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26.伊織んち

 目が覚めた途端、身体のあちこちから脳髄にかけて激痛が走った。「いだだだだっ!」と叫ぼうにも、上手いこと喉から声が出てこない。だけど、そのうち痛みにも慣れ、落ち着き、今いる場所がどこであるかを確認するべく首と目を動かした。ドーム型の天井。青白くて薄い間接照明。キングサイズ二つ分はある白いベッドに寝かされているらしいけれど、どれもこれもまるで見覚えがない。


 全身に包帯を巻かれている感がある。なんとも情けねーなあと思いながら身を起こそうとする。そこに伊織がやってきた。浅黒い肌をすべて晒している。女豹のようなしなやかさで伊織は迫り来る。右の人差し指で、とんと(ひたい)を突かれ、そのせいで俺はまた枕に後頭部をうずめる羽目になった。


 両膝を抱えて隣に座った伊織は、細長いグラスに入ったアクアブルーのカクテルをすすり始める。喉をこくりと鳴らし、ふーっと吐息をつく様は、例によって容赦なく蠱惑的だ。そんな伊織を抱きたいと思わない俺は、男としてやっぱりちょっと異常なのかもしれない。あるいは気づかないうちに、不能者になってしまったのだろうか。


「やっと起きたか。ミイラ男」

「ずいぶんと久しぶりな気がするな」

「そうだね。寝すぎだよ。三日も」

「いい夢見たぜ」

「どんな夢?」


 夢なんざ見てねーよ。

 俺はそう、嘘を認めた。


「嘘だよ。ホント、ぐっすりだった」

「ふぅん。口が動くんだったら、みかんでも食べる?」

「みかんがあんのかよ」

「変?」

「おまえっぽくねーよ」

「そうかな」

「だよ。つーか、今は六月だ。この時期のみかんは、あんまうまくねーだろ」

「おいしいよ?」

「意外と舌が馬鹿なんだな」

「黙れ」


 ぴしゃりと叱られてしまたt。


「ここはどこなんだ?」

「私のセーフハウス。男を上げたのは初めて。どう? ちょっとは嬉しい?」

「んなわけねーだろ。ってか、なんで俺は病院にいねーんだよ」

「すやすや寝てるあんたを見てるとかわいらしく思えてきてね。ひとりじめしたくなっちゃった」

「迷惑なこった」

「たまにはいいじゃない」


 俺は苦笑した。生きてることを実感できるのは嬉しいことだけれど、「こんな大ケガは二度とごめんだ」と相手に告げた。


「あんたにとっては大ケガでもないでしょ? 脳まで筋肉なんだし」

「じゃかあしい」

「話、変えるけど」

「なんだ?」

「状況、わかってる?」

「なんとなくはな。理沙は、どうなった?」

「解放されて問題なく家に戻ったよ。昨日から学校にも行ってるみたい」


 ほっとなったことは言うまでもない。


「じゃあ、アイツらは?」

「『OF』?」

「ああ。いくらなんでも、あの大所帯で逃げ切れたわきゃねーだろ?」

「逃げ切られたよ」

「まさか」


 幾分険しい顔をして、俺は伊織を見た。


「床下から地下道が走っててね。あとになって調べたところ、三キロ離れた別の屋敷とつながってた。双方の(あるじ)は同じ。奴さんは取り調べに対してなにも答えない。恐らく、『OF』の熱烈なシンパなんだと思う」


 人物像と事象に呆れたくもなった。


「連中になんの魅力があるのかねぇ、って、んなこたどうだっていいか」

「うん。どうだっていいね」

「そっか。理沙のヤツは無事か……」

「そう。アンタは役割を果たしたんだよ。ボスも大したもんだって褒めてた」

「そろそろ俺もサマになってきたのかねぇ」

「そうなんじゃない?」


 だったら、嬉しい。


「俺達のことを『OF』に売ったっていう内通者は見つかったのか?」

「うん。犯人は『情報部』のたった一人。私達、『実行部隊』の情報を流出させた」

「そいつの処分はどうするんだ?」

「もう死んだ」

「死んだ?」

「夜の高速で事故ってね。高架から落ちて、即死だったみたい」

「それ、ぜってーウチの先輩の仕業だろ?」

「ノーコメント」

「まったく、おっかねーよ。我が組織はよ」


 俺は体を起こして、背もたれに身を預けた。


「起きて平気?」

「起きられるんだから、平気なんだろ」

「やっぱりフィジカルバカだよね」

「うるせー」


 カクテルを手渡され、一口飲む。極度に甘かったので、すぐにグラスを返した。甘ったるいアルコールなんて、この女らしくないなと思う。たまには飲みたくなる瞬間もあるということだろうか。


