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4.一変する生活

 今は真夏だ。連日の暑さに辟易してしまう。早く秋になって欲しいと思う。

 ジリアンは日の出とともに起きる、というか起きざるを得ない。

 その理由は部屋が暑すぎるからだ。ジリアンの部屋は使用人専用の建物の屋根裏部屋だ。斜めになった壁に付いている窓から朝日と共に強い光が差し込む。あまりにも眩しくてボロ布をもらい光はそれで遮っているが、気温上昇による室内の暑さは窓を開けて空気を入れてもどうにもならない。狭い室内は尋常じゃなく暑くとても眠ってなどいられない。ちなみに冬は寒くもちろん暖炉もないので温石を作って凌いでいるが朝は寒くて目を覚ましてしまう。もう仕方がないので季節感を満喫できる部屋だと思うことにしている。


 本来の起床時間ではないが、起きてしまったのでメイド服に着替える。身だしなみを整えると本邸に行き、洗濯を始める。夏は井戸水の冷たさが心地よい。鼻歌混じりに手を動かす。ジリアンは洗ったものを絞り一通り干し終わると、厨房へ行く。野菜の皮むきなどの下ごしらえを手伝う。すっかりと手馴れ手際よく片付ける。その間に料理人が使用人たちの朝食を用意してくれている。


「アン。先に食べてしまえ。どうせ侯爵夫人が用を言いつけるだろうから早くしないと食べ損なうぞ」


「料理長、ありがとうございます。ではお先に頂きます」


 料理長が焼きたてのパンと具のごろごろと入ったスープを置いてくれた。ジリアンは感謝の祈りを捧げ食べ始める。

 次に商会に行く日は三日後だ。ジリアンはリックと会えるお使いの日を目標に日々頑張っている。リックと出会ったあの日からもう半年も経ったのだ。彼と出会えたおかげで毎日に張りが出たと思う。


 侯爵夫人はジリアンを目の敵にしているのでこき使う。何かミスをすれば食事が抜きになるなど当たり前だ。それを知っているので料理長は朝食をボリュームたっぷりにしてくれる。料理長の気遣いと美味しい朝食に心もお腹も満たされる。


「料理長、ごちそうさまでした」


「おう、今日も頑張って来いよ」


「はい」


 ジリアンはバケツに水を張り雑巾をもって屋敷の一階の外側の窓を拭き始める。昨夜雨が降ったので汚れているはずだ。ピカピカにしないと何度でもやり直しをさせられる。ジリアンは一枚一枚丁寧に拭いっていった。二階は別メイドが担当なので次は床磨きのためにモップを取り出す。

 ジリアンが歩いていると前から侯爵夫人が歩いてきたので通路の端に寄り頭を下げる。彼女は朝から化粧をしっかりとして髪も美しく結い隙がない。カツカツと靴を鳴らして歩いてくるとジリアンの前で足を止める。


「アン! 応接室の窓が汚れていたわ。全部やり直しなさい」


「奥様。申し訳ございませんでした。やり直してきます」


「愚図な子ね。罰として昼食は抜きよ」


「かしこまりました」


 ジリアンは頭を下げると窓拭きをやり直すために外に出る。応接室の窓を確かめたが綺麗でピカピカだ。それでも侯爵夫人が汚いからやり直せと言えば従うしかない。でもジリアンはこれくらいのことでへこたれたりしない。気合を入れ再び窓を拭き始めた。




 ******



 カーソン侯爵夫妻とジリアンは身内である。現カーソン侯爵当主であるバナンはジリアンの父イーゴンの兄だ。

 伯父家族と初めて会ったのはジリアンが十五歳のとき。その時まで伯父家族のことは話で少し聞いただけだったので親戚という意識は薄かった。

 突然両親が馬車の事故で亡くなり一人残され悲しんでいるジリアンの前に現れたのが伯父バナンと伯母エヴァ、そしてその娘のイヴリンだった。それまではジリアンの父がカーソン侯爵でジリアンは侯爵令嬢として過ごしていた。


