23.彼女との出会い
フレデリックはディアス伯爵家の嫡男として早く婚約者を決めるよう散々言われてきたがさらっと聞き流してきた。そしてとうとう二十五歳を過ぎるとみんな諦めたのか肩をすくめるだけで何も言わなくなった。
フレデリックにとっては恋愛よりも商売の方が遥かに面白かったし、女性の機嫌を取るよりも異国で見たこともない品物を見つけ出し自国に広めることに意義を見出していた。また自国の商品を他国に伝える使命感も感じていた。
貴族ではなく平民の商人として自由でいたいと思ったがそれが我儘なことも出来ないことも理解している。そもそもこれだけ商いを手広くできるのは爵位を利用してこそなのだ。貴族だからこそ人脈や情報を得て資金を集めることが出来る。
ディアス伯爵家は国内屈指の資産家だ。その功績を認められ王家からは陞爵の声がかかっているが祖父も父もこれを辞退している。フレデリックだって御免被りたい。爵位が上がれば栄誉以上に面倒ごとが増えるに決まっている。
幸い両親は健在なので家のことは任せて自分は未だ自由に国外を移動している。フレデリックの本心としては妹に婿を取ってもらって家を継いで欲しかったが、生憎公爵家に嫁いでしまった。だが妹の幸せな顔を見ればこれでよかったと思う。じきに甥か姪が生まれると思うと何とも言えない多幸感がある。最悪自分が結婚しなくても妹ところから養子をもらおうかとまで考えていた。
恋愛や結婚は自分には向いていない。そのはずだったのにフレデリックは突然恋に落ちた。
隣国で店を立ち上げた。高級品を仕入れ貴族の自尊心をくすぐる様な限定品を扱う。客が店を選ぶのではなくこちらが客を選ぶ。最悪失敗してもいいと試験的な出店だったが思いの外好評だった。
隣国の貴族の間にディアス伯爵家という名前は馴染みがないのであえて平民が立ち上げたように見せかけた。もちろんこちらの商人には知られているが口止めをしてある。お互い持ちつ持たれつだ。まあ、バレてしまっても痛手はない。ただ、伯爵家の嫡男だと分かれば自分への縁談が集まるのを警戒しただけである。
品のない客はどこにでもいる。この国の公爵家に毎月数本しか入荷しない高級ワインを売っている。取りに来る下男はまるで自分が公爵代理のように尊大に振る舞う。そのような男の扱いになれたダイナは適当に話を合わせ接客していた。
ある日、新人の子がその男に接客した時に運悪く男がワインを落として割ってしまった。明らかに男の過失だが、公爵に知られればクビになると思ったようで、新人のせいにして新しいワインを寄越せと言ってきた。予備のワインがあればそれを出してもよかったが生憎この時はなかった。丁重に断ったが男は愚かにも恫喝する。フレデリックとしては公爵にありのままを伝えても構わないし、取引がなくなってもよかったので断り続けた。こちらに落ち度がない以上譲るつもりはない。ダイナに言わせればこういう態度はいかにも貴族だと言われてしまう。
丁度そのとき同じワインを定期購入しているカーソン侯爵家のお使いの女性が店に入って来てしまった。男は彼女に渡したワインに目敏く気付き寄越せと言ってきた。フレデリックがはっきりと断れば男は顔を青ざめさせ懇願してきた。商人を下に見て脅せばどうにかなると思っていたのが、思い通りにならずいよいよ焦り始めたのだろう。
フレデリックは無理やりにでも男を追い出そうと決心したが、お使いの女性が譲ると言い出した。確かカーソン侯爵は大のワイン好きだと聞いている。そんなことをすれば彼女が酷い叱責を受けるはずだ。なんとお人好しなと思ったが新人が泣き出しているのでダイナはその提案に縋りたそうだった。結局フレデリックはお使いの女性の提案を有難く受け入れた。
お使いの女性はアンと名乗った。メイドをしていると言う。しかも屋敷から歩きでワインを受け取りに来ていると聞き、彼女の屋敷内での立場が窺える。フレデリックも彼女に同行して一緒にカーソン侯爵に謝罪をすると伝えたが、彼女は頑なに拒んだ。結局フレデリックは彼女に甘える形で話がまとまった。代わりのワインは更に高級品を用意し、ダイナにアンを馬車で送るように指示をした。
その姿を見送り事務仕事をしながらアンを思い出す。凛と佇む姿と優しさが溢れる紅茶色の瞳が印象に残っている。メイドにしては気品が感じられた。もしかしたら彼女には事情があってメイドをしているのかもしれない。アンが帰宅して侯爵から叱られていないかフレデリックは気になってしまい、帳簿を何度もつけ間違えてしまった。今日、初めて会って話した女性がどうしてこれほど気になってしまうのか、この時はまだ分かっていなかった。
次にアンが店に来る日は決まっている。その日は朝から王都の有名ケーキ店に並んだ。彼女はどんな味が好みだろうか。ショートケーキかチョコレートケーキか……。見当もつかないので全種類を買って帰ればダイナが呆れた顔でフレデリックを見る。
「坊ちゃん、アンはこんなに食べれませんよ?」
「それなら持って帰ってもらえばいいだろう?」
「これだから……。メイドが高価なケーキを持って帰ってきたことを主や同僚が見た時どう思うでしょうね? まあ一応聞いてみてもいいでしょう。私も1個もらいますね」
ダイナはフレデリックの乳母だった。フレデリックを心配するあまり隣国までついて来たのだ。母より口うるさいが、幼いころから自由気ままなフレデリックを貴族らしくないと叱ることなく愛情深く見守ってくれていた。家族同然で信頼している。ダイナにはいつまで経っても勝てないだろう。
アンが来てケーキを出せば子供のように目をキラキラと輝かせた。
その笑顔が眩しくていつまでも見ていたい。彼女はフルーツタルトを選んだ。優雅な所作でケーキを口元に運ぶ。一口食べては感動して目を閉じ味わう。その笑顔に心を奪われた。彼女をもっと喜ばせたい、気付けばそんな風に思っていた。
他にもお礼をしたいと言えば断られた。年頃の女性ならアクセサリーなどが欲しくなるだろう。服だって買ってあげることが出来るのに彼女は欲がないのか。話を聞けばカーソン侯爵家では休みをもらえていないと言う。劣悪な雇用環境に腹が立つ。借金があるなら自分が肩代わりしてもいい。彼女は慎ましく笑みを浮かべお礼はこれで充分だとチョコレートケーキを食べることで終わりにした。
きっと彼女は実家が没落して借金のためにメイドとして働いているに違いない。アンを助けたい。自分にはその力がある。そこまで考えてふと我に返る。今まで一人の女性に入れ込んだことはない。だがアンのことが気になる。彼女の笑顔が見たい。
(ああ、私は彼女が好きなのか……)
フレデリックはアンに対して芽生えた気持ちを唐突に自覚した。




