「理由ならあるよ。迷子なんだ。Lカードも無くしちゃった。もう三日も彷徨ってる。助けて欲しいな」
今度は少年がハクアを頭からつま先まで見つめる番だった。
三日も彷徨い続けて砂色に染まりつつある白い髪。
ほっぺも薄汚れている。けれど彼からすればこんな場所を三日間も彷徨った風貌には到底見えなかった。
だが、嘘を付いているようにも思えない。
「……迷子ってどこから来たんだよ」
少年は呆れるように尋ねた。
訝しげな視線は相変わらずだったが。
「……綺麗なお花畑」
より懐疑的な眼差しに変わった。
「それより少年。君もどうして一人なの? 〚かがり火協会〛なんて、依頼を受けては集団放火する組織だと思ってたけど」
かがり火に限らず、協会や事務所所属が一人でいることは珍しい。だって群れることができるのが一番の利点だから。
一人じゃ異界のミミズに喰われそうになっちゃうから。
「少年じゃねえよ……。一人でいるのは、都市から逃げてきたからだよ。……騙しあったり殺し合ったり、罵り合いのは疲れたんだ」
よくある理由だった。
ハクアは関心を失うように適当な相槌だけすると、仕留めたサンドワームを見上げて指した。
「そんなことよりこれ焼いて欲しいな。君もお腹空いたでしょ」
「……そんなことって、聞いたのそっちだし。こんなもの食べるのかよ」
「贅沢言える状態じゃないと思うけどな。でも確かに場所は良くないね。いい場所を知ってるよね? 少年、君はそこに向かおうとしてたから」
「なにを根拠にそんなこと……」
ハクアは詰め寄って、彼の赤い髪を手に取った。
「……ここから一日で辿り着ける範囲に都市は見えないし、都市から逃げ出すような人は普通、お風呂には入れないよ。少年」
指で丸を作って周囲を見渡すが永遠と荒野が伸びていた。
視界の倍率をあげても映り込むのは精々、かつての廃墟と岩山だ。
「少年じゃねえ。これでも21だ」
驚いた。可愛くてかわいそうなぐらいだ。
もう背が伸びることも声が低く渋くなることもないだろう。
「お前失礼なこと考えてそうだな。……はぁ。まあ着いてこいよ。助けてくれたのは事実だし、嫌だって言ってもあんたに勝ち目もなさそうだし案内するさ」
「名前は? 少年じゃないならなんて呼べばいい?」
ハクアは尋ねながら、どこからともなく棺桶を取り出した。
自分が眠っていた棺に、サンドワームの巨躯を押し込んで収納していく。
物理的には入るはずもなかったが、特別な道具なので物理法則など関係はない。
少年は唖然としていたが、やがて我に帰ると共に頬を掻いた。
「……ルーカスだ。みんなはルカって呼んでたがな。その方が女みてえだって。ひでえよな」
ルカは懐かしむように、少し開き直るように笑うとぐしぐしと目を拭った。
彼にはその「皆」はもういないようだった。