 バナンはジリアンの両親の亡骸を見てふんと嘲笑うような笑みを見せた。血の繋がった弟の死を悼む素振りさえ見せない。その姿が信じられなかった。バナンの体に隠れるようにこちらを窺うイヴリンはジリアンをまるで仇でも見るような目で睨んでいた。悲しみの中、初めて会う血縁者の冷たい態度に恐ろしくてガタガタと体を震わせた。ところがエヴァだけはジリアンを見るなり瞳を潤ませ抱きしめた。


「可哀そうなジリアン。心細かったでしょう? これからは私たちがあなたの家族になるわ。安心してちょうだい」


 その優しい言葉は弱った心に温かく滲み込んでいく。自分の味方になって寄り添ってくれる人がいると安心してエヴァの体に縋りつき嗚咽を漏らした。この世界にたった一人残された悲しみと不安に押し潰されそうだった。ジリアンは会ったばかりのエヴァの優しい言葉に彼女を信じた。


 葬儀から諸々の手続きが終わるまでの一ヶ月間、バナンとイヴリンの態度は変わらず冷たかったがエヴァはとても気遣って話しかけてくれた。笑顔で話しかけ側にいてくれる。エヴァがいればバナンやイヴリンともいずれ打ち解けられると思っていた。エヴァはジリアンと血の繋がりがなくても優しくしてくれる。バナンとは血の繋がった伯父でイヴリンは従姉だ。きっと大丈夫、そう思っていた。


 葬儀からの一通りの手続きが終わり弁護士や遠縁も帰っていく。屋敷には伯父家族とジリアンだけになった。その翌朝、エヴァの態度が急変した。いつものように自室で寝ていたジリアンを叩き起こしたのだ。


「ジリアン! さっさと起きなさい。この部屋はこれからイヴリンが使うわ。お前に相応しい場所はここじゃないのよ」


 いつもの優しい笑顔ではなく、厳しい表情で怒鳴りつける。その豹変ぶりに別人かと思ってしまうほどだった。驚きのあまりに動けないジリアンの腕を掴み、引きずるように使用人の住む別棟の天井裏の部屋へ連れて行った。


「お前は今日からここで暮らすのよ。もちろん働いてもらいます。メイドとしてね」


 服はメイド服が二着と下着の替えなどが最低限与えられただけだった。今までジリアンの持ち物だったものは全て取り上げられた。


 エヴァの変化の理由が分からない。すぐに侍女長がやってきてジリアンに指示をする。侍女長は初めて見る顔だった。侍女長だけではない。執事も従僕も侍女やメイドそして下男も全ての使用人が入れ替わっていた。全員ジリアンの知らない人たちだった。今まで働いてくれていた人たちは昨日のうちに全員解雇されていた。


「どうしてこんなことに……」


 わけの分からないまま言われた通り窓ふきを始めるが、今までジリアンは掃除をしたことがない。両親はジリアンを大切に可愛がってきた。貴族令嬢としてのマナーや教養は身につけてきたが、それだけだ。雑巾も満足に絞れずに窓ガラスはびちゃびちゃだ。それを見た侍女頭は溜息をついた後、やり直しを命じた。


(これは悪夢なの? 伯母様はいったいどうしてしまったの?)


 混乱しながら一日働きくたくたになったが、まともに仕事をこなしていないと言われ食事を与えられなかった。疲労と空腹で思考が回らないままエヴァの部屋に呼び出された。


「伯母様! どうしてですか? 私が何か気に障ることでもしたのでしょうか?」


 エヴァは冷ややかな視線をジリアンに向ける。


「ジリアン。私にとってはお前が存在すること自体が気に障るのよ。でも私は寛大だからお前を放りださないであげるわ。だって貴族として生きてきたお前がこの屋敷を出ても野垂れ死ぬだけでしょう? それはあまりにも憐れだから慈悲をあげるわ」


「私の存在自体が? 一体なぜ?」


「本来ならイヴリンがカーソン侯爵令嬢だったのよ。可哀そうに本来の身分を取り戻すのに何年もかかってしまったわ。今後、私のことは奥様、バナンのことは旦那様、イヴリンのことはお嬢様と呼びなさい。お前はメイドのアンよ。ジリアンではなくなったの。いいわね?」


