21.ママは亡くなった
結構な時間、スプリンクラーは水を吐き続けているらしい。フロアはなかば水浸しになっている。
叫ぶ。
「誰か、誰かいねーか!」
返事はない。届いてこない。聞こえてこない。
どんっという爆発音。大きなものではない。恐らくコンロに用いるようなカセットガスにでも引火したのだろう。クボクラとかいう男は一発目の爆発がどうのこうのと抜かしていたが、その証言を踏まえて考えると、爆弾は同じタイミングで複数炸裂したと予測できる。影響範囲からも、そう判断できた。いずれにもご丁寧に、ねじ釘が仕込まれていたらしい。無残な死体が多い。
陳列棚に挟まれた通路を順繰りに当たる。結構、生きているニンゲンはいて、それでホッとした。慌てたように駆け寄ってきたヤツから速やかに出入り口へと促す。瓦礫の下敷きになっている消防員を見て取り乱し、悲鳴を上げる女もいたけれど、いいから外に出ろと強く告げた。
一通りニンゲンを脱出させたあとも通路をゆく。生存者を探す。総菜コーナーに出た。その向かいの棚に爆発物が仕掛けられていたらしいことが窺い知れた。商品である豆腐や揚げさんなんかが粉々に飛び散っている。どうやって目につかないところに仕掛けることができたのか、そのへんは一見しただけではわからない。いや、今はそんなこと、どうでもいい、どうだっていい。わからなくたっていい。
通路の真ん中に、生き残りがいた。
へたり込んでいるその幼女の周りにはヒトの遺体が散乱していた。爆破そのものでやられたであろうニンゲンもいれば、やはりねじ釘でやられたニンゲンもいる。思わず舌打ち。なんて残酷な真似をしやがるんだろう。人非人にもほどがある。
急いで幼女のそばに近づいた。幼女は「ママ、ママ」と言って、うつ伏せに倒れている細い女の背を右腕だけで揺すっている。そう。爆発で吹き飛ばされたのだろう。幼女には左腕の肘から先がないのだ。ねじ釘に見舞われなかったのは奇跡と言える。幼女は「ママ、ママ」と続ける。「ママ、ママ」となおも続ける。
その光景を見て、たまらなくなった。ママのそばに置いといてやりたいという衝動にも駆られた。だけど、ダメだ。そんなの絶対にダメだ。なにせ左の前腕がないのだ。どろどろどろどろと大量に出血している。すぐに適切な処置を施さなければ死んでしまう。
ネクタイを取り払い、それを左の二の腕に巻きつけ、間に合わせの止血をしてやった。抱き上げる。そしたら幼女は「ママ、ママ」と言って、いやいやをするように首を横に振った。
「ダメなんだ。もうダメなんだよ」
「いや、そんなの、いや。ママ、ママ」
「頼むから……頼むから、わかってくれよ」
「ママ、ママ、ママ」
なりふりかまわず駆け出す。「ママ」とまだ言う。「ママーッ!」と叫びもした。ことさら強く背を抱く、抱き締める。「ごめんな」と声が漏れた。「ママを助けられなくて、ごめんな」という言葉を絞り出した。
だって、本当にもう無理なんだ。
ママには首から上がないんだから。
ママの頭は、どこにも見当たらないんだから。
くそっ、くそっ、くそっ!
どうしようもないことだった。それはわかってる。だけど、無力さを感じずにはいられない。
瓦礫をのぼって、外に出ると、幼女は言った。
「お願い、お願い、おにいちゃん。戻って? ママのところに帰して?」
「ダメだ」
「お願いだから」
「ダメだ」
「どうして?」
「ダメなもんはダメなんだよ」
ほんとうにどうしようもないことだった。でも、このコのためにできることがあるのなら、この先、なんだってやってやろうと思った。
俺にはこのコと母親とを引き離した責任がある。
「ママ―ッ!」
だから、もうそれは、よしてくれよ。
つらくてつらくて、しょうがないから……。