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5.舌打ち

 夜になり、てっきりいつもの場所、駅前まで送ってもらえるものだと考えていたのだけれど、伊織はご自慢のスイフトスポーツを「治安会」の根城であるホワイトドラムの地下駐車場に滑り込ませた。


「ボスになんか用か?」

「ただ飲みたいってだけ」

「飲酒運転はしないってか。真面目なもんだ」

「たまにはね」

「じゃあな。帰るぜ。また明日」

「アホ。アンタも付き合うんだよ」

「はあ? やだよ。めんどくせー」

「いいから、ついてきな」


 伊織はとっとと駐車場の外へと歩き出す。俺は不愉快さに顔をしかめつつ、後に続く。


 モノレールに乗る。端っこの駅まで進んだら、そこはオヤジどもが集う飲み屋街だ。ゆっくり座っていられる居酒屋でも探すのだろうと思っていると、剥き出しのSLが展示されている広場に出たところで、伊織は唐突に立ち止まった。


「やっぱり予定変更」

「帰してくれんのか?」

「ううん、違う。あんたんちで飲むことにする」

「ああん?」

「嫌?」

「ああ。お断りだ」

「しかしながら、もはや決定事項」

「ふざけんな」

「ふざけてない。さあ、行くよ」


 身を翻して駅舎へと引き返す伊織。俺は吐息をついた。一度、言い出したら聞かない女だ。諦めるしかないだろう、ったくうっとうしい話だが!!


 JRに乗る。電車ってのは結構、嫌いだ。俺はそのゴツさから目を引いてしまうし、隣にデカい胸をした異常な美女が立っているとなると尚更注目されてしまう。そんなふうに世間の目に晒されることをじつに不快に感じて舌打ちを連発していると、伊織に「うるさい」と指摘された。「しつこい」とも言われた。黙っていたらお美しいんだから黙ったままでいろっての。


 自宅の最寄り駅でおり、コンビニに寄った。伊織は迷うことなく七百ミリリットルのウイスキーを六本、オレンジ色の籠に入れた。俺が三本。伊織が三本。アルコール耐性はどっこいだ。


 俺んちに到着。


 たがいにジャケットをポールハンガーに引っ掛け、ショルダーホルスターもぶらさげた。伊織はパンツを脱ぐ。白いブラウスに黒いTバック姿になる。フロアに座って片膝を立てると、早速、ウイスキーのラッパ飲みを始めた。カウボーイが好きな女なので牛乳があれば亜種にはなるのだろうが、そんな気の利いたもの、もっと言うと足の早いものはウチには置いていない。


「いつも思う。不味いよね。さすがはコンビニクオリティー」

「一応、ジャックダニエルだろうが」

「混ぜ物なんじゃないの?」

「気に食わねーなら美味い酒を出す店に行けってんだよ。一人でな」

「ここのところ、アンタは私を遠ざけるようになった。その理由ってなに?」

「会ってからこっち、ずっとこんなもんだろうが」

「たまには腕力に物を言わせて襲ってみようとか思わない?」

「んな真似するかよ。このメスゴリラが」


 一口飲んでも半分空けても、まずいもんはまずい。それこそ、コンビニクオリティーってヤツなのだろう。同じ品物でもちゃんと店で頼んだら、それなりにうまく感じられるのだから。


 伊織が色っぽい視線を絡ませてくる。口元には蠱惑的な笑み。抱いてしまったら最後、深みにはまるだけ……とは思わない。とにかく抱きたくない。それだけだ。得体の知れないモノにモノを突っ込んだところで、気色悪さしか覚えないだろう。


「ねぇ、朔夜」

「なんだよ」

「私の過去、知りたくない?」

「知りたくねーな」

「どうして?」

「決まってんだろ。興味がねーからだ」

「ヒドい言い方」

「ああ、そうかよ」

「アンタに過去はないの?」

「そんなたいそうなもんはねーよ。フツウに親父とおふくろがいて、フツウにダチがいる。同窓会にゃあ、出たことなんざねーけどな」

「私も似たような感じかな。だけど、アンタの知らない私だっている」

「だからっつって、なにも訊くつもりはないぜ」

「まあ、それでいいよ。だけど、あんたはいつか……」

「いつか、なんだよ?」

「ううん。なんでもない」


 それから二人して会話もないまま、薄暗い部屋でウイスキーのラッパ飲みを続けた。




 ちゃぶ台に突っ伏して眠っていたらしい。翌朝、目が覚めると、リビングに伊織の姿がなかった。やれやれ、邪魔者は失せたかと内心喜びつつ、バスルームに向かう。その途中、伊織の背を見つけた。ブラウスにTバックというあられもない姿のまま、玄関口に立っている。俺の口元は当然ゆがんだ。ったく、相手が誰であろうが、アホみたいな恰好のまま勝手に出てくれんなよな。


 伊織を押し退け、俺は表に顔を覗かせた。そこにはお隣さんちの元英がいた。「あっ、おっす、朔夜」と驚いたように挨拶を寄越すと、くだんのガキんちょときたら、自宅である隣室の戸を開け「母ちゃーん。朔夜んちに、メチャクチャおっぱいのデケー女がいるーっ!」と叫んだのだった。頭痛を覚えたことは言うまでもない。