「待ってください。どういうことなのですか?」


 突然使用人として生きて行けと言われても困惑する。この生活は今日だけではないのか。全く事態が呑み込めない。エヴァは馬鹿な子ねと嘲笑いジリアンの立ち位置を教えるように自分たちのことを話し始めた。


 発端はバナンとエヴァが恋に落ちたころから始まる。

 バナンはカーソン侯爵家の長男として、次期当主として期待され育てられてきた。エヴァとは学園で出会い二人は付き合いだした。もちろん将来を見据えたものだった。自分は成績もよく身分もバナンに釣り合う。そのままならなんの問題もなく二人は一緒になれただろう。

 

 ところがエヴァの家は伯爵家だったが父親が投資に失敗し突然家が没落し平民となった。バナンが心配して手を回してくれたおかげでエヴァはカーソン侯爵家の侍女として雇われることになった。お互いの立場は変わってしまったが二人の気持ちはさらに深まりバナンとエヴァは愛を育んだ。若さゆえに悲劇に酔っていたのかもしれないが二人の気持ちは変わらなかった、バナンは父親にエヴァと結婚したいと願い出た。ところが選民意識の強い父親はエヴァが元伯爵令嬢であっても現在平民であることから二人の結婚を認めなかった。バナンは強硬手段を取った。エヴァを連れて屋敷を出たのだ。


 バナンにはイーゴンという弟がいた。ジリアンの父親だ。弟は元々家を出て平民として生きていくために商売を始めていた。跡継ぎ教育を受けていないイーゴンに次期侯爵当主は務まらないはずだから、父はバナンを探して呼び戻すと踏んでいた。ところが父は貴賤結婚を許さずイーゴンがカーソン侯爵家を継ぐことになった。この知らせを聞いたバナンとエヴァの怒りは言葉では言い表せないものだった。バナンの怒りは特に深い。本来自分のものになるはずの屋敷も爵位も財産も自分より劣る弟に全て奪われたのだ。


 これは逆恨みであるが二人はそうは思わなかった。父親を誠心誠意説得するべきだったのだが、プライドの高いバナンは自分から折れることなど考えてもいなかった。カーソン侯爵当主となるはずの自分がなぜ平民として暮らさなければならないのか。侯爵夫人として華やかな生活をするはずの自分がなぜ平民のまま質素な生活をしなければならないのか。本来なら侯爵令嬢として傅かれるはずのイヴリンがなぜ平民の中で暮らしているのか。


 それぞれが平民としての生活を送る中で怒りを抱えていたが、もっとも強い恨みを持っていたのはエヴァだ。なにしろエヴァはもとは伯爵令嬢だった。だがカーソン侯爵夫人となったジリアンの母親シェリーは子爵家の出だ。自分より家格の低い出の女が侯爵夫人として屋敷を采配しているという事実は許しがたかった。エヴァは自分が頭もよく優秀だと自負がある。更に娘のイヴリンが生まれたことで怒りが増長された。侯爵令嬢として蝶よ花よと育てるはずだった娘が平民の子として生きなければならない。


 恨みや憎しみはジリアンの両親とジリアンに向かった。

 そしてバナンとエヴァの結婚を反対していた前当主が亡くなりジリアンの両親が亡くなったので堂々と本来の場所に戻って来た。それがエヴァの話だった。


「お前たちは泥棒も同然なのよ」


 エヴァが最初に見せた優しさは全部演技だったのだ。縁戚や弁護士などいろいろな人間が出入りしている時は、優しい伯母を演じたが本心では疎んじていた。ジリアンを精神的に甚振るためにわざわざ優しく接して、そのあと突き放した。より絶望を深く味合わせるために。


 本来バナンがカーソン侯爵家を継いでいればジリアンは貴族ではなかった、だからジリアンは平民として生きるべきだと言い切った。

 以前の使用人たちはバナンが出奔した後にイーゴンに仕えていたので、そんな人間を雇用したくないという理由で全員クビにしてしまった。ジリアンは今後、新しい使用人たちに教えを乞い働くようにと言われた。


 ジリアンのメイドとしての生活はこうして始まった。


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