7.お使い
次の日はジリアンを案じてくれた使用人たちが声を掛け慰めてくれた。ルナはエヴァに対して憤慨し目を潤ませながらジリアンを抱き締めてくれた。ジリアンの朝食のトレーには苺が一個乗っていた。自分にだけ? 思わず料理長を見ればウインクで返事をされた。
「アン! よかったね」
この屋敷では使用人に果物が振る舞われることはない。料理長が特別にジリアンにくれた。それをルナは狡いと思わず喜んでくれる。みんなの優しさにジリアンは泣きそうになった。
(自分のために怒ってくれる人がいる、心配してくれる人がいるってこんなに幸せなことなんだ)
失った物以上の大切なものを得ることが出来たような気がした。
しばらくしてイヴリンが社交界にデビューする日が来た。朝からエヴァは張り切っている。カーソン侯爵家はイヴリンが継ぐ。そのイヴリンが以前は平民として生活していたことは周知されている。だからいい婿を探すのにハンデになる。それを払拭できるくらい華やかにデビューを飾りたいのだろう。
「アン。お嬢さまの支度を手伝って来て下さい」
侍女長に言われイヴリンの部屋に行く。侍女長は申し訳なさそうな顔をしていたから、この呼び出しはイヴリンが命じたに違いない。覚悟を決めて部屋に入るとイヴリンは真っ白な美しいドレスを着ていた。レースはたっぷりで童顔のイヴリンに似合っている。初々しい雰囲気と可憐さが引き立っている。ただほとんどの令嬢は事情がない限り十四歳でデビューする。十六歳のイヴリンは一緒にデビューするみんなより年上なのでマイナスの意味で目立つかもしれない。
「お呼びでしょうか。お嬢さま」
部屋に入ると中はピンクを基調とした壁紙や家具、カーテンで揃えられている。とても可愛らしい。きっとイヴリンの趣味なのだろう。かつて自分が使っていたときはオフホワイトの壁紙だった。まるで別の部屋のように記憶と一致するところが一つもない。この部屋で生活していたことが夢だったかのように感じ少しだけ切なくなった。
「アン。靴をはかせて頂戴」
イヴリンは椅子に座ると足を出す。わざわざジリアンに見せつけたかったのだろうか。両膝を突き片方の靴を手に取りジリアンの足にあてがいそっと履かせる。もう一つも手に取り同じように履かせた。
イヴリンは立ち上がるとジリアンを見下ろし口角を上げた。どこか馬鹿にするような視線に思える。可愛らしい顔が台無しだ。すると机の上から白い何かを手に取るとジリアンに渡す。
「アン。これを今ここで鋏で切って捨ててくれる?」
渡されたのは白い手袋だ。銀色の刺繍が刺してある。ジリアンは息を呑みそれをじっと見つめた。
「でも…………」
「お前の意見は聞いていないわ。早く切り刻みなさい」
「…………」
「これは命令よ!!」
「……はい。お嬢さま」
ジリアンは鋏を取ると手袋をジョキジョキと切りごみ箱に捨てる。辛くて手が震える。
「もっと細かく切って」
「はい」
奥歯を噛み涙を堪える。切り終わるとイヴリンは満足気に頷いた。
「もう下っていいわ」
「はい。失礼します」
退出しようとしたらエヴァが入って来た。
「まあ、イヴリン。素敵よ。これなら今年のデビューで一番美しいのは私の娘ね」
エヴァの誇らしげな声を背に退出した。唇を噛みしめ込み上げてくるものを耐える。
イヴリンは基本的に話しかけてはこない。時折思いついたように呼び出してジリアンが悲しむことを命令する。今切るように言われた手袋は自分のデビュータントの時に使ったものだ。母が選んで手ずから刺繍してくれたものだった。それをわざわざジリアンに処分させた。エヴァもイヴリンもジリアンの心を抉るのが巧妙だった。それなのに自分はそれに抵抗する術を持たない。
(本当はあの手袋を切りたくなかった。大事に仕舞っておきたかった。お母様、ごめんなさい)
支度が整うとバナン、エヴァ、イヴリンが夜会に出発した。ジリアンはイヴリンの部屋に行きゴミ箱を漁った。さっきの手袋を取り戻したくて。それが残骸であっても構わない。原形をとどめないシルクの破片を集め、そっとエプロンのポケットに入れると使用人棟の自分の部屋に行き引き出しにしまう。
「ふっ…………」
気付けば涙が溢れていた。最近の自分は泣き虫だ。ふと窓を見上げれば丸い月が部屋を照らす。自分がデビューした時の夜も丸い月だった。今だけ、あの幸せだった時を思い出して泣くことを自分に許すことにした。
社交界デビューはエヴァたちの満足がいくものだったようで翌日の朝食時は三人とも上機嫌だった。
密かにジリアンはほっっとする。バナンは自分に無関心だがエヴァやイヴリンは機嫌が悪い時に嫌がらせをする。これだけ機嫌が良ければしばらくは静かに過ごせるだろう。
数日後、エヴァに呼び出された。
「アン。王都に出来た新しい商会を知っているかしら? グリーン商会と言って隣国の商人が王都に開いたのよ。バナンのお気に入りの隣国のワインがここでしか買えないの。毎週二本購入するよう手配したからあなたが受け取りに行って来て。高いワインだから落とさないようにね」
「私が、ですか?」
「そうよ。今週の分を今から取りに行きなさい。もちろん馬車は使わず歩いてね」
「はい。奥様」
普段飲んだり料理に使うような酒は安い酒屋で購入していて配達を頼んでいる。グリーン商会は高級品を扱う店で有名だが、カーソン侯爵邸からは距離がある。かなり歩くだろう。高級品だし頼めば配達もしてくれるはずだが、あえてジリアンに行けという。玄関には執事のロバートが待っていた。
「これが地図です。気を付けて行ってください」
「はい」
道に迷いながらも人に聞きなんとか商会までたどり着いた。ただ帰りは両手に抱えたワインが重く足が遅くなる。令嬢として生活していた時よりも力も体力もついたが、屋敷内の移動ばかりで慣れない街中を歩くのは思ったより疲れる。
長時間歩いたせいで足には豆が出来て潰れて痛みが増す。屋敷に戻ったのはすっかり遅い時間になってしまった。エヴァに叱責され夕食は抜きになった。腕も足も体中が筋肉痛になった。それでも割らずに持って帰れたことだけはホッとした。
週に一回のグリーン商会までのお使いは慣れるまでに暫くかかったが、悪いことばかりではない。歩いていれば王都の街の雰囲気を知ることができる。普段外出が許されないことを思えば気晴らしにもなる。外の空気を吸えることは気持ちを明るくさせた。それにだんだん体力がついて往復する時間も短くなっていく。いつしかお使いの日が楽しみになっていた。