 表の駐車場。元英のキャッチボールの相手は、伊織がしてやっている。その様子を、俺は橋本さんと見守っている。薄黄色の半袖ブラウスに白いロングスカート。今日も彼女は綺麗だ、かわいい、愛らしい。梅雨の晴れ間によく映えるファッションだと感じた。


 隣に立つ橋本さんは、ちらちらとこちらを上目遣いで見てくる。俺はなんだかバツの悪さみたいなものを覚えて、頭を掻いた。


 彼女が「あのっ」と言うのと、俺が「えっと」と発したのは同時のことだった。


「あの、本庄さん……」

「事実だけ言うッス。アイツは単なる同僚ッス」

「同僚?」

「ええ。文字通り、仕事仲間ッス。それ以上でも以下でもないッスよ」

「でも、とってもお綺麗なかたですよね……」

「かもしれませんけれど、ホントにただの他人スから」


 誤解されても仕方がないのかもしれない。あるいは、誤解されたところでかまわないのかもしれない。それでも、ほんとうに、事実として、メチャクチャ、バツが悪い。あれこれ言い訳したくなるところをこらえた。こらえる必要なんてないのかもしれないけれど、ぐっとこらえた。


 ほんとうにやましい関係ではないことを、橋本さんは的確に汲み取ってくれたようだ。どことなくほっとしたような表情を浮かべて、「そうですか」と微笑んでくれたのだった。


「俺からすると、男のダチと変わりないッスよ。勝手に上がり込んできて、勝手に酒飲んで、勝手に帰っていくんスから」

「あのヒトとは、どういったお仕事を?」

「それは、ッスね」

「あっ、いえ。答えづらいのであれば、私はなにも……」

「言わば、警察官スよ、やっぱ」

「じゃあ、あのヒトは刑事さん?」

「似たようなもんス。顔っつーか、美貌っつーか、プロポーションっつーか、そのへんは抜群な女ですけれど、腕っ節はハンパないッスよ。下手に手ぇ出しゃ火傷じゃ済まないんス」

「強い女性には憧れます」

「強すぎるのも考えものッスよ」


 伊織が「朔夜」と声を掛けてきた。この場において気安く下の名前で呼ぶなと言いたい。そのへん強く念押ししたい。実際、橋本さんは少ししょんぼりとしてしまったのだから。その理由についてなにも察することができないと言ったら嘘になってしまう。俺は馬鹿であることに自覚的ではあるけれど、馬鹿は馬鹿なりに色々と考えを巡らすことだってあるのだ。もしかしたらそうなのかな、って。ひょっとしたらそうなのかもしれないな、って具合に。


「交代。疲れちゃった」


 そう言って、伊織はグラブを投げて寄越す。俺はそれを受け取って、元英からの球を受けた。キャッチボールをしているさいちゅう、ちらちらと女二人に目をやった。双方とも無言のご様子。橋本さんに至っては、申し訳なさそうな顔をしている。ったく、伊織さんってばよ、気の利いたジョークでも飛ばして笑わせてやれよ、この馬鹿女が、死んじまえ。


 ジュニアクラブに所属していることもあって、元英は中々いい球を投げる。そのうち、「朔夜、キャッチャーやってくれよ」と言い出した。両膝を折ってしゃがんでやると、スワローズのキャップのつばを正して、ミットを睨みつけてくる。振りかぶって投げ、見事にストライク。だけど、コースは甘い。ボールを返しながら「今の高さじゃ打たれるぜ」と言ってやると、「だよなあ」と反省したようだった。




 仕事の話はないけれど、とりあえず、スイフトスポーツを駐車してあるホワイトドラムに向かうことにする。無言の時間が続いた。やがてモノレールに乗り、吊革に掴まったところで、伊織が口を開いた。


「わかったよ」

「なにがだ?」

「アンタ、私とあの女を会わせたくなかったんだね? 間違っても間違った考えを持ってほしくなかったから。そこで、最近になって、送り迎えの先を最寄りの駅前に変更した」

「ぐっ」図星だった。「で、でも、だったら、なんだってんだよ」

「イイ女なのは認める」おどけるように笑った伊織。「だけど、私よりイイ女だとは思わない」

「なにが言いてーんだよ」

「一つ、占っといてあげる」伊織が長く綺麗な右手の人差し指をピンと立てた。「あんた、あの女とは失敗するよ」


 俺は当然しかめ面をして、「なんで言い切れんだよ」と低い声を出した。


「失敗するものは失敗するんだよ」

「答えになってねーぞ」

「どうしても付き合いたいっていうのであれば、せいぜい、うまく立ち回るしかないね」

「んなこと、言われるまでもねーことだろうが」

「まあ、本庄朔夜くんに幸あれって感じ?」

「うるせーよ」

「うるさいのは、あんただよ」

「怒んぞ」

「怒れば?」


 俺はいっそう顔をしかめる。この女と出会ってから、舌打ちの数は間違いなく増えた。


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