ここではメタフォージ炉心発電所で起きたありふれた事件と青年のある決断について語られる。3/3
「オブロフ、見てたって変わらゃねえぞ。どうせならお前も一緒に楽しもうぜ。皆、昨日みたいな豹変ぶりを見たら盛り上がるだろ?」
撫で回し弄ぶ手をじっと眺めていると声を掛けられた。それはこんな行為さえも容認し正当化してくれるもので、オブロフにとって救いでもあった。
「……そうだな」
そう言って昨夜のように少女の乳房を小さく撫でて、指先で腹部を掴んだとき、不意にぱっちりと、棺のなかで眠っていた少女は碧金色の目を開けた。
「……ううん、ここはどこですか」
寝ぼけた様子でありながらも玲瓏とした声を響かせて、少女はゆっくりと周囲のゴミ山と、自身を辱めようとする者を見据えた。
オブロフは咄嗟に手を離し、自身を恥じて嫌悪するように身を引いたが。
大半の者からすれば少女は寝転んだ状態で組み伏せられたままで、あまりにも無防備に見えただろう。
「殺されたくないなら大人しくしてな」
「一回目は寛大ですよ。許してあげます。手を離して」
少女は怯える様子も動揺する様子もなく淡々と警告した。
「許さないとどうなるんだ? パパが助けに来てダンスでも踊るのか? 大方金持ちのご令嬢様が事情は知らんが冷凍睡眠でもしてたんだろ? けどお前はもう運に負けた人間なんだ。運に負けた奴は自由に生きていくなんてできねえんだよ」
男は開き直った様子で少女の両膝を握り強引に脚を開かせ、そしてピタリと動きを止めた。
半開きになった口から茨が伸びていくと、小汚い男の相貌を純白の薔薇が狂い咲いて覆っていく。たったそれだけで男は二度と動かなくなった。
「……ダンスは踊らないよ。花は供えてあげるけど」
すっと立ち上がると棺桶に敷き詰められていた薔薇が活性し、茨を周囲に拡げ蠢いていく。
「に、逃がすな! 捕まえろ!!」
逃げる? 彼女が? ありえない。
オブロフは同胞を見捨てるように一歩身を引いた。
直後、沢山の薔薇が彼らから咲き誇った。瞳、口、背。様々な部位から茨が生い茂っていく。一瞬だった。それだけで運に負けた者は絶命していた。
だがその異様な力には射程があるのだろう。わずかに離れていた者は薔薇に呑まれることはなかったが。
彼らは頭上に突如浮遊した純白の刃を見上げ、頬を引き攣らせる他なかった。
「待っ……助け――」
言い切る前にどうすることもできず体を貫かれていく。
十人以上いた彼らは一瞬にして息絶えて、残ったのは咄嗟に交戦を避けたオブロフただ一人だった。
「……攻撃しないなら何もしないですよ。私は」
少女の周囲に広がっていた花が枯れて、やがて一輪の髪留めだけが残った。純白の棺を軽々と背負うと、彼らを貫いた無数の剣が収納されていく。
彼女の身の回りにあった全ての物が特別な力を持った、いわゆる異界道具だったらしい。
『しかし【白亜】に手を出すなんて彼らも無謀だね。どうしちゃったんだろ』
薔薇から幼いような声が響いた。
「な、なんなんだよ。ハクアって」
「……今の白い色付きは誰ですか」
「【白金】だよ。……十年ぐらい前からそうだ。その前が【白影】だ。それより前はしらない……」
ハクアが尋ねると、オブロフは困惑しながらも素直に答えた。
――色付きはたった一人で企業と対等でいられる力を持った怪物みたいな輩だ。どうしてそんな奴らのことをこんな掃き溜めで気に掛ける?
