8.天罰
黄色いスイフトスポーツは、またどこぞに向かって走る。伊織は「人質事件が速やかに片づいてよかったよ。今日はもう一つ、仕事があるから」と言った。「間に合わないなんてことになったら、完璧主義の私としては、非常に不本意だし」などと続けた。
「もう一つの仕事? それってなんだ?」
「ラゲッジスペースに、スナイパーライフルを積んである。メイド・イン・アメリカの最新型。精度の高さは世界中の戦場で証明されてる。折り紙つきってこと。サプレッサーを取りつければ準備万端、準備完了」
「誰を撃とうってんだ?」
「拘置所から裁判所に出向いてくれちゃうガキ」
「野郎か?」
「そ。男のクソガキ」
男とはいえガキんちょか……。
そう思うと、諸手を上げての万歳とはいかない気がした。
「そのクソガキとやらは、なにをやらかしたってんだ?」
「五人で女子中学生をレイプしたんだよ。そして、彼女はそれを苦に病んで自殺した。どう? ちょっとしょうもない話だと思わない?」
たしかにしょうもない話だ。
犯人どもに同情する余地はないし、ゆるしてやる理由もない。
「ボスの指示だっってのか?」
「五人は五人とも、ポーズだろうがなんだろうが反省の色を見せている。加えて、未成年であることから、重刑の線はまずない」
「そいつはわかっけどよ」
「私が殺るよ。あんたよりはずっとうまくやれるから」
その点については、反論のしようがない。
たしかになにをやらせるにあたっても、伊織先輩のほうが一枚も二枚も上手だ。
「どこから殺るんだ?」
「とあるビルの屋上。四階建て。そこから留置所が見渡せる」
「ご苦労なこった」
「そうかもね。だけど、ボスの意向がなくても、私は仕事するにあたっては、やぶさかじゃない」
「伊織さんらしからぬ正義感だな」
「かもしれない。さて、着いたよ。あんたはすぐに車を出せるように待機してて」
「他のニンゲンに愛車を運転させるのは嫌じゃなかったのかよ」
「今日だけはゆるしてあげるって言ってるの」
「べつに要らねーんだけど、そんな許可」
「黙れ」
「へいへい」
伊織が車の後方へと回り込み、ラゲッジスペースから黒くて長い箱を持ち出した。それにライフルがおさまっているのだろう。速やかに屋上へと向かう。俺はビルの裏手に車を止めた。表の様子は窺えない。
伊織はさっさと仕事を終えたようで、すぐに戻ってきた。「出して」と言われたので、とっとと発車させる。
「うまくいったのかよ」
「私がミスをすると思う?」
「思わねーよ。で、他の四人も殺すのか?」
「今回の件で警護が強化される可能性が高いけれど、それでも殺るよ。あんまり舐めて欲しくないなって話」
「おまえに目ぇ付けられた連中は不幸だな」
「どあほうは幸せであっちゃいけないの。違う?」
「いんや。違わねーよ」俺はその止むを得なさに吐息をつき、肩をすくめた。「つーか、なんでガキってのは馬鹿みてーな性欲を抑え切れないのかねぇ」
「どうでもいいな。そんなこと」と伊織。「うん。ほんとうにどうでもいい」
「ちなみに、被害者はどうやって自殺したんだ?」
「JRに飛び込んだ。腕や脚がちぎれちゃって、ひどい状態だったみたい」
「ってことなら、奴さんらが死んだら、遺族は喜ぶかもしれねーな」
「そうだと思うけど、私としてむかつく奴らをただ仕留めるだけ」
高速にのったところで、左右に動いて前をゆく車をキュッキュとフットワークよくかわす。伊織のスマホが着信を告げた。短い会話ののち、通話を切った。
「ボスからの呼び出し。ちょっと寄れってさ」
「なんの用だよ」
「さあ。ま、いいんじゃない? そう遠くないんだし。向かってよ」
「オーライ」
ホワイトドラムにある我らがボス、後藤泰造の居室を訪れた。マホガニーの机には相変わらず書類の山。後藤さんは卓上のデスクトップパソコンとにらめっこしている。こちらに目をくれると、「やあ、伊織さん。朔夜君も」という気さくな挨拶があった。
