英傑の功罪
「今日はありがとうございました」
「私の方こそ、色々と聞けてとても楽しかったわ」
日が暮れ始めた頃、ニースたちは遠宮家の玄関先で桜香と別れの挨拶を交わしていた。
「さて、恋歌ちゃんもニースちゃんも、これから少しだけ大変かもしれないけれど、貴方たちなら乗り越えられるわ」
「はい」
「あぁ」
「じゃあ最後に、ちょっとだけサービスしちゃおうかしらね」
桜香がそう言ってズボンの左ポケットから取り出したのは、細長いカードの束だった。白い細枠の中に、青の背景の中央で輝いている星のデザインが施されている。
大きさも厚さも、ズボンのポケットに入るものではなかったが、彼女の力を知ったニースが驚くことはない。それは恋歌も同じのようだ。
桜香がカードの束をシャッフルし始める。
何週か繰った後で、それをサクラたちに向けて差し出した。
「好きなカードを一枚引いてね」
言われるまま、三人とも一枚ずつカードを山札から取った。
さて、ニースが引いたカードに描かれていたのは、美しくも勇ましい女王の姿絵だった。
「じゃあ、それぞれ見せてね」
サクラたちの引いたカードにも目を向けると、サクラは広大な朝焼けの世界が描かれた壮大な風景画で、恋歌は天秤を持った美しき女神が描かれた姿絵であった。
「これ、タロットカードですか?」
恋歌の質問に、桜香は「ベースはね」と答えた。
「ふむふむ、皆、大丈夫みたいね。作楽君は全く問題なさそう。でも周囲が少し気になるかもしれないわね。けれど、心配することは全くないわ。作楽君のやるべきことをやりなさい」
「わかりました」
「恋歌ちゃんは、うん、自分を信じて進めば問題ないわ。貴女がこれまではぐくんできた絆は、決して間違っていない。大丈夫よ」
「え、えと、はぁ……」
「それからニースちゃん。作楽君たちが凄いって思っているみたいだけれど、貴女もヴァルキリー。油断せず、かといって恐れずに向かい合いなさい。そうすれば、新しい道が開けるかも」
「よくわらかないが、心に留めておこう」
サクラや恋歌と同じく、ニースの理解できる範疇を超えた存在となっている桜香が、何の考えもなく、カード占いなど始める訳がない。
彼女の言葉を記憶にとどめておこうと思った。
「じゃあ、私からもおまけで一つ引いちゃおうかな」
そう言った桜香が山札からカードを一枚引き、表にして皆に見せた。
それは奇妙絵柄のカードだった。
三人が引いたカードに描かれていたのは、風景画や人物がと言った、ニースも美しいと思う絵画調の絵柄であった。
対して、桜香の引いたカードに描かれていたのは、デフォルメされた道化師の格好をした幼い少女を背負った青年と、その隣を走る戦士らしき女性が、少女が指差す方へ真っ直ぐ走っているという、漫画調のものだったのだ。
スイセンやムクが持っている、漫画の登場人物が描かれたキーホルダーの絵柄に類する感じがして、ニースは酷く違和感を覚えた。
それは恋歌も同様だったようで、訝しげな表情で桜香を見やっていた。
「これ、カード間違えていませんか?」
「間違えていないわ。ふふっ、なるほど……」
桜香は楽しそうに、そして嬉しそうに、懐かしそうに、様々な陽の感情が溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。
「桜香さん、このカードは、愚者ですか?」
「そう。占いで出た場合、正位置だと、いい結果を暗示してくれる、凄い子よ」
「しかし、これだけ他のカードと絵柄が全く違っているな」
「このカードたちは特別なの。そして、このカードはもっと特別。そして、これが出たからには、絶対に大丈夫」
ニースたちがカードを返すと、桜香は愚者のカードを一番上にして、ズボンの左ポケットにしまった。
ポケットが膨らんでいる様子はなかった。
「今のカードは、俺たちの未来にどんな影響を与えるんですか?」
「貴方たちに直接与える訳じゃないわ。でも、もしかしたら、ピンチだった場面を、何か良い方向へ流してくれるきっかけが生まれるかもしれない。そんな未来の暗示よ」
と、桜香が顔を上げ、笑顔を潜めた。
ニースもつられるようにして、その視線を追う。
青みがかっていく空に、星が一つ輝いているのが見えた。
「……作楽君、恋歌ちゃん。私は、この世界に戻ってきたかった。異世界での冒険は色々あったけれど、やっぱり地球での生活が、私は好き」
「俺もです」
「私もそう思います」
二人は迷わずに即答していた。
ニースも、今の生活も悪くはないが、神界の実家での暮らしが好きという気持ちがちゃんとある。
「でもね、中には、そう思わない人もいると思う。もしかしたら、戻ってきたかったけれど、手にした力を持てあましている人も、いるかもしれない」
桜香は胸の前で両手を重ね、そう零した。
「気を付けて、皆。私たちはとても大きく、凄い力を手に入れたわ。けれど、それは、他の異世界から戻ってきた人も同じ。油断はしちゃだめよ」
優しい占い師からの忠告に、ニースたちはしかと頷いたのだった。
