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1.プロローグ

よろしくお願いします。

 ジリアンは突然決まった自分の結婚話に呆然として言葉も出ない。いつかこの家を追い出される覚悟はしていた。でも、まさかそれが今日だとは考えてもいなかった。


「ジリアン。お前は隣国の伯爵家の子息に嫁ぐことが決まった。もう手続きは済ませてある。伯爵家は早速迎えを寄越してきたのでこのまま隣国へ向かいなさい。先方から受け取った支度金は今までお前を追い出さずに面倒を見てやった費用として私が受け取っておく。いいな?」


 伯父は冷たく吐き捨てる。最後まで血の繋がった姪であるジリアンに対して愛情の欠片も示さなかった。この人はジリアンに対して無関心だと思っていたが、本当は憎まれていたのかもしれない。それを改めて突きつけられるのは辛いことだった。ジリアンは何の準備もなく身一つで生家を追い出される。これは間違いなく厄介払いだ。


「いい縁組が決まってよかったこと。おめでとう」


 伯母は愉快そうに目を細めると笑みを深めた。彼女はジリアンが幸せな結婚をすることを望んでいなかった。伯母が先ほど結婚相手となる男性のことを教えてくれたがその内容はジリアンを苦しめる内容だった。


 相手の伯爵子息の家は大きな商会を経営していて非常に裕福だ。だがジリアンの結婚相手となる子息は金にものをいわせ放蕩三昧、傲慢不遜で暴力を振るい女性関係にもだらしがない人だと聞かされた。そんな男性の元へ自分はいかなければならない。恐怖と絶望で全身の血の気が引いていく。


「ジリアン。おめでとう。あなたなんかをもらってくれる人が現れてよかったわね。それもお金持ちなんてうらやましいわ。本当ならあなたは平民なのよ。それが隣国とはいえ貴族として伯爵家に嫁げる。その幸運に感謝しなさいな」


 一歳年上の従姉は先日婚約が決まったばかりだ。相手は公爵家の三男でこの家に婿に入る。ジリアンの相手より家格が上で、しかも見目麗しい男性との縁組に誇らしそうにしている。彼女に嫌われていることは知っていたが心無い言葉が胸に突き刺さる。  


 ジリアンは今まで平民として扱われメイドとして働かされていた。それなのに貴族令嬢として意に沿わぬ相手に嫁げと命じられた。メイドとしての生活に慣れた今の本心は貴族でいたくなかった、だ。その思いは言葉にしても無駄だと分かっていたので呑み込んだ。都合よく扱われ理不尽な仕打ちになす術もない。


 伯父家族に逆らう力をジリアンは持っていない。逃げることも出来ない以上従うしかなかった。


 ジリアンはそのまま玄関に引きずられるように連れていかれる。

 外には薄汚れた馬車が二台止まっている。一台は迎えに来た(くだん)の伯爵家の使いの男が、もう一台にはジリアンが乗る。使いの男は大柄で熊のような体で頬に太刀傷があり、鋭い目は盗賊にすら見える風貌だ。その威圧感に体が震える。まるで自分は売られていくようだ。それでもこの男と馬車に同乗しなくてすんだことに少しだけ安堵する。


 促されるまま馬車に乗り込りこみ窓を開ければ従姉だけが見送りに出てきていた。


「ジリアン。あなたに似合いの馬車ね。さようなら。もう二度と会うことはないでしょうけどあなたの幸せを祈っているわ」


 幸せを祈るという言葉に似つかわしくない、蔑みを含んだ笑みを浮かべていた。

 御者が馬に鞭を打ち馬車が出発した。ジリアンは従姉に返事をしなかった。声を出してしまえば泣き出してしまいそうだった。それは従姉をさらに喜ばせるだけだ。奥歯を噛んでグッと耐える。それはジリアンの最後の矜持だった。


 曇天の下ガタゴトと馬車が街道を進む。まるでジリアンの心を映したような空の色。

 何の準備もなく自分の生まれた生家と祖国を離れなければならない。見慣れた道を眺めながらどんどん景色が変わっていくことに寂寥を感じた。

 せめて最後に「さようなら」を言いたい人がいた。自分を「好きだ」と言ってくれた人。いつも自分を気遣い優しくしてくれた人。ジリアンも彼が好きだった。でもその思いを最後まで伝えることが出来なかった。


 こんなことになるのなら彼から告白を受けた時に自分も正直な気持ちを伝えておけばよかった。たとえ叶わぬ恋でも伝えたかった。もう彼に会うことはない。胸の中は後悔でいっぱいだったが、もし告げても彼と一緒になることは出来ないのだからこれでよかったんだと必死に自分に言い聞かせた。


 本当は今すぐ馬車を降りて逃げ出したい。あの人に助けてと縋りたい。会ったこともない男性と結婚なんかしたくない。でも……どうすることも出来ないことも分かっていた。伯父がお金を受け取ってしまった以上、これは契約だ。婚姻届けも出されていると言っていたので逃げても追われすぐに捕まる。彼を頼っても巻き込んで迷惑をかけるだけだ。平民である彼が貴族相手に逆らえるはずがない。だから諦めるしかない……。


 ジリアンはこの国の景色を心に刻みつけるように窓の外をじっと見つめ続けた。しばらくすると目の奥が熱くなる。視界はぼやけそして歪む。瞬けば涙が頬を伝い落ちる。膝の上の両手をぎゅっと握り締め胸の痛みに耐える。


「リックさん……あなたが好きでした……。あなたは何度も好きだと言ってくれたのに、伝えられなくてごめんなさい……」


 馬車の中でひとり、彼への決別のために思いを吐露すれば涙が決壊したように止まらない。


「ふっ……ひっく……うっ…………」


 ジリアンの言葉は誰にも聞かれることなく風に溶けて消えていった。






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