Song.21 不自由
真っ白な病院。
その待合室で、瑞樹はギターケースを抱えて小さくなっていた。
隣には怒りを隠せない母親。そして、目の前には頭を下げる立花先生。
異様なその光景に、周囲の視線が集まる。だが、お構いなしに母親は言葉をぶつけていた。
「この子は部活、やめますから! 瑞樹、あの子とはもう縁を切るようにって言ってあったでしょ! 何でまだ付き合いがあるのよ! あの家に関わるとろくなことがないの! わかってるでしょう!?」
ろくなことというのは、今回の事故のことだ。
朝いちばんに、ギターやエフェクターを持って自転車に乗っていた。
初めてのステージに期待を希望を持って、いつもの道をワクワクしながら学校へ向かった。
しかしその途中、一方通行のはずの道を逆走してきた車と衝突したのだ。
幸いにも機材は破損せず、瑞樹も転倒して体をぶつけた。瑞樹を避けきれなかった車は、大きな音を立てて電柱にぶつかり止まった。その音を聞いた近所の住民が通報、そして救急車で運ばれることになってしまった。
頭に巻かれた包帯。ところどころに出来た傷跡。無駄に長い検査までやって、やっと医者から問題ないという診断を受けた。体もギターも無事なのに、母親だけが口うるさく言う。
母親の言うあの子こと親愛なる恭弥。
その恭弥に教えてもらったギター。
どちらも切り捨てるなんてあり得ない。
いくら母親が何を言っても、例え親子の縁を切ることになっても、この二つだけは守り抜こうと決めていた。
「お願いします、今日は……今日は彼らの出発点になるんです! ですから今だけは、息子さんを学校に……」
「行かせるわけないわ! もともとこの子を、羽宮高校になんて行かせたくなかったのよ! 勝手に受験して……私が言った高校に行かせておけばよかったんだわ!」
立花の言葉を遮り、強い口調で言う。
その圧に逆らうことができず、瑞樹は口を挟めないでいた。
「先生もわかっているでしょう、あの呪われた家のことを。音楽……バンドに関わるとろくなことがないんだわ!」
先生が知るよしもないことをペラペラと話す母親が嫌いだった。
子供のことをなんでもいいなりになる人形だとでも思っているのだろうか。
長い間、ありとあらゆるものを母親の言いなりになってきた。
それによっていじめられていたことを、母は知らない。
楽しみも何一つ自由もない生活に戻るなんてことはできない。
「だから……あなたはギターなんてやらなくていいの。これからはお母さんの言うことを聞いていればいいのよ! そのギターも捨てなさい。そして今すぐ、あの子とは関わらないで! 勉強もできない、音楽しかできないあの子と関わったところで何もいいことないの! それにあなたのことを一番わかってるのは、あんな子よりもお母さんでしょ! お母さんの言うことを聞いていればいいのよ! だから――」
「違う! お母さんは何もわかってない! 何も知らないのに、キョウちゃんを悪く言うな!」
今まで母親に対し、出したことのないほど大きな声でそう言いきった。
自分のことを悪く言うのならばまだ耐えられる。だけど、一番信頼して、敬愛し、そして尊敬している恭弥のことを悪く言われるのは耐えられなかった。
初めて息子に強く言われたのに驚いたのか、一瞬だけ母親の動きが止まったものの改めて言い返してくる。
「わ、わかってるわよ! ギターだって、あの子に無理矢理やるように言われて、同じ高校に来るように言われて、無理矢理色々やらされてるんでしょ。だから早くに縁を切りなさいって。じゃないとあの子の父親みたいに……」
母親から出てくる言葉が、信じられなかった。
母親からやることなすことを全て指示され、限られて息苦しい生活。友達付き合いを制限され、言葉遣いを厳しく教え込まれ、普段着るような服やバッグまで与えられたものしか使えない。
それを同級生に知られて始まったいじめ。
まるで自分が自分でいることを許されないようで、家にも学校にも居場所がなかった。
そんな狭く苦しい生活から救い出してくれたのが恭弥だった。
年が一つ離れていたものの、一人隠れて泣いていた瑞樹を守ってくれた。いじめてくる同級生を、退けて一緒にいてくれた。
恭弥は嬉しそうに父親のバンドのことを話し、見様見真似でベースを弾いていた。下手でも、楽しそうだったから、瑞樹も初めて「自分もやりたい」とやりたいことを言葉にした。
そこから互いに練習を始める。
コードを覚えるのには大変だったし、指が痛かった。でも、たった二人での演奏は楽しくて、白黒だった世界が、一気に鮮やかになった。
「ふざけないで! 僕は……僕は自分で決めてやってるんだ! お母さんに言われる筋合いはない!」
「まっ……親に向かってなんて口の利き方をするの! それもあの子の影響ね!」
「なんでもかんでもキョウちゃんのせいにしないで! もう、お母さんの言いなりになるのはやめる!」
母親に嫌われないように従ってきた過去。
でも、もうやめる。
何と言われようとも、大好きな音楽を恭弥とともにやる。
今まで言葉にしなかった気持ちを吐き出す。
「僕はっ! 僕はギターをやめない! 絶対に!」
院内に響く声。
耳の遠そうな老人までも、こちらを見ていた。
これ以上母親に言うことはない。何を言われようとも、学校へ向かわなければならない。
ギターケースを肩にかけ、エフェクターを持つと病院から飛び出した。
「し、失礼いたします!」
しばらく黙っていた先生も、母親に、周囲の人に頭を下げて瑞樹の後を追う。
「作間くん! 待ってください!」
自転車は事故のせいで、使い物にならなくなっている。重いギターを持って病院から学校へ行くのにどれだけ時間がかかるだろうか。文化祭に間に合うだろうか。
不安と期待が入り混じりながら、走り出そうとしたとき、後ろから呼び止められた。
「私がここまで車で来ましたので、これで学校に向かいましょう。学校でみんなが待ってます」
その手があったか。
車なら、時間がかからない。
「はい! お願いします!」