「人質事件は無事、解決したようだね。たった二人で成し遂げたんだ。君達は課せられた任務を問題なくこなした。僕としても、自慢できちゃうよ。これで、またより多くの予算が確保できるんじゃないかな」
実際、後藤さんは鼻が高いといった感じである。案外単純なところがあったりもするのだが、そのいっぽうで、どこまでなにを本気で言っているのかわかりづらい男でもある。
「予算の件はおめでたいことだけれど、人員が限られた組織である私達にとって、脅威なのはやっぱり数」伊織がそう言った。「今回の人質事件だって、相手が大勢なら勝負にすらならなかった。ボス、わかるよね?」
「わかるさ。その言い分はもっともかもしれない。だけど、僕が知り得る限り、『亡国の騎士団』はそれほど大きな組織じゃない。実力行使に打って出られるニンゲンなんてそう多くないと踏んだ次第だ。多くても五人程度じゃないかなってね」
後藤さんの予測にハズレなんてないってことはわかる。
だからこそ、言い返す余地もないのだ。
「でも、そろそろメンバーを増やしてもいいんじゃない?」
「僕は一件一件についてパーフェクトな仕事がしたい。だからこその少数精鋭なんだよ。いたずらに拡充しようとは考えていない」
「そこまで言うなら、これ以上の発言、進言は控えたほうがよさそうだね」
「そうしてもらえるかな。それで、拘置所から移送される少年はうまく始末できたのかい?」
「もちろん」
「他に四人いるわけだけれど?」
「確実にこなす。任せといて」
「わかった。お願いすることにしよう」
「話はそれだけ?」
「ああ。報告が欲しかった」後藤さんの顔がこちらを向いた。「ところでだ、朔夜君」
俺はなかばいい加減に「はい。なんスか?」と訊ねた。いい加減なのは愉快な話を振られる気が微塵もしないからだ。
「僕は君の能力を高く買っているし、これからも伊織さんのいいパートナーであって欲しいと願っている。そのへん、まあ、うまいことやってよ」
「心得ているつもりッスけど」
「ああ。たとえば、どうやったら、この国から犯罪を撲滅することができるのかなあ。僕には見当もつかないよ」
後藤さんは後藤さんのくせに阿保みたいなことを言うなと感じた。実際、取るに足らないお考えである。本気の発言であれば失笑を禁じ得ない。だから「後藤さん、それ、マジで言ってんスか?」と確認した。
「本気だよ。というか、本音だね」
「世の中、阿呆は多いッスからね。悪いことだとわかっていながらやる連中がほとんどだと思うッスけど、にっちもさっちもいかなくなってあくどいことに手を染める輩もいるんじゃないッスかね」
「元刑事としての勘かい?」
「いえ。常識的な見解スよ」
「しつこいかもしれないけれど、できるだけやってやろうっていうのが僕のポリシーだ。これからも協力してもらいたい」
「わかってるッスよ」
それこそ、それは俺の本音だ。
そこに嘘偽りはない。
「一応、念を押しておこうと思ってね」
「だったら、ある意味、余計なお世話ッス。それにしても、基本的にペーパーメディアで情報を吟味しようってのは、古臭いって思うッスよ?」
「電子媒体で読み込んだ上で、紙を用いる。そうすることで、より強く記憶しているのさ」
「紙の存在は情報漏洩の危険性が高まるッスよ」
後藤さんは口をへの字にして、おどけるようにして目を大きくした。
「それがわかっててやってるんだよ。僕のやり方にいちゃもんをつけないでよ」
いちゃもんをつけるつもりなんてないので、ほうっておこうと思う。
「承知したッス。もう行くッスね」
「このあとはどうするんだい? 飲みに行くのであれば、久々に交ぜてもらおうかな」
「速やかに家に帰るッス。肩こってるんで」
「疲れなんてものとは無縁の朔夜君じゃないか」
「そうッスよ。嘘をついてみたんス」
「つれないなあ」
「今日、あんたんちに行こうと思ってたんだけど?」
「あいにくだがな伊織さんよ、俺はとっとと帰るんだよ」
「あの女に会いたいから?」
「アホ抜かせ。橋本さんは関係ねーよ」
「果たしてそうなのかな?」
俺は叱りつけるようにして「しつけーぞ」と釘を刺した。