過る疑問。そして結びつくハクアの名前、超常的な力。
オブロフは顔を歪めながら、さらに一歩身を引いた。
「……あんたは、いや、あなたは色付きだったのか? だからそんな強いのか?」
「……もう脱色されたから色付きじゃないよ。それにね、色に認定されるからつよくなるっていうのもあるんだ。ここの高炉も価値を燃やしてるでしょ。私たちは価値を力にできて――……ってよくわからないか」
難しい話はオブロフには理解できなかった。
ただ事実として彼女が途方もない力を持っていて、そして気まぐれに自分だけを殺さなかったことに可能性を感じて、縋る思いで、初めて一歩踏み出した。
濁った瞳が純白を映し出す。反してハクアは関心のない様子でその場を離れようと裸足にも構わず歩き出した。
「ま、待ってくれ……!」
オブロフが呼び止めると、ハクアは困惑しながらも立ち止まった。
「頼む……一緒に連れて行ってくれ。俺を助けてくれ……!! この掃き溜めから出たいんだ。あなたみたいに強くないと、簡単に人を裏切って、見捨てて、殺して……そんな人でなしにならないと生きていけないんだよ……!」
もはや懇願だった。まるで神と対峙したかのようにオブロフは膝をついて頭を下げた。
「懲り懲りなんだ。掃き溜めで自分が腐っていくんだよ……! 頼む。助けてくれ……。なんだってするから……!!」
言葉はそれ以上続かなかった。ハクアを守るように棺の中から一本の剣が外へ出たが、少女の手振りを受けて刃がオブロフを穿つことはなかった。
ハクアは数秒、言葉に悩んでいたが。汚れるのも構わず、彼の涙を指で撫で拭いて、やがて尾を揺らしながら口を開いた。
「貴方は一度でも、助けてって言われて…………助けたことはある?」
オブロフは沈黙した。
助けるべきだと思う心を封殺して生き延びてきたから。
だから、必死に言い訳を考えた。おじさんを助けてたらイエクイムシに殺されてた可能性がある。
諜報員の少女を助ければ、袋叩きにされるのはわかりきっている。自分が傷つかないためにも、立ち場を失わないためにも同僚達と同じようにならないといけなかった。
同じ――人でなしに。
オブロフは頭を抱えた。血の気が引いてくいく。
彼女の白色が自分の醜さを如実に映し出していた。
「ならせめて、ここを全部……ぶっ壊してくれ。あんたをゴミ山に突っ込み、粉砕し、穢そうとした場所だ。思い思いに全部ぶっ壊してくれよ……!」
「……なら、ならか。悪いけど、壊したりはしないよ。理由がないし。無意味にまた敵を増やしたりとかは飽き飽きなんだ。それにそんなことをしなくたって、今ここには君が変わるためのものが沢山あると思うよ」
ハクアは彼を置いてその場を離れていった。淡々と白い後ろ姿が離れていく。オブロフはそれ以上、追いかけることはできなかった。
完全に見えなくなるまで彼女を見届けて、それから自分のまわりに散らかった同僚たちを見下ろして、深く息を吐いた。
――――貴方は一度でも、助けてって言われて…………助けたことはある?
「クソ、できたらそんなこと」
……していただろうか。オブロフは悪態さえも付けなくなって、沢山の亡骸と自分自身から逃げ出すように背を向けた。休憩室に駆け入り、頭を抱えた。
吐く息がみっともなく震えた。
醜い者になりたくないと思いながら周りを蔑んで、見捨て、縋った自分が最低な人でなしだと突きつけられたようだった。いや、その通りだろう。
――だが、俺だけが生き延びた。
まだ変われるはずだ。しかたないからと自分に言い聞かせて、生きるための都市のルールに従属するのはもう懲り懲りだった。
オブロフは決然とした様子で、ひとり目を瞠った。濁っていた双眸がわずかに差し込める陽を反射して白く煌めく。
そして柱に縛られ、虚空を見つめる少女に歩み寄った。膝をついて視線を合わせながら拘束を解いていく。
「なに、をしてる……。処刑の時間でも、きたか?」
「……謝って許されることじゃないが。昨夜はすまなかった。あのときの俺は……勇気がなかったんだ。けど皆死んだ。咎めるやつも、君を追うやつももういない」
震える声で謝罪した。押収された衣服を手渡すと、少女の瞳には僅かな活力が戻った。ぐしぐしと涙やらを拭い、服を着替え立ち上がる。
「わたしの、装備は…………」
「ああ、ここにあるよ。ここから出たいなら今なら七番出口なら警備がいない。全員死んだからな」
オブロフは彼女に装備を全て返した。……こんな行為は怪物に襲われた同僚を見殺しにするのとは訳が違う。組織への裏切りだ。
だというのに、恐怖はなかった。鬱屈の巣に思えたこの場所が、濁っていたはずの空気が澄んでいるようにさえ思えた。
「…………ありがとう」
掠れた声で礼を言われた。
……考えてみれば感謝されるのは生まれて初めてだったかもしれない。
「いや、お れ が――」
言葉の途中で勢いよく胸を叩かれたような衝撃が貫いた。
訳もわからず、振り返ろうとしたが脚に力が入らず、薄汚い床にうつぶせに倒れた。
耳鳴りのような音だけが響いて何も聞こえない。視界が黒く染まっていくなか、眼前に血溜まりだけが映り込んでいく。
――ま っ て くれ。
お れ は 、
お れ は まだ、 なにも。
続けざまに数発の銃声が轟いても、焼却炉の稼働音に全て掻き消えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ハクアは棺を背負いながらご機嫌に鼻歌を歌って焼却場を離れていった。
『ずっと眠ってたいって言ってたのに、あんなことされかけたのにどうしたの? 頭打った?』
髪飾りの薔薇が尋ねた。ハクアは失礼な、とぼやきながらすぐに首を横に振った。
「起きちゃったなら仕方ないし。起きてすぐ人に親切できたから気分がいいんだ」
『たしかに。あの遺品を全部独り占めできるし、元色付きを追い払った職員だって表彰されるだろうね。あの部署唯一の生存者なら一気に昇進だ』
「でしょ? ということで善いことしたから良いご飯が食べたいな。……好きだったお店あるかな。…………というか、街があるかな」
ゆらゆらと尾を揺らし、首輪の鈴を鳴らしながらハクアは都市の人混みへ紛れていった。