ここではメタフォージ炉心発電所で起きたありふれた事件と青年のある決断について語られる。2/3
次の日の夜。オブロフが夜勤で作業所に入ると昨夜の少女が柱にしばられ、生気なく座り俯いていた。
憐れむように眺めていると、少女はぶつぶつと言葉にならない声で恨み、呪っているようで、逃げるように目を逸らした。
煙草の煙が妙にムカムカして外に出る。空は深い藍色に染まり、淀んでいて星も見えない。……この都市に住む者は見たこともないだろう。
「オブロフ、まだ作業時間じゃないだろ? いつもより来るのが早いな。あの女目当てか?」
下劣な問いかけを無視した。確かに助けなかったが、そんなつもりで早く来たわけじゃないんだと、何度も心が叫んでいる。
「……死んでたらボーナスが減るだろ。生存確認をしにきただけだ。乱暴なやつが多いからな」
「っはは、オブロフ、そりゃお前だろ? 清掃員に配属された八つ当たりだって皆バカにしてたぜ」
男はそう言って茶化しながら、黒い霧を溢れさせる焼却炉を見つめた。
「……いつもより煙が濃いな。価値が高いものを焼いてるのか?」
「報告見てないのか? ……見てるわけないか。都市内にあった遺跡……っても墓しかなかったらしいが、そこを解体したらしい。燃やしてるのはその残骸だ。遺体とか、遺品とか、そういうのが多いんだろ」
『業務通達。弐番焼却炉廃棄物運搬ラインで正常な稼働が行われていません。各員は緊急点検を行なってください』
無機質な業務通達。普段は流さないようなものを燃やしていたから詰まったのだろう。
「炉ダマリか?」
「いや、炉の温度自体が下がってる。ゴミ噛みだろ。ミキサーを停止して確認しなきゃいけない」
……最悪だ。墓場の廃棄物を粉砕したその日に行くなんて。
オブロフは深くため息を付いて防塵マスクで顔を覆った。
「しょげるなよ。俺達にはしばらくイイモノあんだろ?」
「…………そうだな」
入り組んだパイプラインを見上げながら急な階段を四つほどあがった。
うだるような熱を帯びた炉の近くまで向かい廃棄物の運搬ラインを確認すると案の定ゴミ噛み……、攪拌廃棄物のなかに粉砕機でも壊せないものがあったらしい。それが刃に引っかかり、出力が落ちて廃棄物全体が詰まっていた。
鉄鋼程度なら寸断できるはずだが、それ以上のものがあったのか?
クレーンで廃棄物を除去していくこと数時間、五重もの寸断機の刃の中心で、ゴミ山にはあまりに不釣り合いな、純白の棺が姿を現した。
誰も言葉にはしなかったが、期待に目をギラギラと輝かせていたはずだ。
焼却不可能な廃棄物は清掃員が各自処理を行なう。
……あの棺は明らかに高価だった。清掃員の命よりも、捕まった少女の身体よりも。
詰まりを解消するなり、本来の業務である清掃点検も後回しにしてオブロフ達は純白の棺に群がった。
「中身を確認しようぜ。側だけでも十分過ぎるぐれえ高く売れるだろこれ。少なくとも三級……いや、準一級の工房製品ぐらいの強度じゃねえか?」
男は興奮気味に提案し、全員が同意した。数人がかりで慎重に蓋を外していく。
僅かな隙間が空いたと同時、掃き溜めを塗りつぶすように芳香が広がった。鼻腔に触れた途端、視界が真っ白に明滅した気さえした。
超常的な匂いに誰もが直感しただろう。中に入っているのはただの金目のものじゃない。特別な力を持った――異界道具だと。
正気じゃいられなくなるように、誰もが無我夢中になって勢いよく蓋を押しのけていく。傷つけないようにしていたことも忘れ、ガタンと音を立てて蓋が落とされた。
――――中に入っていたのは少女だった。
絹のように純白の髪。頭頂部から生えた猫の耳。整った相貌は人形のようにさえ思えてくる。衣服は薄い肌着が一枚のみで、瑞々しい肌が衆目に晒される。腿の間で長い尾が揺れていた。
体付きは華奢で僅かな胸の膨らみが昨夜の出来事を脳裏にチラつかせた。
棺のなかは白い薔薇で敷き詰められていたが、少女は死んではいなかった。スゥ、スゥと。誰もが沈黙すると焼却炉の轟音のなかでも微かな寝息を聞き取れる。
こんな都合のいい少女はそうそうにいないだろう。
昨夜の諜報員にはあらゆる鬱憤と劣情、本能をぶつけておきながら誰もが畏怖されるように、少女に手を出すのを憚るか、残りは釘付けになるぐらい少女の純白さに見惚れているようだった。
誰もこの少女をどこに売るだとか、取り分はどうするだとか、そんな話もできずにいた。数分ほど必要だっただろう。
オブロフを含めだんだんと正気を取り戻していくと緊張を解くように誰もが息をついた。
「……俺達じゃこの子を値段通りに売ることは無理だ」
だれかが冷静にそう告げた。
取引ってのは対等だからできるものであって、まともな身体施術もない自分達じゃこれを適性価格で買い取ってくれる輩を相手にしても強奪して終わりだろう。
「――だから、楽しまないか? どうせ傷物になったって俺達が売り捌ける価格に限界があるだろ? それなら――ほら、こんな綺麗な女は見たことないだろ?」
薄汚い指が柔らかに肌を撫でている。
昨夜の饗宴が色濃く残っていたからか、誰かがそんな提案をすると全員がゴクリと唾を呑んで、オブロフだけが僅かに表情を曇らせた。
オブロフからしてみれば彼女の存在は、このどうしようもない掃き溜めに迷い込んだ大きな可能性に思えていた。
「彼女の棺を売って準備を整えればある程度はまともな――」
……掃き溜めのなかで自分の意思を通す力を得たいなら、彼女の存在は丁重に扱うべきだ。金でも、力でも、どんなものに変えたっていいが一時の快楽に変えるのだけは違うはずだ。
「ああ? ごちゃごちゃうるせえよ。俺達に何ができるんだ? むしろ価格をある程度下げたほうがまともに取引できるだろがよ」
――言葉がかき消される。
オブロフは結局、それ以上何も言うことはできなかった。