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3.彼との出会い

 グリーン商会は隣国の伯爵家が経営していて我が国に最近進出してきた。品揃えも商品も良く商会は繁盛している。高位貴族から平民までが利用するが高級商品の取り扱いが多くもっぱら富裕層のお客が多い。

 ジリアンは毎週商会にお使いに行っていたがリックと顔を合わる機会はなかった。その商会で彼は経理担当をしているそうだが、それ以外にも重要な仕事を任されているようで忙しく店にいることが少なかった。リックは若いのに責任者代理も兼ねているという。


 多忙な彼が店にいることはまれでいたとしても奥で働いているので、店先で用を済ましてしまうジリアンとは接点がなかった。

 そんな二人が顔を合わせることになったきっかけは――――。


 ある日、ジリアンはいつものようにワインを取りに行ったが店先で従業員たちが深刻な顔で話をしていた。


「こんにちは。…………。あの、どうされたのですか?」


「アン。いらっしゃい。何でもないの。すぐにワインを用意するわね」


 いつもジリアンの相手をしてくれる店番のダイナは奥に行きワインを袋に詰めてくれる。隣の部屋で若い女の子のすすり泣きと慰める声、そして腹を立てているような男性の声が聞こえてきた。その物々しい雰囲気が気になり、はしたないとは思ったが隣の部屋をチラチラと窺ってしまう。


「お待たせ。アン。いつものワイン二本ね」


 カーソン侯爵は無類のワイン好きで国内の酒屋で注文しているワインとは別に毎週二本のワインをグリーン商会で購入している。そのワインは隣国ロドス王国産の高価なものだ。ロドス王国産のワインはこの商会からしか買うことが出来ない上に入荷数は毎月限られていてカーソン侯爵はそれをとても楽しみにしている。


「はい。ありがとうございます」


 隣の部屋から不機嫌な顔をした男がこちらにやって来た。不躾にジリアンをジロジロ見ると手にしている袋に視線を向けた。そして何かに気付いたようで突然乱暴にジリアンから袋を取り上げた。


「何をするのですか。返して下さい!」


 ジリアンはその男に抗議した。だが男はジリアンを無視して側にいた男性従業員に向かって声を荒げる。


「おい! ここにロドス産のワインがあるじゃないか! これを俺に寄こせばいいだろう!」


「困りますお客様。そのワインはそちらのお客様のために取り寄せたものです。あなた様には別のワインを用意させて頂きますのでそれでご容赦ください」


 奥から出て来た男性従業員はジリアンの奪われたワインをその男から取り返し、男とジリアンの間に体を滑り込ませジリアンを庇うように立った。

 彼の言葉も行動も冷静で動揺は感じない。その男性従業員は初めて見る人だった。長身で綺麗な顔をしている。甘く優しい雰囲気なのに堂々とした対応には貫禄すら感じる。客の男は怒りで顔を赤くして男性従業員に怒鳴り出した。


「わが主はビテン公爵様だ。この娘がどこの家の者かは知らないが公爵家より優先するなどけしからん。黙ってこのワインを寄越せ」


「そうおっしゃられても、このワインはお渡しできません。ご理解ください」


 静かな声できっぱりと拒否し深く腰を折る店員に男性は尚も大声で喚き散らす。


「お前は公爵様を敵に回すのか? この国で仕事が出来なくなるぞ。分かったらさっさと用意をしろ!」


「そう言われましても公爵様にご用意したワインは先程あなた様が落として割ってしまいました。このワインは数が限られていて在庫がありません。他のお客様のものをお渡しすることは出来ません」


「貴様! あれは俺が割ったのではない。ここの従業員がぶつかってきて割ったのだ。だから店に責任がある。渡さなければ今後ビテン公爵家はグリーン商会との取引を中止することになるぞ。それでもいいのか」