地元の駅へ戻った時には、日が半分ほど沈んでいた。
駅を出て、しばらく歩いていたサクラと恋歌は、何もしゃべらない。
そうしているうちに、恋歌が青装束の姿で待ち伏せていた、あの公園の近くに着いた。
恋歌が公園へ足を向けると、サクラもそれに着いて行く。
子どもたちが帰り終わったのだろう、公園には一切の人気がなかった。
「ねぇ安藤」
先に口を開いたのは、恋歌の方だった。
「ちょっと、気になったことがあるんだけど」
「何が?」
「異世界からの帰還者って、実際のところは、どれだけいるのかなって」
その疑問に、サクラが視線を寄越してきた。
それに答えられるのは、間違いなくニースであることを、理解しているのだ。
「うむ。私が知っているのはサクラのようなタイプだけだが……それでもいいのであれば、最初のひと月ほどで、数十名いたはずだ。私も細かい数は覚えてない」
サクラを通して恋歌へ伝えると、彼女は息を詰まらせた。
「思っていたより、多いのね」
「でも、その人たちが全員、刺客だったり、敵になったりする訳じゃないと思うけど」
「そうね。でも、やっぱり、皆が皆、安藤や遠宮さんみたいな人たちばかりじゃないと思う」
「うーん、それもそうかぁ」
すっかり刺客の影に警戒しきっている恋歌のため息に、サクラも後ろ頭を掻いた。
「いや、お前たち……刺客はそいつらだけじゃないぞ」
「あ、そうだった」
ニースの注意喚起に、サクラが手を打った。
「え、何?」
「刺客って、帰還者たちだけじゃなくて、他にもいるんだったのを言い忘れてた」
「へ、何、秘密組織とかに狙われてるの?」
「あ、いや、それだったら問題なかったんだけど」
「普通は大問題どころか致命傷ものよ……」
「神界の一件で、俺に挑んできたり、色々ちょっかいをかけてくる奴らが現れるかもしれないって話があってさ」
「はぁ?! 何それっ、早く言いなさいよそう言うことは!」
恋歌はサクラに食ってかかったが、当のサクラはごめんと頬を掻くばかりで抵抗しなかった。
「いや、遠宮さんの家で話を聞いたときに考えておくべきだった。つまり、倒された巨人たちの仇討目的の奴が殴りこんでくるとか、ロキが報復に来たりとか、そう言う感じのヤバいことがこれから起こるってことでしょ!」
「流石にロキは大丈夫だと思うけど……」
「なぁにが大丈夫なのか教えなさい!」
「ニースが言うには、トールに大目玉を食らって、バルドルが二人の間に入って諌めていたって話だから、そこまでされたロキ自身が何かをしでかすことはないってさ」
「つまり、鉄砲玉を送り込んでくるってことでしょうが!!」
その通りなのだが、他に言い方はないのだろうか。
ロキ様が送り込んでくるなら、鉄砲玉ではなくて砲弾だろう。そそのかした神か巨人でも送り込んでくるに違いない。
ニースは自分の想像に辟易した。
「同じ人間同士で頭が痛いって思ってたのに、神々とか化け物からも狙われているなんて……安藤、アンタこれから大変よ」
「あんこの加護がついてるから、方宮さんや皆は大丈夫だよ」
「私たちじゃなくて、安藤自身が大変だって話」
「俺一人困るくらいなら、別にいいよ。俺が巻いた種だし」
「そう言う問題じゃない」
恋歌はため息をついてサクラから離れる。
「安藤が北欧神話に出てくる怪物たちを倒したのは、とても凄いと思う。けれどね、異世界で私が出会った奴らも、とても凄くて恐ろしかった。遠宮さんの話もそうだったし、帰還者たちは漫画に出てくるような、訳のわからない力を持ったラスボスみたいな奴らが雑魚で、その上を行く神様みたいな連中がラスボスっていう修羅場を潜り抜けてきた、最強ばかりが揃っていると考えて間違いないはず」
ニースも恋歌と同じ考えに至ってはいた。
サクラたちのような連中が、最低でも自分の事を見えた数だけいるのだ。
全員が悪人とは考えていない。
だが、ロキ様のように悪だくみをするような者もいるだろう。
サクラが負けるとは思っていないが、それこそロキ様や巨人たちがそう言った者と結託してかかってくれば、話は変わる。
いや、ロキ様ならそうするだろう。そして、自分の予想を大きく上回る知恵で、サクラとその周囲を破滅させるに違いない。
そうなった場合、世界は新たなラグナロクにより、完膚なきまでに焼き尽くされるだろう。
「安藤、アンタがラグナロクを止めたことは、間違っていたのかもしれない」
恋歌の言葉に、ニースの心に浮かんだのは、否定ではなく――――。
「間違っていたとしても、俺たちにとっては、間違っていないはずだよ」
サクラはいつものように、穏やかな様子で答えた。
気負うことなく、そう思っていると、ニースは理解した。
「俺がやったことが人間界にとって悪かったっていうなら、そのうち神様たちが知らせてくれると思う。だから、それまでは、俺は俺のやったことが間違いじゃなかったって思うし、それによって悪い事があるっていうなら、止めるよ」
そう言い切った男は、どこまでも平常な気配で、微笑んでいた。




