29.憧れの夫婦
フレデリックは出来るだけジリアンと過ごす時間を作ってくれる。仕事が忙しいはずだからと遠慮したが「私がジリアンと過ごしたいだけだから」と言われてしまえば頷くしかない。今は二人で庭を散歩をしている。
「リックさん」
「ジリアン。その呼び方、やめようか? リックと言うのは商会に出ている時の名前なんだ。ジリアンだけの呼び名で呼んで欲しいな」
「ジリアンだけの呼び名」にドキドキとした。なんだか特別感がすごい。少し考えてみる。
「フレッド……はどうですか?」
「ああ、いいね。ジリアンのことは、う~ん。ジルと呼んでもいい?」
「はい!」
「ジル」
「はい。フレッド様」
二人で甘い空気を堪能していれば後ろから咳払いが聞こえた。うっかりしていた。二人きりではなかった。恥ずかしくなって俯くと不機嫌そうにフレデリックが返事をする。
「邪魔をするなよ。無粋だな。で、どうした?」
執事は表情を変えることなく淡々と報告をする。
「フィンレー公爵夫妻がお見えです」
「シャルロッテか。分かった。すぐに行く」
フレデリックはさも当然だとジリアンに手を差し出す。その手を取り屋敷に戻る。ジリアンはまだフレデリックのエスコートには慣れていない。貴族令嬢としての生活から離れてだいぶ経っている。そもそもジリアンの人生でまともなエスコートは父からされたくらいだ。異性の手を取るのは緊張する。それも好きな相手なら尚更だ。いつかこれが日常になるのだろうか。その想像はジリアンの心を浮き立たせた。
「お兄様!!」
応接室に入るとシャルロッテがソファーから立ちあがりフレデリックを責めるように呼んだ。
「ロッティ、落ち着いて。興奮するとお腹の赤ちゃんがびっくりしてしまうよ?」
隣で優しくシャルロッテを宥める男性は長身で見たこともないほど美しい男性だった。シャルロッテを見つめる青い瞳は愛おしそうだ。
「だってお兄様ったらジリアンにきちんと説明もなく不安にさせて……」
シャルロッテはフレデリックに詰め寄ろうとしていたようだが男性に止められシュンと項垂れている。ジリアンはシャルロッテに安心して欲しくて慌てて声を掛けた。
「お義姉様。ごめんなさい。心配をかけてしまって。でもフレッド様はきちんと説明してくださいました。だからもう大丈夫なんです」
シャルロッテは確かめるようにジリアンの目をじっと見る。
「本当に? 気を遣ってお兄様を庇っている訳ではないのね?」
「はい!」
フレデリックが説明を省いていたせいでシャルロッテはジリアンを攫ってきたと誤解したのだ。ある意味攫われてきたが、ジリアンから見た事実は大好きな人に救ってもらったと言った方が正確かもしれない。
フレデリックは悪かったと謝りシャルロッテにジリアンとの出会い、交流を持つことになったきっかけ、そして普通ではない方法で婚姻を結ぶことになってしまった理由を説明した。
「まあ! そんなことがあったの? では二人は本当に相思相愛で間違いないのね?」
フレデリックは隣に座るジリアンの手を握り頷いている。ジリアンは照れくさくなって小さく頷いたが、シャルロッテはその様子に胸を撫でおろしている。
「心配かけて悪かった。それとジルの味方をしてくれてありがとう。これからも頼むよ」
「まかせて。そういえば二人は愛称で呼んでいるのね」
「もう夫婦だからね」
「よかったね。ロッティ」
「うん。ありがとう、ジョシュ」
シャルロッテは弾けるような笑顔を男性に向けた。その笑みには全幅の信頼と深い愛情を感じる。
「フレデリックはロッティに心配かけないで欲しいな。今は大事な時期だし」
「悪かった。ジル、紹介するよ。彼はシャルロッテの夫でジョシュアだ」
「初めまして。ジョシュア・フィンレーです。よろしく」
「ジリアン・カーソ、いえ、ジリアン・ディアスです。よろしくお願いします」
もう、ジリアンは結婚してディアス伯爵家の人間になった。生まれ変わって新しい自分になった気がする。緊張しながら新しい姓を言い直せば隣のフレデリックは綻ぶように微笑んだ。胸の奥から幸せがじわじわと滲んでくる。
目の前のジョシュアはぴったりとシャルロッテにくっついて、彼女の一挙一度を見逃すまいとしているように見える。まるで大型犬が大好きなご主人様を守ろうとしている姿に重なった。美しい男性の必死な様子がなんだか微笑ましい。
侍女が紅茶とお菓子をそれぞれの前に置いていく。お皿には大きなマロングラッセが乗っていた。
「すごく大きなマロングラッセだわ!」
ジリアンはその大きさについ呟いてしまった。シャルロッテはくすくすと笑いながらフォークを取ろうとしたが、その前にさっとジョシュアがフォークを取りマロングラッセをシャルロッテの口に運ぶ。シャルロッテは小さな口を開いてぱくりと食べた。もぐもぐと味わうと嬉しそうにニッコリと笑う。ジョシュアはうっとりとした表情で見守る。
「ロッティ。美味しい?」
「ええ、とても美味しいわ」
思わず二人のやりとりに目が釘付けになっていると自分の前にもマロングラッセが差し出されていた。
「ジル。どうぞ」
フレデリックが三日月の形に目を細めジリアンの口元に運でいた。
これは「あ~ん」だ。どうしよう。でもいつまでも待たせるわけにはいかないし、断るのも申し訳ない。シャルロッテは恥ずかしがっていなかったからディアス家では普通なのかもしれない。それなら大丈夫……なはず。
ぱくり。
人がされている時は何も思わなかったけど自分がされると恥ずかしい。耳が熱い。誤魔化すようにもぐもぐと咀嚼することに集中する。
「とても美味しいです」
「それはよかった。これはジョシュアが持ってきたんだろう? シャルロッテの好物だからな」
「我が家ではいつだってロッティの好きなものを用意しているからね」
「嬉しいけど、太ってしまうので困っているのよ。ジョシュにはほどほどにして欲しいって言ったのだけど」
シャルロッテは眉を下げ頬に手を当てながら首を傾けた。でも頬は綻んでいて嬉しそうだ。どうやらジョシュアは常にシャルロッテの好きなものを用意しているらしい。出先にまで用意して準備万端だ。シャルロッテ曰く、それだけ徹底されれば食べるのを我慢するのが難しい。それならば運動すればいいかと自分を甘やかしつい食べ過ぎてしまい結果的に太ってしまう。さすがに妊娠してからは体重管理を厳しくしているそうだ。
「私はロッティが美味しそうに食べるところを見るのが好きなんだ。用意するのは当然だろう?」
何の疑問も抱いていないその言葉はシャルロッテが大好きなことを物語っている。ほんわかな空気が漂う部屋には幸せが充満している。
「私もジョシュアを見習ってジルの好きなものを用意することにしよう」
「えっ? あ、はい。ありがとうございます」
フレデリックからの流れ弾に驚きつつも彼の心配りが嬉しい。シャルロッテとジョシュアは理想の夫婦だ。ジリアンはいつか自分とフレデリックも目の前の二人のような空気感が出せるようになれるといいなと思った。
 