 半ば脅迫のような男の言葉に男性従業員は怯むことなく毅然とした態度で返す。


「残念ですが、致し方ありませんね。取引中止で構いません。どうぞお引き取りを」


 その言葉に顔色を青くしたのは怒鳴り散らした男だった。ここまで言えば従業員が折れると思っていたのだろう。それなのに断られてしまい、途端に狼狽えている。


「まさか……そんな……。おい、頼むよ。何とかしてくれ。公爵様はこのロドスのワインを大層楽しみしているんだ。俺が怒られる。いや、それだけでは済まないだろう。最悪、俺はクビなるかもしれない。本当に困っているんだ」


 男は一転して下手に出た。ビテン公爵の人柄をジリアンは知らないが男の様子だと叱責だけでは済みそうになさそうだ。きっとグリーン商会にも文句を言うだろう。ジリアンはその時この男性従業員やダイナがグリーン商会の社長に怒られてしまうのではないかと心配になった。貴族を怒らせれば平民が経営する商会は商売を続けることが難しくなる。貴族は商人を下に見て傲慢に振る舞うことが多いからだ。貴族の意志を優先するような社長ならば彼の立場が悪くなってしまうだろう。最悪責任を取らされてクビになってしまうかもしれない。そう想像したらジリアンはじっとしていられなくなった。心配げにこの場を見守るダイナに近寄りそっと耳打ちをした。


「ダイナさん。このワインをお譲りしてもいいですよ。私の方には何か代わりのワインを用意してもらえますか」


「有難いけど、でも……」


 ダイナの表情にはこの提案を受け入れたい気持ちと迷う気持ちが浮かんでいる。ジリアンの提案はこの騒ぎを治めることが出来るのだ。ビテン公爵家の使いの男はジリアンとダイナの小声のやり取りを聞いていたようで顔を明るくしてジリアンに話しかけてきた。


「ねえちゃん、助かるよ。恩に着る」


「待ってください。そう言うわけには……」


「姉ちゃんがいいって言ってんだからいいだろ!」


 男性従業員は顔を曇らせた。ジリアンは彼に笑顔で頷き大丈夫だと伝えた。男性従業員はジリアンをじっと見つめた後、頭を深く下げワインを綺麗に包装し男に渡した。ビテン公爵家の使いの男はジリアンに感謝の言葉を言うと早々に店を出ていった。ダイナがジリアンにぎゅっと抱き着いた。


「アン。助かったよ。本当にありがとう。代わりのワインはロドス産ではないけど一級品を用意するから待っていておくれ」


「はい。お願いします」


 ダイナが店の奥に引っ込むと先程の男性従業員がジリアンの前にやって来た。


「この度はご迷惑をおかけしました。そしてワインを譲っていただきありがとうございます。心より感謝申し上げます。私はリックと申します。グリーン商会の経理及びお客様窓口を担当しております」


 あまりに丁寧な態度にジリアンは驚いた。貴族の家で働いているとは言えジリアンは使用人でしかない。自分にそこまでする必要はないのにその真摯な態度は彼の人柄を感じた。


「私はカーソン侯爵家のメイドのアンと言います。気になさらないで下さい。お役に立ててよかったです」


「ですがこれではあなたがカーソン侯爵様に咎められるのではないでしょうか。帰りは私もご一緒し理由を説明して謝罪をしたいと思います」


「大丈夫です。そこまですると大事になってしまうので私が割ってしまったことにします。代わりのワインはお店の好意で用意してもらったと伝えますから気にしないで下さい」


 リックは目を見開き驚いている。そして眉間に皺を寄せる。


「失礼ながらカーソン侯爵様の評判はよろしくありません。こちらの責任でアンさんが叱責されるのを黙っている訳にはいきません」


「あの……たぶん、庇って頂いても、叱責はされます。それなら私だけで充分だと思います。目の前でリックさんが叱責されるところを見たくないので同伴はしないで下さい。お願いです。どうか、私の言う通りにして下さい。どうしても気になるとおっしゃるのなら今度、お菓子でもご馳走してください」


