17.ファミレス
二十二時くらい。寝床であるマンションの四階、その通路に出たところで、理沙が膝を抱えて座っているのを見つけた。こちらに気づくと、「あっ、朔夜、おかえり」と言って立ち上がり、笑って見せる。真っ白なブラウスに緑と黒のチェック柄のプリーツスカート。丈の短さが、とにかくガキくせーんだよなと思う。
「エントランスのオートロック、どうやって抜けたんだよ」
「鍵をなくしちゃった、かわいそうな女子高生を演じました」
「おっさんにでも頼んだのか?」
「通りすがりの、ね」
「よくやるもんだ」
「えへへ」
「で、なんだよ。今日はなんの用事だ?」
「用事っていうか、通い妻?」
「んなもん、頼んだ覚えはねーぞ」
「えーっ、冷たーい」
玄関の戸を開けると、当たり前のように理沙もついてきた。「お邪魔しまーす!」なんて朗らかに謳いながら。
ジャケットとショルダーホルスターをポールハンガーに掛け、ちゃぶ台の前に座り、俺はボトルのままウイスキーをあおった。理沙はバッグを置くと、今日は替えを用意してきたらしい、それを持って、「シャワー借りるね」と告げ、脱衣所に消えた。
前髪を掻き上げ、俺は煙草に火をつける。ゆっくりと煙を吸って、ゆっくりと吐き出した。やっぱりまずい。うまく感じられないときは、大抵、心か体のバランスが崩れている時だ。それくらいは知っいる。経験則ってヤツだ。
そのうち、理沙がシャワールームから出てきた。小さなTシャツに短パンをはいている。胸の膨らみは豊かで、腰は細く、脚は長い。ガキらしからぬスタイルのよさであることは認めてやってもいい。
「うわっ、煙草くさっ」
「嫌なら帰れ。つーか、こんな時間に野郎の家にいていいのかよ」
「心配ご無用。友達の家に泊めてもらうって言ってきたから」
「んなの迷惑だ」
「ま、そんなこと言わないでさ」
理沙はキッチンの冷蔵庫から赤いラベルのヴィッテルを持ち出してきた。まったく、勝手に飲むなと言いたい。ホント、何様のつもりだろうか。
ちゃぶ台の対面に座った理沙。こちらの顔を覗きこむなり、「あれ? なんか今日、機嫌悪い?」と問いかけてきた。「仕事が上手くいかなかったとか?」と続けて訊いてきた。
「おまえには関係ねーよ」
「警察官みたいなことしてるって言ってたよね?」
「それがどうした?」
「ポールハンガー。前から気になってたの」
「ああ。鉄砲がぶら下がってるってか」
「おまわりさんなら、家に拳銃を持って帰っちゃいけないんじゃないの?」
「おまわりさんよりは、幾分、危ねーことやってんだよ」
「恨みを買っちゃうケースもあるとか?」
「カッコつけた言い方をすると、ウチは隠密の組織でな。だけど、そんな俺達の存在を知ってるニンゲンがいねーとは限らねーんだよ。そいつらってのは、まず間違いなく反社会的な勢力だ。当然、こっちのことを面白く思ってねーし、目の敵にだってされる」
ふむふむと首を縦に振り、理沙は「なっとーく」などと言った。ノリが軽い。馬鹿なんじゃないかとすら思う。だけどもう、それなりにいい奴だってことは知っている。理沙は悪い奴じゃない。
「もしかして、朔夜はいつ死んだってかまわないと思ってるの?」
「飛躍した質問だな」
「かもしれない。で、どうなの?」
「死ぬときゃ死ぬ。そんだけだ」
「それって悲しい考え方だよぅ」
「俺はそういうニンゲンなんだよ」
「今まで恋愛したこととかなかったの? これ、前にも訊いたっけ?」
「また話が飛んだぞー」
「そうだけど、ねぇ、教えてよ」
「恋愛っつー恋愛はねーな。誰かを本気で好きになったことは一度もねー」
「どうして?」
「さあ。どうしてなんだろうな」
理沙は四つん這いになって、回り込んできた。俺の隣にぺちゃんと座る。
「ねぇねぇ、朔夜」
「あん?」
「私だったら、恋人、うまくやれると思う」
「やれねーよ。JK風情がナマ言ってんじゃねーぞ」
おもむろに理沙が俺の右手を両手で掴んだ。自らの太ももに胸にとその手を這わせる。そして、いきなり「きゃっはっはっ!」と笑ったかと思うと床に転がった。
「ダメダメダメ、そんなことしちゃダメダメ! 感じちゃう。感じちゃうから!」
「おまえが勝手に触らせたんだろうが」
