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Song.16 何のための音楽か


「ああっ! いらいらすんな……」


 新曲の譜面を持ってはきたものの、急にそんなことを言われて腹が立った鋼太郎は、そのまま教室を飛び出してしまった。

 もともと今日は予定があったため、スタジオに行く予定ではなかったからよかった。今、ドラムをやれと言われたら、スティックを何本折ることになるかわからない。


 自然とイライラが、鋼太郎の足を早める。

 向かう先は自宅ではなく、駅。そこから電車に乗る。以前に恭弥とともに訪れた楽器店のある駅まで向かう。

 その駅からバスに乗り、向かったのは大きな総合病院。鋼太郎の祖父が入院している病院だった。


「じっちゃ、来たぞ……?」


 4階の大部屋。部屋の入口の傍が、祖父がいるはずのベッド。だが、そこに祖父の姿はなかった。代わりにベッドの隣にある椅子に座っているのは、まったく別の老人だった。

 老人は祖父のものであろう新聞から、ちらっと鋼太郎の顔を見る。


「おう……片淵さんちの孫か。お邪魔しとるぞ」

「はあ、どうも。じっちゃはどこ行ったんすか?」

「便所」

「ああ、なるほど」


 短い会話。もともと話し上手ではない鋼太郎に、これ以上会話を広げることはできない。

 トイレの位置はこの部屋から近い。ならば、すぐに戻ってくるだろう。そう思った鋼太郎は、老人とは反対側に置いてある椅子に座る。


「おい、孫」


 沈黙を破るように、老人が鋼太郎に呼びかける。まさかそんな呼び方をされるとは思っていなかった鋼太郎は、一瞬だけ戸惑ったがすぐに老人の顔を見た。


「部活はどうした?」


 制服のままやってきたからか、老人は鋼太郎に問いかける。


「いや、まだ部活ってわけじゃないんで……それに俺がいても足をひっぱるだけだし」


 歯切れの悪い鋼太郎の言葉を、老人は聞き逃さない。するどい目で見られ、心臓が強く音を立てた。


「ドラムをやっておるのだろう? 練習なくて上達するわけがない」

「っ? なんで知って――」


 病室で対面した見知らぬ老人に、ドラムをやっているなんてわかるはずがない。自分の荷物からもスティックやらなにやらが見えているわけじゃない。どこで鋼太郎がドラムをやっているとわかったのか不思議でならなかった。


「片淵のじいさんが言ってた。うちのせがれも孫も音楽――バンドをやってたんでな……二人とも練習もしねえくせにしょっちゅうピーピーわめいておったわ。ドラムじゃなくて、ベースだけどな」


 新聞を置き腕を組むと、誰もいないベッドを見たまま老人は語り始める。

 過去を思い出すように、その目は少し優しくなった。


「昔はあんなに下手くそだったのに、いつの間にかテレビにも出るようになっちまってな。毎日毎日、寝る間を惜しんで、クマを作っていたわい。せがれの代わりに、今は孫が夜中にボロボロになるまでベンベン弾いて練習しておるわ」