「今回はしくじったな」

「しくじったね」

「ああ。しくじった」

「根本的な原因はわかってる?」

「わかってるよ」

「私も含めてだけど、『治安会』は『OF』を舐めてた。ボスだけはそうじゃなかったのかもしれないけれど。あのヒト、とことんリアリストだから」

「だよな」


 俺は前髪を掻き上げつつ、溜息をついた。


「とりあえず、家、変えねーとな」

「そうだね。私もここを引き払う。気に入ってたから、残念なんだけどね」

「顔も名前も変えたほうがいいのかね」

「顔は変えたくないね」

「どうしてだ?」

「だって私、美しいから」

「自分で言うな」

「事実じゃない」

「はいはい」


 伊織は笑顔を見せてから一転、真剣な顔を向けてきた。


「そんなことより、朔夜」

「あん?」

「あんた、今回の事件の原因はわかってるって言ったよね?」

「言ったな」


 さらに真面目な顔を突きつけてきた、伊織。


「同様のことが、今後、絶対に起きないとは言い切れない。組織に居続けるにあたって、荒事専門の私達が住所等を本部に届け出る必要はなくなったんだけど、それでも、彼らはウチらの顔を知ってるわけ。だからなにかの拍子に見つかっちゃうかもしれない。住み家を変えたところで、ひょっとするとまたバレちゃうかもしれない。四六時中、行動確認されることになるかもしれない。二十四時間、監視下に置かれるかもしれない。大事にしているニンゲンだって知られちゃうかもしれない」

「かもしれない、かもしれない。そればっかだな」

「そう簡単に引っ越し先を特定されることはないと思うけどね。要するに可能性の問題。念には念をって言ってるつもり。あんたが苦い思いをしなくて済むように忠告、あるいは警告してやってるんだよ。万一のことが起きてからじゃ遅いでしょ?」

「そりゃそうだけど、『OF』の情報収集能力はそれほどまでに優れているのかねぇ」

「得体が知れない以上、規模がわからない。構成も把握できない。どこで目を光らせているのかも見当がつかない。それほどまでに危ない手合いなのかもしれない。警戒するに越したことはないよ」

「めんどくせー話だよな」

「まったくもって、その通りだね」


 物騒な話である。

 わかりやすい話だと言えなくもない。


「すなわちだ」

「すなわち、なに?」

「すべてを切り離せ。すべてから乖離しろ。おまえはそう言いてーんだな?」

「そうだよ。とにかく最悪のケースを考えろってこと。遠ざけられるモノは容赦なく遠ざけろってこと。自己責任で済む範囲とそうでないことはまるで違う。リスクヘッジくらいはしなよ」

「そうなるわな」

「私達は常に孤独じゃなくちゃいけないんだよ。間違っても弱味なんて作っちゃいけないの」

「そいつはわかってる。わかりすぎてるくらいだ」

「だったら尚のこと、肝に銘じておくべき。朔夜、アンタのそもそもの欠点ってね、優しすぎるところなんだよ」


 言われてもピンと来ない。


「本人にゃあ、そんなつもりは微塵もねーんだけどなあ」

「このたび、『OF』は紳士的に振る舞ったように察してるけど、きっとそうじゃない場合もある」

「だから、んなこと、わざわざ釘を刺されるまでもねーっての」

「本当に理解してる?」

「何度も言わせんな。大事なものを抱えるな。今の俺は、誰よりもそうあるべきだと認識してる」

「だとしたら、本件はいい教訓になったね」

「そういうこった」


 伊織の笑みは優しい。

 そのわりには、目が笑っていない。


「きちんと後始末してきな。じゃなきゃ私はゆるさない」

「怖い顔すんなよ。つーか、後始末って言い方はやめてくれねーかな」

「後始末は後始末でしょ?」

「ま、それ以外に適切な言葉はねーか」

「いいから、とっととやることやってきな」

「あいよ、先輩」


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