一通り笑いこけると、理沙はぴょこんと起き上がった。
「おなかすいたっ」
「いきなりなんだよ」
「駅前にファミレスあるよね。行こう」
「嫌だ」
「行こう行こうっ」
「めんどくせー」
「まあまあ、そうおっしゃらずに」
「ったく、しょうがねーなあ」
最寄りの駅前という立地なのに、このファミレスには入ったことがなかったなと思う。理沙に誘われなければ、一生、訪れることはなかったかもしれない。
四人席のテーブルに、向かい合って座った。
「ハンバーグ。ステーキは三百グラムくれ。あとライス三人前」
「わーお。朔夜ってばそんなに食べるわけ?」
「悪いかよ」
「悪くないよ。今時、細いだけなんて流行らないっての。つーか、絶滅しろ、草食系っ」
「そういうもんかねぇ」
「うんうん」
「おまえはどうすんだよ」
「サイコロステーキ定食をください。あとサラダバー」
注文を受けた店員が、早速、小さなボウルを持ってきた。理沙がそれを持って腰を上げる。戻ってくる。野菜を器一杯に盛っていた。
「食いきれんのか?」
「朔夜も食べてよ」
「そういうのはファウルだろ。一人分しか頼んでねーんだから」
「バレなきゃいいの」
「バレたら?」
「その時、初めてお金を払えばいいの」
「図太いこった」
「えっへへ」
二人してサラダをつつく。理沙がスイートコーンを「あーん」と向けてきた。仕方がないので口を開けてやると、きゃっきゃと喜んで見せた。
「あのね、朔夜、聞いて?」
「なんだよ」
「私、ホントに自信があるの」
「だから、なんの自信だよ」
「私ならきっと、朔夜の奥様を上手にできるよ」
「ああん?」
不機嫌さたっぷりに俺がそう声を上げると、理沙はにこっと笑った。それから笑みを柔らかなものへと変えた。包容力にあふれているとまでは言わないが、穏やかな表情ではある。
「私、高校を卒業するのと同時に、全部、捨てるから。大学も行かない。モデルも辞める」
「だから、嫁さんにしろってか?」
「うん。ダメ?」
「まるっきりガキの発想だ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「じゃあ、いつになったら、私はガキじゃなくなるの?」
「俺にとっちゃあ、ずっとガキだよ」
「ひどーい」
「フツウに結婚して、フツウにガキを産め。でもってフツウに幸せに生きろ」
「それもアリなんだろうね。でもね? 朔夜のことは忘れられないと思う」
「気のせいだ」
「そのセリフだけで、今まで何人もの女を切り捨ててきたんだろうね」
「だから、まともに恋愛したことなんざねーっての」
オーダーしたメニューが運ばれてきた。ハンバーグもステーキも鉄板の上でチリチリ鳴っている。俺がライスに塩を振ると、「塩分とりすぎーっ」と言われた。理沙は嬉しそうだ。サイコロステーキを放り込んだ口をはふはふと動かしながら、にこっと笑った。
帰り道。
理沙が左手に細い指を絡めてきて、それがうざったくて、だから俺はパッと手を引いた。ぶぅぶぅ文句を垂れてくる始末だ。だけど、すぐに気を取り直したようで、今度は少し駆けて前に躍り出た。振り返ると、やっぱりにこっと笑って見せた。
こっちがなにもしゃべることなく歩みを進めると、理沙は並んでついてくる。俺の知らない曲を軽い調子で口ずさみながら。
「荷物を取りに戻るってだけだぜ」
「どういうこと?」
「帰れっつってんだ」
「それ、明日のお昼でもいいでしょ?」
「明日、一応、仕事なんでな」
「土曜日なのに?」
「ウチの勤務は不規則なんだよ」
俺がそう言うと、理沙は「じゃあ、しゃーないかぁ」と肩を落とした。それから「また伊織さんが迎えにくるの?」と訊いてきた。
「ああ、そうらしいぜ」
「くそぅっ。あのチチオバケめ。じゃあさ、じゃあさ」
「あん?」
「また来ていい? 今度は絶対お泊まりで。約束してよ。朔夜の隣で寝てみたいの」
「嫌だっつったら?」
「死ぬ」
「おまえ、そればっかなのな」
「朔夜」
「あん?」
「あなたはほんとうにカッコいいと思います」
「そいつはどーも」
頭を撫でてやると、理沙はくすぐったそうに身をよじった。
俺は間違いなく、このJKのことを、可愛らしいと思い始めていた。