23.過去
爆破事件の翌日、ホワイトドラムにある後藤さんの居室を訪れた。窓のない薄暗い部屋の真ん中で、後藤さんはゴルフクラブを持ってスイングをしていた。「呼び出して悪かったね」と言って、こちらを向く。「まあ座ってよ」と応接セットに促された。二人掛けのソファに、伊織と並んで座る。後藤さんは「どっこらせ」と正面の一人掛けに腰を下ろした。
「伊織さんから報告は受けたよ。朔夜君。大変だったね」
「そうスね。まあ、大したことないスけど」
俺は無意識にジャケットの内ポケットを探っている。あっ、と気づく。そういえば、ここは禁煙なんだっけ。
「いいよ」
後藤さんはそう言った。「一服くらい、つけるといい」と微笑む。「じゃ、お言葉に甘えて」と俺は煙草に火をつけた。アメスピだ。メンソールライトからオーガニックミントライトに名を変えてから、もう長いらしい。
「立花くるみちゃんは意識を取り戻したようだよ。ICUからもまもなく出られるだろうとのことだった」
「そこまで知ってんスか?」
「朔夜君、僕の二つ名を知っているかい?」
「情報倉庫でしょう?」
「そうだ」
後藤さんは右の人差し指で、こめかみをつついた。
「なんでも集まるし、なんでも集めるし、そしてなんでも記憶する。それが僕というニンゲンなんだよ」
「なるほどッスね。合点もいくッス。最初はただの昼行燈だと思ってたんスけど、俺なりにあれこれ調べたんスよ。そしたら、後藤さんは相当なキレ者だって結論に行き当たった」
「お褒めにあずかり、光栄だね」
後藤さんはふふと笑って肩をすくめた。
このじいさまは食えねーなぁと俺は思う。
「今日はなんの話ッスか?」
「僕なりに君のフォローをしておきたいと考えたんだ。たしかに公安から抗議を寄越された。自分達の縄張りを侵された、業務を阻害されたってね。だけど、実際にあったことに目をやると、きみは多くの人命を救ったわけだ。なにも間違ったことはしていないと僕は評価している。きみが気に病まなくちゃいけないことなんて、なにもないと言っておくよ」
「痛み入るッス」
「きみみたいなニンゲンがいないと、組織の面白味は欠けてしまうんだ」
「そんなふうなこと、聞かされた覚えがあるッス」
「君はこれからも思う通りに行動したらいい。その点、伊織さんも理解してくれるよね?」
「わかってる。朔夜の考えは最大限、尊重するつもり」
「でも、危ないと判断したら止めるのも、伊織さんの役割だ」
「相棒だから、仕方ないよね」
俺は煙草の切っ先を指でつまんで火を消した。後藤さんが手を伸ばしてくる。吸い殻を手渡すと、それを口に含んだ。口を開けてべーっと舌を出す。飲み込んだらしい。いくらなんでもあとで吐き出すだろう。人間ポンプができるというわけだ。年の功というやつだろうか。
「もう行っていい?」
そう訊いたのは伊織だ。すると、「朔夜君はちょっと残ってくれるかな」と後藤さんに言われた。俺の眉間には皺が寄る。
「伊織さんは行っていいよ。なに。長い話になるわけじゃない。車で待っていてあげなよ」
「了解」
伊織は特段いぶかる様子もなく、すたすたと退室した。
「俺にだけ話ッスか。珍しいッスね。伊織との内緒話は数多くあったように思うッスけど」
「『オープン・ファイア』、すなわち、『OF』だ。きみは彼らのことを、どれだけ知っているんだい?」
「俺が刑事だった頃から、無差別テロや要人の暗殺未遂なんかをやらかしてたッスよ。連中に関する案件を根っこから解決しようとすると、すべからく指揮系統をちょん切る必要があるッスよね。おまわりさんと公安の腕の見せどころってとこじゃないッスか?」
俺はなかばおちゃらけたようにそう言い放ったのだけれど、後藤さんは真面目なスタンスを覆すことはなかった。
「公安、公安……そうだ。彼らも本腰を入れている。とはいえ、その本腰なんて、僕から言わせると生ぬるくてね」
「それで? なんでも言ってくださいッス」
「神崎英雄と言って、わかるかい?」
「わかるッスよ。それがどうかしたんスか?」
「彼が『OF』の創設者だって話があるんだよ」
初耳だった。
だからそれなりに驚きもした。
その旨、顔にも口にも出さなかったけれど。
「きみは神崎のことを、どれだけ把握しているんだい?」
「把握っつーか、情報量としては一般人と変わりないッスね。食人鬼だっつー話でしたね。すなわち、カニバリスト。癌で死んだ女房の体をまるっとたいらげて、挙句、逃亡した」
「うん。まさにその通りだ」