「テレビ? すげえ有名人ってことじゃないですか。なんて名前のグループなんすか?」


 鋼太郎の問いに、老人は一息ついて、間をあけてから答えた。


「Mapだ。今はもう、いないがな」


 寂しそうに答えた直後、病室の扉が勢いよく開かれた。


「おうおう! 鋼太郎も来とったんか!」


 予想以上に元気な声で入ってきたのは、今日会いに来た目的の祖父だった。

 大部屋なので、耳の遠い老人ばかりではあるが他にも入院患者がいる。なのに何も気づかいのない行動に、鋼太郎は呆れた。


「うんしょっと。孫も来たみてえだし、帰るわ。せいぜい長生きしろよ」

「おんめえよりかは長生きすんべ。だからおめえさんの葬式にゃ、出てやるからな。また来いよ、《《野崎》》」

「ふんっ」


 老人は腰を上げると、そう言って病室から去っていった。


「……ん? 野崎? たしかあいつの苗字も……なあ、じっちゃ。さっきの人って……」


 自分をドラムに誘った男の苗字と一致し、首をかしげた。自分の中のもやもやをなくすために、知っていそうな祖父に訊く。


「んあ? 野崎んことか? 腐れ縁でな」

「へえ、そうなんだ。あ、そうそう。ばっちゃから色々預かってきてて……」


 聞いておきながらも野崎なんて苗字、他にもよくいるだろうと、深く考えないようにした。


「んだ、おめえ。そのバッグに入ってる棒は? そんな棒持って何すんだ?」


 バッグを漁っていて、見えたのだろう。二本のスティックを凝視している。


「あ、これか。俺、部活でドラムやることになってさ」

「おんめえが部活やるんか! どらむ……っていうのはわからんが、頑張れよ! 応援してっからな。しっかりやれよ」

「お、おう」


 背中をバンバン叩く祖父に苦笑いしつつ、鋼太郎の中のもやが晴れた。


 祖父は孫である鋼太郎が部活を始めたことを知らなかった。

 だが、先ほどの野崎という老人は、祖父から鋼太郎が部活でドラムを始めたことを聞いたと言っていた。

 メンバーはもちろんだが、祖父以外の自分の家族、それと楽器店の店員、スタジオの店主ぐらいしか、バンドを始めたことは知らないはずだ。

 部活を始めたことすら知らなかった祖父なのに、どこからあの老人は知ったのか。


 それに野崎という苗字。その老人の息子がMapのメンバーという情報。

 断片の情報をつなぎ合わせて出る答え。


 数年前に何度もニュース番組で扱っていたMap――Multiaction Programのメンバー死亡の報道。亡くなったメンバーの名前が《《野崎》》恵太。他のメンバーの名前も見たが、野崎という苗字はなかったから、老人の息子はこの人で間違いない。


 ということは、同じく音楽をやっているという老人の孫は野崎恭弥の可能性が高くなる。

 そうでなければ、いくら知り合いの孫でも、ドラムを始めたことまで知っているわけがない。


「……じっちゃ。俺、ちょっとやることできたから、行くわ。またっから! これ、ばっちゃから渡されたやつ! んじゃ!」


 恭弥がバンドに執着する理由。

 新しく渡された譜面スコアの歌詞。

 この二つをよくかみ砕く。

 すると現れるのは、過去に負けず、前を向いて今を生きようとする姿だった。


 親の死という自分とは比較にならないほど辛いことを経験している恭弥が、好きな音楽をやめようとしない。

 好きな音楽で、自分の抱えていたものを叫んでいる。

 反対に自分は、恭弥の考えも知らずに新曲をやりたいという話を受け入れられず、すぐに逃げ出した。

 そんな自分の行動が情けなくなった。


 もしこのままドラムをやめてしまったらどうなるのだろうか。

 念願のバンドができるのだと、楽しそうにしていた恭弥は再び暗い道を進むことになるのだろう。 


 そして鋼太郎自身に残るものは何だろうか。

 周囲の人からは、「怖い人」、「謹慎していた悪い人」そんな印象を持たれ、会話する人すらいない生活がやってくる。

 学校にすら来なくなった上井も、そのまま変わることもできないまま。

 誰も何も変えられない生活を送ることになるのだろう。


 何もできなかったと後悔するかもしれない。

 だったらやらずに後悔するより、やって後悔したい。

 恭弥のためではない。自分のためでもある。

 今の自分にできることは、何でもやりたい。


 鋼太郎は、あの楽器店へと向かっていた。


「あら? ずいぶん急いでるみたいじゃない。どうしたのかしら?」


 勢いよく店の扉を開けると、いつもの違和感のある風貌で、店内の清掃をしていたアズミが首をかしげて、息を切らしてやってきた鋼太郎に声をかける。


「あのっ……俺にドラム、教えてください!」


 鋼太郎は肩で息をしながら腰を九十度に曲げた。


「うふふ。もちろんいいわよ。何があったかわからないけど、お姉さんが手取り足取り教えちゃうわ」


 意味深な発言も、鋼太郎にとっては嬉しいものだった。


「うす! よろしくおねしゃす!」


 他に誰もいない店内。

 秘密の練習が始まった。

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