 リックは心配げな顔で引き結ぶと再びジリアンに深く腰を折った。


「あなたがそうお望みならお言葉に甘えさせていただきます。アンさんには何の非もないことに巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。そして本当に有難うございました」


「本当にごめんなさい。アン。助けてくれてありがとう」


 ダイナが用意した新しいワインを持って来て、リックの隣で一緒に頭を下げた。


「そんなに頭を下げられると居心地が悪いです。私は大丈夫なので、もうこれ以上気にしないで下さい」


 それならせめて馬車で送ると言うリックの言葉に甘えさせてもらった。リックは仕事で外せないのでダイナが馬車に一緒に乗っている。


「アン。本当にありがとう。ビテン公爵家の使いの男に接客した女の子がまだ入ったばかりで接客に慣れていなくてね。ワインを落としたのは男の不注意だったんだけど責任を擦り付けるように酷く責められて泣いていたんだよ。リックはその子を庇ってくれていたんだけど男が引かなくてね。アンのおかげで助かったよ。そうだ、これ。少しだけど休憩の時にでも食べて。今はこれしかないけど今度来るときにはもっと美味しいものを用意しておくから」


 ダイナはそう言うと小さな紙袋をジリアン渡した。紙袋の中を覗けば美味しそうなビスケットが何枚も入っていて思わず顔が綻ぶ。ありがたく受け取るとカーソン侯爵邸の裏口で降ろしてもらう。


「アン。今日は本当にありがとう」


「こちらこそ、ビスケットありがとうございました」


「じゃあ、またね」


「はい。ダイナさんも気を付けて帰って下さいね」


 ジリアンは従業員用の裏口の扉の前で一度深呼吸をしてから屋敷に入った。きっと厳しく怒られるだろうから心の準備をした。ワインを落として割ってしまいいつものワインと違うことを伝えると案の定、カーソン侯爵は激怒してジリアンを酷く怒鳴りつけた。それでも侯爵は手を挙げることはなかったのでホッとしたのだがそのあと侯爵夫人に呼び出された。どうやらジリアンが馬車で送ってもらったところを運悪く見られてしまったようで、そのことを叱責された。


「ワインを割った上に馬車で帰ってくるなんて、お前は何様のつもりなの?!」


 激怒した侯爵夫人におもいっきり頬を打たれた。その衝撃でジリアンは床に倒れ込む。抑えた頬は熱を持っている。侯爵夫人はそれだけでは気が済まなかったのかその夜と翌日の食事は抜きになった。


 夜自室に戻ると、ダイナからもらった紙袋からビスケットを取り出して食べた。これが侯爵夫人に見つからなくて本当に良かった。取り上げられたら悲しすぎる。明日も食事は抜きなのでこのビスケットだけが頼りだ。ジリアンはゆっくりと味わいながら咀嚼した。水を飲み息を吐く。それなりにお腹を満たすことが出来た。半分は明日の分として残して置く。


 今日は良いこともあったし悪いこともあった。ジリアンはベッドに横になると目を閉じ幼い頃に母が言っていた言葉を思い出す。


『どうせ数えるのなら悪いことよりも良いことを数えましょう。それがジリアンの幸せの数になるのよ』と。


 カーソン侯爵夫妻に叱責を受けたけど結果的にビテン公爵家のお使いの男は怒られずに済んだはずだ。帰り際に男はジリアンに頭を下げてお礼を言ってくれた。リックやダイナやお店の人たちは喜んでくれたしお店の評判も守れた。もらったビスケットはすごく美味しくて幸せな気持ちになった。


(叱られたけどそれ以上に良いことがたくさんあったわ。それにリックさん、素敵な人だったな)


 侯爵夫人に打たれた頬は赤くなって少し腫れてしまった。ハンカチを濡らして冷やす。幸せを数えればヒリヒリとした頬の痛みを忘れることが出来た。





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