「でも、その事件と『OF』の立ち上げは、なんの関係もないように思うんスけど」
「僕もそう思う」
「だったら――」
「ニンゲン、なにを考えるかわからないってことだよ。それでもそこにあえて理由を求めるとするなら、彼は自らの妻を奪ったこの世界そのものに復讐しようとしているのかもしれないということだ。一般的な観念と照らし合わせると、まるでおかしな話でしかないけれどね」
「そッスよ。お門違いもいいところッス。でもまあ、あり得ない話でもなさそうッスね。それこそニンゲン、なにを考えるかわからない」
それは俺も同意するところだった。
「彼がトップであることは事実なのかもしれない」
「現状、その意見を否定できるような材料は持ち合わせていないッスけど」
俺が正直にそう言うと、「神崎逮捕のプライオリティは、僕の中で、けして低くない」と返ってきた。実際にそのとおりなのだろう。
「だから、俺達で捜査する?」
「そうしたいと僕は考えているということだ」
「明確に指示をくださいッス。やれることはやるッスから」
「やれることはやる。いい言葉だね」
「やれる気がする時はやれるもんっスよ」
「それもまた、いい言葉だ」
にこりと微笑む、後藤さん。
機嫌がよさそうにすら映る。
「やるにあたって、なにか問題でも?」
「神崎は軍人だったんだよ。そして、ここからが重要だ」
「なんスか?」
「伊織さんも元は軍属だった。それは知っているね?」
「ええ」
「伊織さんはその時分、神崎の部下だったんだよ」
「へぇ。察するに、二人のあいだにはなんらかの関係があったってことッスか?」
「そういった情報を掴んでいる」
「で、なにが言いたいんスか?」
後藤さんは涼しい顔をしている。
基本、いつもそんなじいさまなのだが、じいさまなのだけれど。
「僕はね、朔夜君、伊織さんと神崎が今でも連絡を取り合っているんじゃないかと疑っているんだよ」
「なるほど。そう考えても、おかしくないと思うッスよ」
「きみは彼女の相棒だ」
「望んでいようがいまいが、それはたしかかッスね」
「要するに、現状、きみは誰よりも彼女に近い立場にある」
「それも間違いないってことになるッスね」
「きみたちの間柄に水を差したくはないんだけれど、これからは少しでいいから、彼女の身辺と行動について、気を配ってもらえないかな」
「わかったッス。なにかわかれば、即刻報告するッスよ」
「おや。すんなりオッケーするんだね」
「それがどうかしたッスか?」
「だって、きみからしたら、相棒――バディを売ることになるかもしれないんだよ?」
「俺はアイツにそこまで興味ないッスから。つーか、神崎と密かにつながっているんだとしたら、それこそ敵だ」
後藤さんは目を丸くし、それから感心したようにうんうんとうなずいた。
「ほんとうにきみは頼もしいなあ」
「それより、いいんスか? 後藤さんから自制を求めるっつー手もあると思うんスけど」
「理屈が通じる事柄だとは思えないよ」
「ま、その通りッスね。話は以上スか?」
「うん。まあ、頑張ってよ、朔夜君」
「了解ッス」
エレベーターで地下駐車場に下りると、エンジンのかかったスイフトスポーツが待っていた。運転席では伊織が煙草を吸っている。背もたれを大きくうしろに倒していて、その表情はどこか虚ろ。冷めた目をしているようにも映る。
俺は助手席に乗り込んだ。
「いいぜ、出せよ」
「どこに向かえばいい?」
「どこでもいい。そのへん、流してくれりゃ、それでいい」
「ボスからなにを言われたか、当ててあげようか?」
「当てなくていい」
「私と神崎さん、いや、私と神崎のこと。加えて、彼が『OF』の創設者じゃないかとか、そんな話でしょ?」
涼しげかつ簡単に言ってのけたように聞こえた。
そこにはなんの感情の混濁もないようにも思えた。
「だったら、なんだってんだ?」
「まだ連絡を取り合ってるんじゃないかって?」
「ああ」
「私は裏切り者かもしれないとも言われた?」
「かもな」
「ねぇ」
「なんだよ」
「今、私のことをふんじばっておけば、その問題は解決するんじゃないの?」
「そこまでしろとは言われてねー。とりあえずは現状維持ってことなんだろ」
「信じてとは言わない。だけど、今の私は、彼と連絡を取れる立場にない」
「仮に連絡が取れたとしたら、どうしようってんだ?」
「それは……」
「ハハッ。おまえらしくもねー。口籠りやがったな」
俺はクックと喉を鳴らしながら、煙草に火をつけた。